2009年5月21日木曜日

クリスティーン・ジョーゲンセン--50年前の肉声 (III)


<クリスティーン・ジョーゲンセン赤裸々に語る>(Part II)


劇場の同僚とアクロバットに興ずるクリスティーン(1954年)

Q.ヨーロッパでの手術前には普通の男性の性器をもっていたわけですね。

「普通の男性という意味ではちょっと違います。手術前の男性としての生殖器は未発達か未成熟という感じで、たぶん肉体的にも性的にも感情面でも、男性としては十分成長していなかったと思います。」

Q.外見からは手も小さいし、身長も大きくないし、頬骨や顎の線もやわらかいし、元々女性的な体つきだったというわけですね。ところで、身体のサイズを伺ってもよいですか。

「世間では私は骨太の大柄な男性だったと思っているようですが、実際の身体はサイズ10で、身長5フィート6.5インチ(172cm)、体重は約120ポンド(54kg)。普通の女性はやせたがっているようですが、わたしは逆に130ポンド(58kg)くらいに太りたいですね。




Q.あなたの場合は医学的にも正当な手順を踏んで手術を受けたわけですが、世間では性的変質者のように安っぽい露出狂とかと思っている人も多いようですが、どう反論されますか。

「まず、わたしの治療をサポートしてくださった方々にはたいへん感謝しています。私にとっては素晴らしい体験とか悲劇的な思いとかとはまったく関係なく、また別に勇気とも関係ないと思っています。ただ自分が幸せになるには避けて通れなかった道だったからです。

「また、世間では私のような症状を理解できていないことと、性の問題について未成熟ではないかと思います。2年間のホルモン治療や、何回も何回も医学的検査を受け、合計3回にも及ぶ手術を堪えました。まずセックスとかセクシーなどという感じとはまったく無縁な体験でした。」

Q.世界でも前例のないほどのジャーナリズムのセンセーショナルな扱いを受けましたね。

「デンマークから帰国したときは、ニューヨーク空港始まって以来の大群衆が見物に押し寄せたそうです。またマスコミの扱いも記録的な大げさなものでした。出迎えがあるなどとはまったく予想していなかったので、飛行機の窓から外を見てパニックを起こしそうでした。

「新聞記事には女のように身体をくねくねとしながらタラップを降りてきた、と書いたのもありましたが、手に毛皮のコートを抱えていたのとタラップはゆらゆらと揺れるので、バランスを取るため自然にそうなっただけです。」

Q.また何千通もの手紙などで反響があった中には侮辱的な内容もあったと思いますが。

「世界中から何千通もの手紙をもらいましたが、ハリウッドのスターほどではないと思います。いやがらせは予想より少なく、私と同じ問題を抱えている方からの相談の手紙がたくさん来ました。私の体験に共感した人が多かったのと、それと同じ数の手紙が自分のかかえる問題になんらかの答えやガイダンスを求める内容でした。中国人や日本人からも手紙が来ました。わたしの母や父も感動して勇気づけられる内容が多かったのです。

「その一方で一部には侮辱的なものもありました。30から40通ほどですね。2,3万通からみれば嫌みの手紙は少なかったですね。その一人は“同封したカミソリでのどを掻ききって死ね、そうすれば俺たち同類は安心できる”、という内容のものもありました。自分も私のようになりたいという願望がありながら、私を成功のシンボルとしてねたんでいたのかもしれませんが、はっきりしたことは分かりません。このことで精神科医にも相談しましたが、それは精神障害の一種だから、たとえ私が地球の表面から消え去っても、その人たちの問題はなにも解決しないと言われました。」




Q.両親もたくさんの手紙を受け取ったわけですが、あなたのことを誇りに思っているのか、それとも恥だと思っているのでしょうか。

「両親とは親密な関係にありますが、あまり個人的なことは話さない家庭環境なので、はっきりした言葉では表現はしませんが、両親の言動から判断すれば誇りに思っていると感じています。」

Q.手術にまで踏み切るには勇気がいったと思いますが、後戻りできない決心がつくまでどれくらい時間がかかりましたか。手術への準備期間中も進むべきか、戻るべきか迷ったこともあると思いますが、いわゆる「ノーリターン」を決意した時点のことを覚えていますか。

