2009年7月21日火曜日

アメリカのGIDニュース (その4)


Good luck, brother!

チャスティティ・ボノの幸運を祈り、激励のメッセージを送るトランジションを達成したFTMの先輩、寄稿者ジェイミソン・グリーン氏は、”Becoming a Visible Man” (「目に見える男になって」2004年刊)という本の著者で、トランスジェンダー問題の運動家、教育者、アドバイザー、として活躍している。
(2009年6月17日 CNN.com)
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英語の“transsexual”という言葉がまだ考案される前の古い話しになるが、英国の貴族階級に属する家系に生まれた恐れを知らない若い人が、女性から男性へ変身するための準備に着手した。彼は医学校の教育を受け、当時はまだろくに理解もされていなかった新しい薬剤であるホルモン剤を入手し、独り立ちして男性としての生活を始めたのである。それは1940年代の初期であった。

やがて彼は治療を引き受けてくれる形成外科医を探し出し、1949年までには身体的な変身は完成した。しかし、家族は彼を拒絶した。イギリスのタブロイド紙はここぞとばかり襲いかかり彼をずたずたにする。マスコミから逃れるため、結局はだれの助けも借りずに自らの人生を再構築しなければならなくなる。彼のたどり着いた場所は遙かなるチベット。そこで彼は仏教僧となり、1962年に47歳という年齢で死を迎えた。

彼の名前はマイケル・ディロン、西洋世界での最初のトランスセクシュアルの一人ということになる。つまり、医学的な手段で生まれながらの性器官及び(または)性自認を別の性に転換した人物ということです。彼が生前に書き残した厖大な日記などの記録は家族によりひた隠しにされ、ほとんどが焼却されてしまう。今はわずかな断片だけが残っている。

私事ながら、私が40歳になる直前にトランジションを始めた頃は、1949年頃にくらべてもほとんど違いがないほど女性から男性へのトランスセクシュアリズムに関する情報はなかったのです。1990年代になってからも、医師たちの言うには、私たちトランスセクシュアル当事者はグループで集まったりしない方がよい。理由は、あなたたちは「普通の人たち」と違うことに気付かれるからだ、という程度の認識だったのです。

TSの女性の多くは、背が高く、肩幅が広い、手や足が大きいなどの特徴がある。反対に多くのTSの男性は、背は低め、手と足が小さい。身体的特徴がバラエティーに富んでいる人々の多い環境で生活している場合はともかく、あなたと同じような特徴をもつ人たちが多く集まれば、TSであることが発覚するリスクは高い。

トランスセクシュアルであることが発覚すると、恐ろしい結果を招くことがある。つまるところ、「普通の人間」として社会にとけ込むことが治療の目的なのです。私自身は「性転換」はごくまっとうな治療プロセスであって、ホルモンを摂取し、手術を受けて、家に帰り、庭の芝刈りをする、という具合に普通の生活が送れるものと単純に考えていた。

しかし、控えめに言うと、ビックリするような経験が待ちかまえていたのです。その最大の教訓は、トランスセクシュアルであることが発覚することが、こんなにも恐怖と屈辱の対象になるのか、それがとてつもない苦悩になることを、イヤというほど思い知らされたのです。

私と同じような人たちは、世間から身を隠し、いい仕事に恵まれないか無職で、病気になっても医者に行かず、また親密な関係のパートナーも持てないことを知りました。

トランジションを始めてからは、私と同じTSの男性と会う機会が増えてきて、恐れと屈辱感が彼らの人生を縛っているのを自分の目で感じました。この人たちは、親切で、やさしく、思いやりがあり、真面目な人たちです。恐れや屈辱をかかえて生きなければならない理由などかけらもない、善良な人間なのです。

その時思ったのは、私たちTSがどういう存在なのか、TSがどうやって生きているか、世間の人々を教育するしかない、ということです。そうして初めて、私たちTSは自分一人ではないこと、恐れる必要はないことを知り、さらに世界の人たちに私たちTSが存在することを知らしめ、TSたちが違いやユニークさを持ちながらも、安全に生きられる世界をつくること、が可能になってくるのです。

北アメリカ、ヨーロッパ、イギリス、日本に住む少数のTS男性のように、私自身も大衆教育の一環として、われわれTSの体験について書くことを始め、立法府の議員や政策決定者に知識を提供し、私たちの後に続く世代が同じ苦しみを経験しなくてもいいように願い、法律改正に働きかけています。

