2007年7月10日火曜日

親・家族のためのGIDガイド (その3)

親・家族のためのGIDガイド (その3)


治療へのステップ

性的な違和感をやわらげるため、医師の診断なしに自分で女性ホルモンなどを購入して服用を始めるなどのケースも現実には少なからずあります。しかし、正式な治療に向けて進むには通らなければならないステップがあります。これには厳密な順序があるわけではありませんが、医学的な治療へ進むためには必要な段階を経ないと健康上の障害も起こり得ますので、まず精神科医の診断から入るのが常道です。

精神科医の診断
まず正式な治療の第一歩は専門医による診断です。精神科医なら誰でもよいわけではなく、GIDを扱った経験のある精神科医が望ましいですから、事前に医師の経験を確認してから訪問するようにしてください。また、医科大学などの付属病院にはジェンダークリニックを設置している病院もありますので、調べてから行動を起こしてください。

ホルモン治療
精神科医に相談のうえ、問題なしと判断された場合には、ホルモン注射・投与による女性化(MTFの場合)や男性化(FTMの場合)が始まります。すでに誰にも相談しないで、あるいは当事者同士の情報交換でホルモン剤を購入して治療を開始している人もいますが、専門医の指導を受けることが大事です。手術後もホルモン治療は続ける必要があり、素人判断では精神不安定などの症状に悩むことがあります。

治療費用の準備
いったんホルモン治療を始めると、身体の中で女性化(または男性化)が進行しているため、もう後戻りはできません。希望する最終目的に向けて費用を確保する計画を立てなくてはなりません。手術を希望する場合には多額の費用がかかりますので、計画的に資金計画を立てる必要があります。

手術を受ける医療機関の検討
MTFであれ、FTMであれ、精神科医やホルモン治療だけではGIDの症状は消えることはありません。ほとんどの場合、最終的には何らかの外科的手術が必要になります。日本では1964年に起こった「ブルーボーイ事件」という不幸な不祥事のため、性転換手術は医学界では異端視された結果、欧米諸国やアジアの他の国とくらべて大きく出遅れました。その結果、正式な形の性転換手術は1998年に再開されたものの、経験のある医療機関や医師は非常に限られていて、2007年現在でも日本全体の症例数は100例にも達していないのが現状です。いつまで待てばよいかわからない国内での手術よりも、経験豊かな外国の医師の手術を受けるという方法も、大いに現実味のある選択肢として検討する必要があるでしょう。

家族へのカムアウト
親や兄弟だから理解してくれるだろうと楽観はできません。逆に身内だからこそ認めたくないという心理が働くのもわかります。家庭内の平穏を乱すような内容だからです。同居している親なら、日頃の言動から何かおかしいとは感じているはずなので、時間をかけて徐々にGIDの情報を与えて理解を助ける準備期間も必要でしょう。全員に同時にカムアウトする必要はなく、家族の中でも一番信頼できる人にまず打ち明けてみるのもいい方法かもしれません。

社会的カムアウト
いつ誰に、どのように打ち明けるかは大変重要です。友人はともかく、職場での人間関係や仕事の関係先に対しては慎重に考えて行動する必要があります。信頼できるGID当事者、職場の上司、友人にまず相談して、時間をかけてあせらずに行動してください。手術が無事終わってからも、以降の仕事や社会生活にいかに適合していくかはますます大事になります。

名前の変更手続き
精神科医の性同一性障害との診断書が下りれば、名前を変更する手続きができます。パスポートなどの性別欄変更は性別適合手術が終了するまで待たなくてはなりません。

脱毛処理など
男性から女性の場合(MTF)では、顔のひげ、手足の脱毛などの女性化に向けての準備にかかります。これには長期の時間とかなりの費用がかかりますので、できるだけ早めにとりかかる必要があります。またSRSに直接関係する部分の脱毛は個人差がありますので、できるだけ早い段階で医師またはカウンセラーに相談して必要な処置をすることが大事です。

声の女性化
MTFの場合には女性的な声をどのようにしたら出せるか、というのは大いに気になる問題です。男性的なのど仏を小さくするには外科的な手術が可能ですが、声の質を変えるのは外科的な方法ではほぼ不可能と考えた方がよいでしょう。声のピッチを高くするのは手術で可能といえば可能ですが、結果としてどのような声になるかは予測ができませんので、リスクの高い方法といえます。世界の専門家の最大公約数としての意見では、俳優のようにじょじょに女性的な発声法を練習して身につけていくのが一番現実的であるということです。FTMについても同様のことが言えます。