「私のノーリターンの時点は、自分が他の子供とは違うという実感を持った子供時代からです。世界中どこでも子供というのは、グループの一員として仲間になるのに大変な苦労をします。群れの仲間になるのは自らの生存のための闘いなのです。群れから除外された孤独な子供は、心が引き裂かれるような疎外感を味わいます。私も引き返したいと思ったこともありましたが、手術を受けなくても肉体的には生き続けることは可能でも、正常な精神をもった人間として生きていくことはできなかったと思います。不退転の決心をして治療を受けましたが、もし手術を受けなかったら、自分の心の殻に閉じこもりになり、たぶん今頃はもう生きていないと思います。」

Q.準備の一環として精神分析は受けましたか。

「精神科医とはヨーロッパでの手術前から全面的な信頼のもとにあらゆる面で相談していました。思ってもいなかったことに、私の手術の件がマスコミに漏れて騒がれるようになったことで、その精神科医も真剣に心配そうな声で電話してきました。私は気にしていないから大丈夫ですよと笑いながら答えると、やっと安心されたようです。じつは精神科医は、私が自分の症状も完全に理解しており、手術も成功して幸せな気分でいることは知っていましたが、マスコミに騒がれるようになり、世間の批判やいやがらせなどで、私が神経衰弱になりそれが昂じて精神的にポキッポキッと崩壊してしまうのを一番恐れていたそうです。」

{注}この精神科医とは、性同一性障害(GID)の先駆者となるハリー・ベンジャミン博士のこと。

Q.ところで恋愛には興味はありますか。

「たくさんの手紙をもらったり、会ったこともない何人かの男性からプロポーズもあったりしましたが、恋愛のことはあまり真剣には考えていません。結婚は考えないわけではないものの、友情はとっても大事なことで、身近には好感をもつ男性は少なくありませんが、正直な気持ちとしては将来的にも結婚するようになるとは思っていません。」

Q.この新聞記事によると、「ボストン市ではクリスティーン出演禁止」という見出しが出ていますが。

「ボストンはもともと保守的な土地柄ですが、なにか屈折した精神風土があるようですね。とにかく私を見る前から、また舞台で何をするのかも知らないうちに禁止令など出すこと自体がおかしいですね。ボストンで禁止された出版物、演劇、映画などは他の地域ではたちまち評判になる、というジョークがあるくらいです。(笑い)。

「実際わたしが舞台でするのは、何曲が歌ったりするのと、事前によく検討して準備したテーマの講演が中心で、背景にはスクリーンを使用したり、またその間4回衣装を替えて登場します。女性の観客は衣装にとくに反応しますので。内容のあるテーマのお話をするときは、また全く違った衣装でマイクに向かいます。」



Q.お客の興味はどうやって持続させるのですか。お客は頭の中であなたから何を期待していると思いますか。話しの内容から何かを得ることなのか、外見をじっくり観察することでフリーク的な好奇心を満足させるとか。

「好奇心から来るひとが多いのは事実だと思います。これはクラブのオーナーから聞いたことですが、劇場に入ってくる時と帰る時ではお客の表情が違うそうです。興味半分でくるお客が多いのはわかりますが、実際に私を舞台で見て話しを聞くと、新聞の見出しで知るのとは違い、私はトリプルカラーの人間で、単に“黒”とか“白”ではなく、その間に別の色があるのに気付き、何かを学んだように感じるので表情も変わるのではないかと思います。好奇心をもつのは大変結構なことです。わたし自身も好奇心旺盛で、ソ連の打ち上げたスプートニク宇宙衛星にまで興味があります。

「あるとき舞台に出るとすぐ大変面白いと思ったジョークを言ったのですが、観客はだれも笑いません。マネージャーのトニー・デュランテが後で言ったことを今でも覚えています。“クリスティーン、最初の15分間はウケ間違いないと思った面白いジョークを言ったとしてもだれも笑わないよ。観客はまず君の頭のてっぺんからつま先まで品定めすることにしか興味がないからだよ”、と言われました。好奇心と言えば、私だって大女優のグレタ・ガーボが歩いてきたら、帽子のへりをめくって顔を覗いて見たい誘惑にかられるでしょうから。実際にはしませんが。(笑い)」