そしてこの度、チャズ・ボノが代理人を通して自らのトランジションを公表しました。素晴らしい、勇敢な新しい世界の到来です!私たちの言葉は広がりつつあり、すでにいくつかの保護法が成立しています。理解できないものは壊してしまえという乱暴な態度は、アメリカではもはや許されないことを理解し始めたようです。しかし、気を許せない一部の人たちが存在することは忘れてはいけません。

チャズ、女性から男性へのトランジションが今後スムーズに進行することを願っています。ただ、私の経験から言えることは、少々のサプライズや困惑する事態に遭遇するのは避けられないだろうということです。必要なプライバシーが保たれ、トランジションのもたらす恩恵をフルに体験できること、さらに公的な活動のためにせっかくの恩恵を犠牲にすることがないように祈っています。

あなたの有名人としての影響力は、世間に新しい理解をもたらすことができます。一般のTSたちはスポットライトを避けただけでなく、無関心な大衆に声を発する機会もなかったのにくらべると、あなたにはメディアの注目を集める力があります。無視されることもありません。しかし、自分でまだ心の準備ができていないと思う間は、無理に自分をさらしてはなりません。自分の人生は自分だけの責任ですから。

私にとっては、トランジションの目標は、その意味はともかく、「普通の人」になることではなく、自分としてバランスのとれた生き方をすることでした。トランスと関係のない人たちも同じ目標だと思います。そこに達するにはそれぞれ違った道程があると思います。私の場合は、うまくいったと思っています。
兄弟よ、幸運を祈っています! ―Jamison Green―

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(訳者注)アメリカでは宗教的偏見、政治信条、無知などから、暴力沙汰のヘイトクライムが多く、性的マイノリティーは身の危険にさらされています。とくにトランスセクシュアルはその対象になることが多いのです。中近東などの古風なイスラム社会では死を意味します。それにくらべれば、TSに対する理解度はまだまだながら、日本はやはり世界有数の自由で安全な国ではあります。グッド・ラック!


2009年7月20日月曜日

アメリカのGIDニュース (その3)


<PEOPLE誌の記事・性転換の途上にあるチャスティティ・ボノ>

FTMが詳細に取り上げられる機会は少ないので、有名な芸能誌「ピープル」の記事もご紹介します。
(2009年6月11日。Chastity Bono Undergoing Sex Change

エンターテイナーのシェールと故ソニー・ボノとの間にできた一人っ子であり、政治的・社会的アクティビストとして知られるチャスティティ・ボノ(通称チャズ)は今年になり40歳を迎えて間もなく、性転換を進めていることを発表した。

友人が「ピープル」誌に語ったところでは、母親のシェールは「本人が長い間望んでいたことは知っていた。長期間に及ぶプロセスなので積極的にサポートしてあげたい」と言っている。

ボノの代理人であるハワード・ブラグマンも、「チャズのことは本当です。チャズも長年悩み考えた結果として、自分の本当の性自認に正直に生きていきたいと勇気をだして決心したのです。」

「彼は自分の決心に誇りを感じており、また彼の愛する周囲の人たちから示されたサポートと尊敬の意に感謝したいと言っています。20年前に最初にカムアウト(レズビアンとして)した時と同じように、今回のトランジションがこのような問題に関する社会一般のひとびとの受容度と寛大さを呼び起こすきっかけになれば、と願っています。」

1998年の「ピープル」誌の記事によると、チャスティティ・ボノは、自分のケースも含め、若者のゲイたちの生活の実像を集めた“Family Outing”という本を出版したばかりであった。その本ではカムアウトしてゲイの性行動をオープンに語ることで得るものと、思わぬ落とし穴についての実例が報告されていた。1987年ニューヨーク大学1年のときに、両親に自分がゲイ(この場合はレズビアンのことを指す)であることを打ち明けたが、父親のソニーは冷静に受け止めたものの、母のシェールは全く逆であった。

            <1998年。母のシェールと一緒に>


「私は動転して頭が真っ白になった。それまでは、彼女が結婚して子供を産み、家族を育てるようになることを夢見ていたからです。」とシェールはピープル誌に語っている。シェール自身も1983年の映画「Silkwood」で同性愛の女性の役を演じて評判になっていて、熱烈なファンには同性愛の女性が多かっただけに、余計に動揺したシェールは娘をニューヨークのアパートから追い出してしまった。チャスティティもロックシンガーとして活動するために大学を中退し、同性愛の女性であることは秘密にすることに決めていた。

ところが、事はうまくは運ばなかった。1990年に自分のロックバンドとともに歌手として売り出す直前に、週刊タブロイド紙が彼女がレズビアンであることをすっぱ抜いてしまったのだ。レポーターに囲まれた彼女は、ゲイコミュニティーの仲間がタブロイド紙にたれこんだのを知り愕然とする。

