2012年8月10日金曜日
”トランスジェンダーの母”の葬列
マレーシア、”トランスジェンダーの母”の葬列
いまマレーシアのクアラルンプールに滞在中です。8月9日付けの現地英字紙「The Star」
にトランスジェンダーに関する記事がありましたので、ご紹介いたします。
********** マレーシアではめったに見られない、数百人のカラフルなインド系住民の葬儀の行列が人目をひいた。歌をうたい、踊り、楽器を弾きながらこの葬列に参加したのは、かれらが”母”と親しみをこめて呼んでいたM. アシャ・デヴィに最後のお別れを惜しむ人々でした。
首都クアラルンプールに隣接するプタリンジャヤ市で行われたこの葬儀には、マレーシアにとどまらず世界各地からトランスジェンダーの参列者が集り、”トランスジェンダーの母”にお別れを惜しんでいました。アシャはトランスジェンダー社会では、ここマレーシアだけでなく海外でも尊敬を集めた人物だったのです。
この葬儀はインドのヒジュラと呼ばれるTJコミュニティーで行われる葬儀とよく似ています。ヒジュラは社会的には”男でもなく女でもない”存在として認知されており、インドの一部のマスコミなどでは去勢者(宦官)と呼ばれています。
ヒジュラ社会では、施しを受ける、新生男児の健康を祈ってお礼をもらう、お祭りや集会などで歌や踊りを披露する、女神を祭る寺で仕えるなどが、むかしから生活の糧を得る方法でした。
アシャは”Asha Amma”アシャお母さん)と呼ばれて親しまれ、ここチョウキット地域の”インド人ゴッドマザー”と呼ばれていましたが、8月7日68歳にして心臓病でこの世を去りました。マレーシアのトランスジェンダー女性としては最高齢でした。
アシャは20歳代前半に性転換手術を受け、29歳のときに女性として公式認定されIDカードを政府から交付されています。
その後正式に結婚もし、14年前に夫が死去してからは地元チョウキットで小さなレストランを経営していました。彼女を知る友人によると、アシャはトランスジェンダーの人たちが女性としてのIDカードを取得する手助けや、性転換手術をうけたいと希望する人たちのカウンセラーとして信頼されていました。
この彩り華やかな葬列はセントゥール火葬場まで続き、アシャの死去はここマレーシアのタミール語新聞では大きな扱いで報道されています。
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〔付記〕
マレーシアは人口約2500万人で、およそ60%がイスラム教徒のマレー系、30%が華僑系、10%がインド系の住民です。インド系は英国統治時代に労働力としてインドから連れてこれらたタミール人が多くタミール語、マレー語、英語を話す人が多い。実業家として成功した例も少なからずありますが、やはり大多数が社会的には下層を占めています。
アシャが性転換手術を受けたのはどこかは分かりませんが、およそ45年前ということになります。結婚もできるほどのちゃんとした手術がこの時代にすでに行われていたのは驚きです。
とにかく20台前半という若い時期に手術するのは、生まれたままの性での人生がまだ短いので、本来のジェンダーに合った性での生活には早く適応できる、というプリチャー先生の言った言葉を思い出します。
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