Q.あなたをめぐる世間のさわぎが静まって、もう過去の話となる時がきた時には、どういう存在になりたいですか。「元男性から女性になったクリスティーン・ジョーゲンセン」ではなく、例えば写真家、とか女優とか。

「そのような時はまず来ないと思います。世間的には私は「元男性のクリスティーン・ジョーゲンセン」のままだと思います。私が結婚したり、急に死亡したりすれば、マスコミが大はしゃぎした後に忘れ去られることはあると思いますが。面白いことに、先日も演劇関係の友人とお互いにまったく意識せずに子供時代の話をしていましたが、相手の女性が“あらごめん、あなたの昔のこと忘れてた”と相手が気づいて大笑いしたことがありました。わたし自身も自分が男の子だった過去を忘れることはないでしょう。今の私があるのもそのような過去と経験を経てきているからです。家庭でも6歳の時の自分の写真はそのまま壁に飾ってあります。友達と話すときも、自分の過去のことを話すのは平気です。」

Q.話しは変わりますが、脱毛などはまだしていますか。

「体毛はもともと多い方ではないですが、ひげの問題はあり今でも顔の脱毛は時々しています。電気脱毛による永久脱毛です。最初はたいへん恥ずかしかったですが、ウィーンの女医さんが体中が毛だらけのような女性患者を紹介しながら、彼女でも脱毛は問題なくできるからあなたの場合など簡単ですよ、と言ってくれました。実際にやってみるとその通り簡単でした。ここに来院する体毛の多い女性は多く、女性的でないことで精神的に不安定な患者さんが多いそうです。」

Q.デンマークで手術を受けたわけですが、おかげでこの国はアメリカでも有名になりました。デンマークの国民はあなたのことをどう受け止めていますか。

「デンマークは小国ですが、わたしの先祖の国でもあり、“北のパリ”と呼ばれるとてもチャーミングな国です。小さな国土のせいか、世の中の出来事をあるがままに冷静に受けとめる姿勢で、国民は思慮深い人が多いです。私はアメリカ人ですから、アメリカに戻り生活していますが、思いやりのあるデンマークの人々には恩恵の念を抱いています。現地の新聞記者も、センセーショナリズムを追うアメリカの新聞と違って、私のようなケースにも偏見はもっていないようで、たいへん客観的で冷静な扱いの記事でした。

Q.手術中は麻酔で眠ったままだったでしょうが、手術で身体のどの部分が除去され、それがどう処分されたか知っていますか。

「全然知りません。どこの病院でも片脚を切断しても、それがどう処分されたか教えないでしょう。」

Q.しかし、これは世界的に有名になった手術ですから、例えば、保存処置がされているとか。

「その可能性はないとは言えませんが、そうは思いませんし、とにかく私は何も知りません。」

Q.今後の人生の計画についてですが、映画会社などからさそいがありましたか。

「何社からさそいがありました。ただ、問題だと思ったのは、あなたが出演をOKしてくれるなら、どういう物語がいいか考えましょう、というアプローチでした。これは私にとってはネガティブなアプローチです。こういう物語を映画にしたいのであなたに出演して欲しい、というのならOKしたと思います。

Q.「クリスティーン・ジョーゲンセン物語」をあなたの主演で作りたかったのでないですか。

「いいえ、わたし自身が演じるとあまりにも役柄に近すぎて適役ではないと思います。」

Q.では他の男優が演じるのがいいのかもしれませんね。

「しかし、その映画の出来が悪ければ、もう俳優としての将来がなくなってしまうかも知れませんね。
男優よりは女優が演じるのが適していると思います。」

Q.あなたをモデルにした映画はすでにあるのではないですか。

「結構ありますね。承諾した覚えはぜんぜんないような作品で、ひどいものもあります。フランケンシュタインのような男が医者によって美女に生まれ変わるというようなストーリーで、クリスティーン・ジョーゲンセンがモデルだという宣伝文句ですが、私のケースとは無関係のひどい内容です。」

Q。将来の仕事については、アーチストの道に進むとか、舞台芸能関係か、または写真家としてもっと活躍したいのですか。

「写真家が一番向いているのではないかと思います。私的旅行でもどこに行くにもカメラと映画撮影機を持っていきます。先日も、デンマークで国王の戴冠式の映画を撮りに行ってきました。たいへん印象に残る宗教的なスペクタクルで、国王と女王にも直接お会いしました。各界の有名人とも会う機会があり、スポーツ界やマスコミ、演劇関係者など多彩な人々と会うことができました。とくに演劇界の人たちには親近感をもっています。」