「それまでの人生でもっとも傷ついた出来事でした」と1998年になって述懐している。「どこに向かうかも知らず大海をただよう小舟のよう、自宅にこもりブラインドを降ろし、生きている実感を失ってしまったのです。」

1992年になると、20歳も年上のジョーンという女性と親密な関係になったが、これも悲劇的な結末を迎えることになる。ジョーンが悪性リンパ腫という難病にかかり、闘病の果てに1994年に死去したのだ。翌1995年になると、失意のボノは意を決してゲイ活動に身を投じ、ゲイ雑誌「The Advocate」の表紙の写真を飾ると同時にカムアウト宣言した。そして、ゲイ・レズビアン権利保護同盟(GLAAD)の中心的な地位につくことになった。

ボノの同性愛者としての公然活動は両親との関係修復にもなり、母のシェールは娘の活動に誇りを感じるようになり、「初めて私の全人格を見てくれるようになりました」とボノも認めている。ところが、母とは離婚していた父親のソニーの方は共和党の政治家になっており、同性愛者の結婚などを認めない共和党の政策に同調せざるを得ない立場にあった。「個人的には私を受け入れてくれましたが、政策的にはノーでした。父には直接には言いませんでしたが、私は心では怒りを感じていました。」(この後ソニー・ボノはスキー中の事故で1998年に死亡してしまう。)

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他にもゲイ運動関係者からのコメントがありますので、以下にその一部をご紹介します。

「トランスジェンダーとしてカムアウトするのは極めて個人的な決心であり、決して軽い気持ちでできるものではない。近いうちにチャズの口から彼自身の言葉を聞くことが出来るよう期待しています。」
とGLAADの会長のニール・ジウリアーノが言う。

「性行動の方向性を転換するトランジションは、通常はホルモン治療から始め、時には外科的方法で性転換する場合もある。人によっては医学的なトランジションである場合もあり、単に社会的なトランスである場合もあるが、多くの当事者にとっては両方とも必要になることが多い。」と言うのはLGBTコミュニティーセンターのキャリー・デイビスである。

いろいろなメディアで未確認の情報が飛びかっているようですが、チャズは昨年6月ごろからトランジションを初めており、来年には終える予定だ、という記事もあった。ということは、SRS手術によるトランジションを完成するのが目的のように思えます。あとは成功を祈るばかりです。グッドラック!

            <トランス途上のチャズ・ボノの近影>


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〔注〕チャスティティ・ボノに関しては、CNNの続報がありました。トランジションに成功したFTMの先輩からのアドバイスの投稿ですが、これも参考になる内容を含んでいるので次回の投稿でご紹介します。

アメリカのGIDニュース (その2)


<有名人のFTMがカムアウトすると…>

先回の投稿で、チャスティティ・ボノがFTMの治療を始めたとカムアウト宣言したニュースをお伝えしました。母親と父親ともアメリカでは有名人であり、本人自身もゲイ権利擁護の活動家として知られるチャスティティ・ボノの公然のカムアウトは、それだけ大きな社会的なインパクトがあったのです。

まず母親のシェールは世界的に知られる存在です。歌手であり女優でもあるシェールは、ポップ歌手として1億枚以上のレコードを売り上げ、アカデミー主演女優賞、グラミー賞、エミー賞などを総なめで受賞したほどの超有名人です。同じく歌手であった父親のソニー・ボノもシェールと結婚後デュエットを組んで、ともにヒット曲を次々と送り出した。

          <幼少の頃のチャスティティと歌手の両親>


ソニー・ボノはシェールと離婚後に再婚してその後は政界に転じ、カリフォルニア州選出の下院議員として環境保護に取り組み大きな実績を残すが、1998年1月スキー滑降中に立木に激突するという不慮の事故で死亡する。

今年40歳になった娘のチャスティティ・ボノ(通称チャズ)は、両親のテレビショー”The Sonny and Cher Comedy Hour” に小さな女の子としてレギュラー出演していた。成人してからは、自らレズビアンであると公表し、20年間もゲイやレズビアンの権利擁護運動に関係してきたという実績がある。最初のカムアウト当時は母親のシェールは困惑して、娘と別居する結果になっていたらしい。今回のカムアウトはさらにインパクトの大きい「トランスセクシュアル」という内容なので、さらに話題をさらうことになったのです。

          <女性らしい歌手から男性へのトランスの初期>

        
世間には誤解もある。性の転換というと外科的手術で性別を転換するものだと思う人が多いが、実際に性別適合手術(SRS)で性別を変更するケースはそれほど多くない。アメリカ人の0.25%から0.5%の割合でトランスセクシュアルが存在するという推測があるが、これは社会的な転換と医学的な転換との両方を含むおおよその数字だと見なければならない。

メディアはあまりにも手術にハイライトを当てるが、実際に外科手術にまで進むケースは多くなく、どれくらいのケースがあるかも頼りになる数字は把握できていない。とくに女性から男性へのFTMの場合は、何回にも分けて、また一年以上の期間と多額の費用がかかるので、仕事上や経済的な事情からも手術にまで進めないのが理由の一つだと思われる。

チャズの場合も書面でのマスコミ発表はあったが記者会見などは行われず、詳細はいまだ分かっていない。本人側から自発的に発表したことは、今後はチャズ本人が「男性」として認知され、男性として行動することを望んでいるということでしょう。具体的な治療方針はチャズ本人の必要と要求に応じて、また受け入れる医師の判断によって決められることでしょう、と友人は語っている。

FTMの治療は長期間にわたるものなので、マスコミも本人のプライバシーを尊重して欲しいと友人達は願っている。有名人がカムアウトする場合にはこのような特有のむずかしさがある。”People”誌に母娘の写真が大きく掲載され、娘が男性になると発表されたので、全米に知れ渡った。ただ、母親のシェールは「長い間本人も望んでいたことは知っていたので、今後は積極的にサポートしていく」と励ましているのが大きな救いです。

             <シェールとチャズ・ボノ>

         
〈以上はCNNニュースその他のソースからまとめたものです。チャズ・ボノのニュースはまた次回でもフォローします。〉

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2009年7月14日火曜日

アメリカのGIDニュース (その1)


<アメリカのMTF・FTM>


2009年6月17日のCNNニュースのネット版に、アメリカのGIDに関する記事がありましたので以下にご紹介します。

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男性から女性へ(MTF)

ヘンリー・ジョセフ・マデンは高校時代には成績のよい生徒として、また陸上部のトラック競技の選手として青春を謳歌しているように見えたが、実は彼には秘密があった。ときどきひそかに母親のパンストや下着を自分の服の下に着用していたのである。

「本気で女の子になりたかったのです。母親の下着を身につけるのは、そのような気持ちを満足させるひとつの方法だったのです。ただ、いつも誰かから肩越しに見られているような不思議な気持ちを味わいました。」とマデンは述懐している。

女になりたいという気持ちはその後も消えることはなく、48歳になってから初めて医師に自分の気持ちを打ち明けて相談した。紹介されたジェンダー・セラピストのもとで治療をはじめ、その結果マデンはトランスジェンダーと診断された。

電気脱毛法やレーザーによる体毛除去、発声法のレッスン、そして性別適合手術(SRS)とすすみ、それまでのヘンリー・ジョセフはジェニファー・エリザベスとなり、通称はジェニーとして知られている。ジェニーの職業は内科医師、アメリカの東北部にあるニューハンプシャー州ナシュアの街で自分のクリニックを持つ開業医である。

女性から男性へ(FTM)

有名な女優であるチャーを母に、エンターテイナーからアメリカ下院議員になった故ソニー・ボノを父として生まれたチャスティティ・ボノが、先週マスコミに発表したのは、女性から男性への性転換への第一歩を踏み出した、という驚くような内容であった。

比較的にまれであるこの性転換症という症状は、近年になってもっと広範に知られるようになってきた。一部の研究家の説ではアメリカ人口の0.25%から0.5%の割合で、性転換症(トランスジェンダー)がいると言われている。

LGBT(Lesbian,Gay,Bisexual,Transgender)という略語は普通の話題となり、性転換症の人々も評判となった映画“Boys Don‘t Cry”や2002年出版の“Middlesex”という本で描かれる存在になったのは記憶に新しい。

性転換を成し遂げた人たちの話から言えることは、MTFとFTMを問わず、その多くが子供時代から自分が間違った性に生まれていることに気づいていたということだ。男の子として生まれたジュリー・プラウス医師は、もう3歳の頃からなぜ父親がキャッチボールをして遊びたいのか理解できなかった。男の子として、プラウスは魚釣りやハンティングの仕方も教わったが、本当に楽しかったのは大恐慌時代のガラス工芸の花瓶を集めることだった。アメリカ東部バーモント州で精神科医を開業しているプラウス医師は、48歳になった2008年3月から女性としての人生を始めている。

「毎朝起きると、鏡に映る自分を見つめて“ワァー、凄い”と言う。今まではそんなこと出来なかったのです、鏡の自分を見つめている何者かは自分ではなかった気がしたのですから。」とプラウスは自分の達成感に満足している。