Q.あなたとお住まいの家族構成はどうなっていますか。

「年上の姉ひとりとその小さな姪っ子が二人います。5歳と7歳です。」

Q.その小さな姪っ子さんですが、彼女たちが15歳、17歳になったときに、「クリス、学校の友達からあなたは以前は男だったと聞いたけど、それ本当なの」と不思議そうな顔で言われたらどう答えますか。

「まあ、17歳ではそのようなことは起こらないでしょう。私は7歳の時から自分の性に違和感を覚えていましたから。私の姉は自分の子供にはやがてわかる時がくるとは覚悟していたのですが、その時は意外に早くやってきました。ある日、年上の姪が姉のところにきて、お母さん、小さな男の子が女になることなどありえるの、と聞きました。姉はその意味を直感的に理解して、そういうこともたまには起こりますよ、とだけ答えた。すると姪は、この家の近くにそういう人いるの、と聞く。姉が、いるわよ、と答えると、姪は納得したような顔でだまって出ていったそうです。その下の姪も彼女から聞いて、二人とも私のことを理解したのだと思います。」

Q.あなたのケースは自然の犯したミステークだと理解する人が多いと思いますが、あなたの性転換手術は自然のミスに対する修正手段だと思っていますか。

「私たちの社会教育のせいで、この世には男と女だけが存在する、という観念を植え付けてしまったのです。この固定した観念が科学的な事実を受け入れられなくしています。つまり、男性も女性もそれぞれが両性の特徴を備え持っているということで、男は80%の部分が男性的で、残りは女性の特徴をもっているということです。女性にも同様なことが言えます。」

Q.ここにあなたのスクラップブックがありますが、この写真に写っているのは中国人ですか。

「いいえ、ホノルルの日本人です。有名になったおかげで世界中あちこち旅行しましたし、ファンレターを世界中から頂きました。」

Q.歌や踊りもできるし、ショービジネスがあなたにぴったりだと思いますが、お金もたくさん入っているでしょう。

「芸能界で働くひとは多額の収入があるので、金庫にため込んでいるお金もすごいと思われがちですが、実際はそう簡単ではありません。エージェントやマネージャーに払う費用、宣伝費、旅費や宿泊費、他の出演者のギャラなど、組織を維持していく経費も収入に応じて多額になります。それに毎週のように仕事があるわけではなく、6週間も仕事がないことも珍しくありません。もっと家族や私自身も楽にしてあげたいのですが・・・。」

Q.他にも録音インタビューなどの予定もあるでしょうが、将来やりたい仕事は考えていますか。

「私同様の悩みを持つ方の助けになりたいです。子供の頃から違和感をもっていても、どうしてよいのかわからないひとは大勢います。医者ではないので直接の助けにはなりませんが、どういうことを知りたいのか教えてもらえれば、その分野にくわしく信頼できる医師を紹介できます。暗い夜道をさまよい歩き続ける人たちに、進むべき方向をアドバイスしてもらう手助けは私にもできます。

「それと、4年ほど前から自伝を書いていましたが、やっと原稿が出来上がりました。複雑な感情や悩みなど自分自身の人生について書くのは結構むずかしいもので、「私」という一人称ばかりでは気恥ずかしいだけでなく見方も狭くなります。自伝なので「私」から逃れることはできませんが、自分の都合のよい解釈にならないように、できるだけ客観的に自分を観察することを念頭において書きました。近々出版されると思います。」

Q.ミス・クリスティーン・ジョーゲンセン。今日はとても興味深いお話を伺うことができてありがとうございました。

「ミスター・ラッセル。こちらこそありがとうございました。」

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その後出版されたクリスティーンの自伝




この投稿の締めくくりにふさわしいのが、上のクリスティーン・ジョーゲンセンの自伝本のジャケットに引用されている序文です。クリスティーンという人物の本質をよく表現していると思いますので、以下これも翻訳しておきます。