性の自認には生物学的な根拠があると医学者たちは想定しているが、しかし生物学上のどのような仕組みが性別を決めるのかについては誰もまだ結論を出せないでいる。性意識の決定には個人の個性とその文化的背景が相関して影響することもあり得る、と言うのはジョンズ・ホプキンス大学の性行動調査班のクリス・クラフトである。

性転換のプロセス

生物学的に性別を変えたい人は、まず最初のステップとして精神カウンセリングを受けなければならない、と説明するのはカリフォルニア州・ビバリーヒルズの形成外科医のゲーリー・アルター医師。一年間もかかるこの精神治療プロセスを経ずに彼のもとに来る患者はいないと言う。

セラピストの診断書で認定されてから、医師の指導のもとにホルモン治療が行われるようになり、この時点から本人の希望により自らの望む性での生活を始めることができる。

男性として生きたい女性は、外科手術でまず乳房を除去する場合が多い。ホルモン治療のテストステロンの作用で、ほぼ2年後には顔のひげや胸毛が生えるようになる。

女性として生きるのを望む男性の場合では、女性から男性への転換の場合とくらべて、外科的方法で性器官を変えるのを選択するケースが目立って多い、とアルター医師は言う。男性のペニスを作る方法は、女性に備わっているクリトリスを使って小さなペニスに作り上げる方法から、前腕部の皮膚筋肉組織を移植してペニスに作り上げる方法などがあるが、いずれも完全とは言い難く、多くの患者はただ乳房を除去するだけで満足している。
(注)バンコクのPAIでは前腕部ではなく、移植の傷跡が目立たない腹部皮膚筋肉を使ってペニス形成を行っている。

一方、男性の身体に女性の性器官を造るのは、望むような結果が得られることが多い。アルター医師の方法は、ペニスの先端をクリトリスとして整形して使い、そして膣のスペースを新たに造るというスタンダードになっている方法である。

社会への適応

ジェンダー(性意識)の転換の道をすすむ人々で、途中で引き返すケースはまずないとみてよい。とくに外科的方法が取られている場合はなおさらである、と専門家たちは言っている。

「目に見える男になって」という本の著者で、現在60歳のFTMジャミソン・グリーンは、乳房除去から男性器形成まで外科手術を受けて男性となり、性を変えたのは自分の行った行為のなかで人生最高の決断だったと述べている。

「そのことについて人に話すことには抵抗は感じません。最初はやはり心配しましたが、当時はこの性転換症についての理解がなくサポートグループなどもなかったからです。ただ当時から感じていたのは、恐れや恥という気持ちを抱きながら生きていくのは健康によくない」、ということでした。

40歳でトランスへの道を歩み始めたグリーンは、その時点では何の接点もなかった女性と結婚して、今は幸せに暮らしている。プラウスはトランス開始から知り合いだった女性と結婚している。またマデンにはボーイフレンドがいる。

マデンは言う、「自分は精神病だと思いこんでいた時代は本当に長くつらかった。今はそんな気持ちは完全に消え失せてしまっている。」

ただ、この三人とも、自分の周囲の人々が受けたショックや当惑は感じざるを得なかった。グリーンの場合は、母親を納得させるまでに5年もかかった。プラウスの息子の一人は口も聞いてくれなくなった。マデンの女性との結婚はトランスしている間に破綻していまい、子供たちも苦悩の時代を送った。

しかし、三人とも自分が選らんだ性で生きていることに多くの意味でよかったと思っている。

医師のプラウスは言う、「私の患者さんは前よりもいい医者になったと言ってくれる。自分自身を隠すことに余計なエネルギーを使わなくなったのがいいのかも知れないですね。」

精神科医は、性転換をする人は新しい性意識を身につけて行動するようにし、性同一性障害の過去やトランジションの過程を隠さないように勧める。しかし、新しく身に付けた性役割で「パス」できている人も、ばれた場合のリスクを恐れて、身近で信頼できる少数の人にしか打ち明けない人も多い。

クラフトの見解では、女性から男性になる場合にくらべて、男性から女性に転換するトランスセクシュアルの方が直面する問題が多いと言える。男として生き始めた人たちは、とくにそのトランジションの振幅が大きく際立っている場合には、それだけ直面する悩みも大きい。

今は“チャズ”という愛称で呼ばれるチャスティティ・ボノの場合は、ゲイの権利擁護の運動家として有名であった。それだけに有名人の場合は、もっと複雑な性転換の当事者ということになれば問題がより深刻になってくるのは想像できるでしょう、とクラフトも言っている。

注〕FTMのチャスティティ・ボノについては次回の投稿で詳細をお伝えします。

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