「1952年12月1日、ニューヨーク・デイリーニュース紙の読者の目に飛び込んできた大見出しは<元GIがブロンドの美女に。ブロンクスの若者が手術で変身>であった。それに続く18ヶ月の間に、クリスティーン・ジョーゲンセンについて50万語以上の言葉が世界の新聞紙上に踊ったのです。彼女自身の個性ある文体で、ジョーゲンセンは世界で初めての有名なトランスセクシュアルの先駆者としての人生の歩みを語っている。<自然は誤りを犯し、私はそれを修正した>と彼女は語る。
ラスベガスからハバナまで、クラブなどに出演するエンターテーナーとして、ジョーゲンセンはボストンでは出演禁止とされる一方で、ニューヨークでは<今年の選ばれた女性>の栄誉を受ける。同時代の有名人である、ジュディ・ガーランド、テネシー・ウィリアムス、ナタリー・ウッド、トルーマン・カポーテなどとも親交がある。
運命のいたずらか、クリスティーン・ジョーゲンセンは時代の脚光を浴びたが、彼女の才能とカリスマ性がその地位をしっかり守っている。世界初の有名なトランスセクシュアルとして、全身全霊を込めて彼女の役割を演じており、世間を啓蒙し、楽しませ、そのエレガントな立ち居振る舞いと魅力で、すべての個人が生来の権利としてもっている尊厳が与えられるよう尽力している。彼女の人生は限られた狭い道しかないものの、彼女は威厳と誇りをもって歩いている。この単純とも言える尊厳が、彼女の達成した持続する成果であり、後世に残る最大の遺産である。」

<スーザン・ストラトカーの序文より>

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クリスティーン・ジョーゲンセン--50年前の肉声 (II)


<クリスティーン・ジョーゲンセン赤裸々に語る>(Part I)


全米にセンセーションを巻き起こした帰国直後のクリスティーン

Q.ミス・ジョーゲンセン、クリスティーンとお呼びしてもよろしいでしょうか。最初にお聞きしたいのは、あなたは女性ですか、男性ですか。

「人間には男と女しかないと思いがちですが、科学的に見れば実際にそれぞれに程度の差はあるものの、両方のセックスの特徴がそなわっています。ここで深く議論してもしょうがないので、私は男よりも女に近いとだけ答えておきましょう。」

Q.医学的、生物学的に言って女性の性器官をもっていますか?

「このように答えましょう。いろいろな検査を行い診察した医師たちの見解では、私の身体のどこかに女性の性器官、または相似する部分が存在しているそうです。生化学的な検査では特定できる組織はないとのことでしたので、ならば検証するための手術をしてみてはという医学関係者もいたようですが、マスコミの好奇心を満足させるためにそのような手術をするのは悪趣味で論外である、という私の担当医の一言で落ち着きました。医学の倫理的な見地からもこのような検証目的の手術は考えられません

Q.マリリン・モンローのような魅惑的な曲線をもつ女性を見たときに、もとの男性にもどりたいと思うことはないですか。

「いいえ、それは全然ありません。私は対象が男であれ女であれ何であれ、普通の人たちと同じように美という対象には何でも惹かれます。」

Q.ヨーロッパでの従軍経験のあと、海外滞在中に性転換の手術を受けたと世間では思われていますが。

「それは事実と違います。私の軍隊経験については尾ひれのついた話しが広まっているようですが、軍隊に籍を置いていたのは第二次大戦が終わったあとの14ヶ月間だけでした。ヨーロッパでの従軍経験などは一切なく、大砲や銃を撃ったり、泥の中や危険な地雷原を歩いたりして戦闘に参加した「元GI」と思われるのは、正直なところ少し抵抗を感じます。

「実際の私は1945年8月からニュージャージー州のフォート・ディックスで除隊事務処理担当として勤務していました。1946年12月に除隊になり、1950年にヨーロッパに渡り医学的検査を受けるまで少なくとも4年間が経過しています。除隊後の私はアメリカの大学に通い、また写真学校でも勉強していました。」
       
1951年手術前のジョージ・ウィリアム・ジョーゲンセン

Q.要するに、女性に性的に惹かれることはなかったということですか。男として軍隊にいた時期も、他の兵士と同じように愛情または支配の対象として女性への性的興味は持たなかったですか。

「男同士で女が話題になるときはちょっと気恥ずかしい思いをした記憶はありますが、そういう話題には全然興味がなかったのでできるだけ避けるようにしていました。」

Q.軍隊生活では裸姿の男達と一緒の身体検査などもあったと思いますが、女性的な貴方は抵抗感があったのでは。

「ちょっと気恥ずかしい思いをしたことはあるとは思いますが、ニューヨークの閑静な自宅ではバスルームのドアにカギをかける必要のない環境で生活していたので、とくに気になることはなかったです。(笑い)」

Q.「ヘマフロディート(両性具有の人=ふたなり)」について医師から聞いたことがありますか。

「これについては以前に医師に聞いたことがあります。人間はみな程度の差はあれ両性の特徴を備え持っており、“ヘマフロディート”はひとりの人に両性の特徴的な性器管が同時に存在することですが、遺伝子やホルモンや精神状態には関係ないそうです。これは別名“インターセックス”とも呼ばれていますが、インターセックスは一方の性の特徴が他方の性の特徴より顕著に見られる場合に使われているようで、その意味では人間みんな程度の差はあれ基本的にはインターセックスですね。」

{注}hermaphroditeは今日では死語となり、通常はintersexが使われています。

Q.あなたの手術、つまり性転換はもう完成していると思ってよいですか。今後の経過の見通しなどもついていますか。

「肉体的な面ではもうすべて終わっています。もちろん子供を産むことはできませんが、普通の性行為をするのは問題ありません。まあ、言ってみれば子宮摘出した女性のようなものですね、ハハハ。」

Q.女性用のトイレに入るときには、他の女性たちはあなたを女性として受け入れてくれますか。

「まったく問題ありません。自然におしゃべりしたりすることがよくありますが、トイレの中ではセックスに関する話しにはあまり興味はないですね。(笑い)」

Q.ホルモン剤の身体に及ぼす影響についてですが、あなたはホルモン剤は摂取していますか。

「ホルモン剤は飲んでいますが、あまり規則的にではありません。本当は毎日飲む方がよいのですが、ホルモン摂取は資格のある医師の指導のもとでのみするべきです。」

Q.ホルモン剤は身体の特定の部分の女性化に変化をもたらしますね。

「男性ホルモンであれ女性ホルモンであれ、それぞれの肉体的な特徴や外形を強調する作用があります。私の場合はとくにすべての部分が小さいですからなおさら必要です。」

Q.舞台や映画にでる女性は身体の曲線を際立たせるためにパディングすると聞きますが、あなたの場合はどうですか。

「笑い)私も舞台に上がるときにはパディングします。それに加えて25から30ポンド(約13kg)の重さの衣装を身につけるのは身体にたいへんな負担がかかります。それに、最近の時代の傾向として統計的にも現れていますが、一般の女性でバストのサイズを意識する女性が多く、コンプレックスをもつ女性が手術を受けるケースが増えているのが気になります。美容のための豊胸手術はたいへん危険な手術だと私は聞いています。」

Q.あなた自身はなにか美容整形手術はしましたか。

「美容整形は一カ所だけ。それは胸ではなく、耳です。私の耳は“ドアを開けて走るタクシー”とからかわれるほど大きく出っ張っていて、子供の頃からコンプレックスをもっていました。デンマークに行ったときとても親切な形成外科医と知り合いになり、簡単な手術で直せるからと勧められ外来で整形手術を受けました。実際に信じられないほど簡単に問題が解決してとてもうれしかったです。」

Q.あなたは名声とともに悪名もふくめて世界的にセンセーションを巻き起こした存在になったわけですが、ご自分としてはどのように受け止めていますか。

「1952年12月5日に最初のニュース種になった直後は、私も大変なショックで驚きもしました。しかし、その後の世間の反響は意外にも好意的で、私の人生にどういうことが起こったのか興味をもつひとが多かったのです。時間の経過とともに、私がヨーロッパで受けたような手術が受けられるかどうかは別としても、同じような悩みをもつ多くのひとたちにとっては、私のケースが重要な意味をもつステップだと理解されはじめたのです。」

Q.新聞の見出しに「ブロンド美人の元GI」という表現が使われていますが、これはどう受け止めますか。

「そう言われてうれしく思う面もありますが、ただ元GIという言い方にはちょっと抵抗を感じます。それは“元GI”という表現には、なにか悪いニュアンスが込められていると感じられるからです。」

Q.今までに人を愛した経験はありますか。それは男として、それとも女性としてですか。

「愛にはいろいろな意味合いがありますが、今までの人生で2回だけ真剣な愛を経験したことがあります。いずれの場合も結婚には至りませんでしたが。男性としては完全な身体でなかったことも事実で、男としてというよりは、男性の服装をした人間としての愛です。愛にはたいへんパワフルな意味があります。ヨーロッパに渡って手術を受けたのも、中途半端な人生ではなく、フルに人生を生きたいという思いがあったからです。」

Q.手術する以前から演劇に興味をもっていましたか。

「そうです。写真と映画にはずっと興味があって、ヨーロッパで手術を受ける前までの仕事も、雑誌のカバー写真や映画関係などの仕事が中心でした。その当時は自分が公衆の面前に出ることは考えられなかったので、その裏側の仕事に興味をもっていたのではないかと思っています。大学を出てからも写真専門学校で学びました。今後も写真は趣味として続けて行きたいし、舞台の仕事にも興味があります。

Q.あなたが舞台に出るときはホモセクシュアルの観客が多いですか。またホモの友人も多いですか。

「いいえ、観客の中にはそういう人も交じっているかもしれませんが、主にごく普通の中年の夫婦連れが多いように思います。芸能界にはたしかにホモセクシュアルが多いのは事実ですが、その理由は同性愛者は自らが社会的な差別意識の中で生きているので、感受性がするどく、洞察力があり、すぐれた演技者であることが多いからだと思います。」

Q.同性愛の問題についてあなた自身はどう考えていますか。

「個人的には同性愛が社会にとって問題だとはぜんぜん思っていません。性的異常者や幼児に対する性的犯罪に同性愛者が係わっていることが多いという誤解が世間にはあるようですが、見識のある精神科医に聞いてみればこんな誤解は一笑されるはずです。もちろん、例外はあるでしょうが、現実的に同性愛者が社会的に害を及ぼすことは全然ありません。ただ一つ問題になるのは、みんなが同性愛者になってしまうと、次の世代をになう子供が生まれなくなってしまうことですね。(笑い)」

Q.少し前までは、ワシントンの政界では秘密保持に係わる職務にはホモを雇用してはならないという規則があったようですね。つまり、ホモを理由に脅迫されたりして政府の機密を漏らす危険性があるという理由だと思いますが。どう思われますか。

「同性愛自体が問題なのではなく、社会が同性愛者をどう見ているかが問題にされるべきだと私は思います。同性愛には男性も女性もいますが、同性愛者はたえず社会から疎外され、精神的な迫害にさらされています。その弱みを利用されるからだと思います。」

Q.酔っぱらって女装したりする男もいますが、あなたの場合は女装するとどういう気分になるのですか。

「たいへん快適に感じますね。衣服は単なる習慣だとも言えなくはないですが、自然な自分にもどったという感じになります。」

Q.世の中には自分が女であるという妄想癖にとりつかれている人たちがいると聞きますが。

「人間は一人ひとり異なった存在ですから、一人の個人は他の個人と同じではないのです。世間ではグループとして一緒くたに扱っていますが、医学的な教養のある人なら個々の患者はそれぞれ違った性癖をもった存在だと知っているはずです。」

Q.世間にはいろいろな人がいるので、ナイトクラブのステージで観客からいやがらせとか、街頭で罵声を浴びるというような扱いを受けたことはありませんか。

「お酒を飲むナイトクラブでは男性より女性の酔っぱらいが扱いづらいものですが、実際には侮辱的な思いをさせられた経験はまずありません。それどころか、面と向かってはいろんな人たちから好意的なコメントを頂くことが多いです。ただ一回だけ南アメリカを旅行したときに、街頭の人混みの中でわたしの身体に触ろうとした人がいましたが、周囲にいた人たちが中に入って防いでくれたので何事もなかったです。」

Q.男性からデートしたいと言い寄られたりすることがあると思いますが。

「たいていの女性も経験があるように、声をかけてくる男性はいます。しかし、ほとんどの場合やさしい配慮ある態度で、いやな思いをしたことはありません。彼らは抱いている好奇心や自分なりの疑問を解くためにわたしに近寄ってくるのではないかと思いますが、わたしはべつに気にしていません。座って一緒におしゃべりすることもあります。」

以下(Part 2)に続く。

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クリスティーン・ジョーゲンセン--50年前の肉声

近代的SRSに道を拓いた先駆者<クリスティーン・ジョーゲンセン>



彼女は本当に女性?
    彼女の性生活は?
    母親になれるのか?
    世界中にセンセーションを巻き起こしたセレブが、
    その私生活を赤裸々に語る


性同一性障害(GID)に興味のある方は、まずクリスティーン・ジョーゲンセンという名前は聞いたことがあるでしょう。簡単に略歴を紹介しますと、1926年にジョージ・ウィリアム・ジョーゲンセン・ジュニアとしてニューヨークのブロンクス区で男児として生まれ、7歳から自分の性に違和感を覚え、1952年から1954年(26歳から28歳)にかけてデンマークで性別適合手術(SRS)を受け、帰国するや否やブロンドの美女として一躍マスコミの脚光を浴びる身になりました。美貌と恵まれた才能を生かして舞台やラスベガスのナイトクラブ、ラジオ出演や講演などで世界的に活躍しますが、同時にGIDや同性愛などの性的マイノリティーへの理解を促進することに多大な時間と労力をさきました。

彼女を最初から精神的に支え導いてきた精神科医ハリー・ベンジャミン博士ともに、GID治療に精神科医の関わり、ホルモン治療を経て、さらに別の性での生活体験を経た後にSRSに進むという、今日のGID治療基準への道筋をつけた、患者の立場からの偉大な貢献者として記憶されるべき人物だと思います。婚約歴はあるものの生涯結婚はせず、1989年に62歳で肺がんのためカリフォルニア州で死去し、波乱に満ちた生涯を終えました。

50年前の録音インタビュー

インターネットの迷路をさまよう内に偶然たどり着いたサイトで、半世紀も前の1958年に録音されていたクリスティーン・ジョーゲンセンの肉声を聞いて感嘆しました。1954年に「性転換手術のスター」として世界的に有名になった彼女の肉声にまず感動すると同時に、彼女の話した内容が現代の医学的な見地からもなんら遜色なく、性転換者として世界のマスコミの脚光をあびた自分に誇りと自信を持っている彼女の話しぶりに、当事者でない私も驚きと感動を覚えたのです。

クリスティーンの話す洗練された英語にまず驚きました。デンマーク系のアメリカ人としてニューヨークで生まれ育ったため英語を話すのは当たり前ですが、彼女の端正な発音と的確な話しぶりはそこらあたりのアメリカ人とは明らかに違います。また、全くと言っていいほど無駄のない、理路整然とした話しぶりからは彼女の教養の高さがうかがえます。

「元GIがブロンドの美女に!」というセンセーショナルな当時のマスコミの扱いから想像する、「兵隊上がり」というイメージは全く感じられず、逆にインタビューした方がたじたじとしていたことに一種の快感を覚えたほどでした。

この録音インタビューにはオチがあります。このレコーディングは《クリスティーン・ジョーゲンセン赤裸々に語る》という俗受けするタイトルで、30cmLPレコードとして販売するためにプロモーターが企画したものでした。「赤裸々に語る」という思わせぶりなタイトルに彼女は抗議したそうです。ところがクリスティーンの話す内容は正統的で、俗受けしそうな露骨な質問は冷静にかわして答え、性同一性障害とはどういうものか自らのSRSにいたる経緯を話しながらも、世に大勢いるGID当事者への配慮を忘れることなく、無知で無理解な世間を啓蒙しようとするすぐれた解説だったのです。

結局のところ、俗受けをねらっていたプロモーターはこれでは売り物にならないという判断となり企画はボツ、50年前のこの貴重な歴史的録音インタビューは日の目を見ることはなかったのです。クリスティーン本人には1ドルの出演料も印税も払われなかったと、その後に出版された彼女の自伝に書いています。(上の写真はその幻のレコードのジャケットです)

この歴史的なインタビューが行われた時は、彼女はニューヨークに隣接するロングアイランドに母親と姉と姪二人と同居していました。その約50分に及ぶ録音インタビューの概要を以下にご紹介いたします。

興味のある方は、以下のサイトで実際の録音インタビューを聞くことができます。録音の聞き書きによる翻訳は少々長くなりますので、項を改め2回に分割して掲載します。

http://www.queermusicheritage.us/aug2000a.html

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