メーキャップ・服装
これも自分なりに試してみて、時間をかけて慣れていくしかないようです。ただ、あまりに女性を強調したメーキャップをすると不自然さが目立ち、違和感を与えてしまいます。服装も同じです。まず中性的(ユニセックス)な印象をイメージしてじょじょに慣らしていくのがよいでしょう。

戸籍の性別記載の変更
これは性別適合手術が終了して、医師の診断により反対の性に類似した外観の生殖器官をもつことが確認されるまで待たなくてはなりません。手続きは各地の家庭裁判所の管轄となり、必要書類提出後3ヶ月ほどで許可がおります。これで、パスポートなどの公的書類の性別変更も可能になり、社会生活に関連する書類等もすべて性別表記の変更ができます。

社会生活への適合
これで本来の自分の性での生活が本格的に始まることになり、それまで周囲へのカムアウトはある程度進んでいるわけですが、これで解決と考えるのは危険です。まだまだ周囲は自分が期待するほど理解しているわけではありませんので、慎重に配慮しながら職場や社会環境に適応していかなければなりません。まだまだショックを受けるような周囲の反応がありうるという心の用意はしておかなくては無防備というものです。周囲に悪意があるわけではありません。GIDというのはそれほど普通人には理解がむずかしいという一言につきます。

手術後の治療の続行
手術が終わればすべて完了というわけではありません。術後1ヶ月ほどで社会生活に復帰できます。約6ヶ月で安定して手術跡も気にならなくなりますので、それまでに大きな問題がなければひとまず安心してよいでしょう。ホルモン治療は引き続き専門医の定期的な診断を受けながら続けなくてはなりません。

性別適合手術(SRS)について
前にもふれたように、すべてのGID当事者が手術を望んでいるわけではありません。手術しなくても反対の性での社会生活さえ満足にできればよい、と考えているGID当事者もいるのは事実です。ただし、世界的にみても性転換手術なしには自分の長年の悩みは解消できないと思う人が大部分を占めているのも事実です。また、医者の方から「あなたは手術すべきです」とか「手術は必要ありません」と言うことはありません。通常の病気とは違うため、手術するかどうかはGID患者自身しか決められないのです。

ほとんどの国で性転換手術には保険は適用されず、日本でも同様です。また多額の費用を覚悟しなければなりません。さらに実施している医療機関や経験医が少ないため、数ヶ月から1年上の待ち時間が必要なのが実情です。

 MTF手術(男性から女性)の概略

病院や医師により手術方法が異なる場合があります。以下はタイのPAIを主宰するプリチャー医師(MTF手術実績は3,300例と世界で最も実績のある医師の一人)の手術方法を参考例とします。

●睾丸摘出 (これだけは利用価値のない唯一のものです。残りはすべて役に立ちます。)
●陰茎の加工 (陰茎の周辺をとりまく海綿体はそぎ落とされますが、陰茎は切り取ることはなく、亀頭の一部はクリトリスとして利用されます。ひも状の神経組織もそのまま生かされます。尿道も短くして再利用されます)
●新膣形成 (深さ約15センチの膣となるポケットが、内部の周辺組織を傷つけないように慎重に造られます)
●陰茎の皮膚及び陰嚢の皮膚を利用して、膣の内壁が造られます。
●クリトリスの形成 (亀頭部分を小さくして恥骨部分に埋め込み、感覚はそのまま残ります)
●新尿道が形成されます。(術後5日間はカテーテルで排尿します)
●陰嚢の皮膚を利用して大陰唇、小陰唇が形成されます。
●MTF手術の所要時間は3時間で、このワンステージですべての手術が完了します。
●病室はすべて個室で、入院期間は5日間。その後ホテルに移り、その10日後には帰国できます。
●MTF手術費用はUS$8,100です。(2007年6月より)
●豊胸手術や顔などの女性化のための美容整形手術も同時に受けることができます。


 FTM手術(女性から男性)の概略

FTM手術も280例の実績のあるPAIの手術法を参考例とします。通常は4段階に分けて、また3ヶ月から6ヶ月の間隔をおいて次のステージに進みます。

●第1ステージ: 卵巣・子宮摘出、尿道延長術、乳房切除術 
(手術費US$8,100)(バンコク滞在:7-9日間)
●第2ステージ: 陰茎形成術 (腹部皮弁使用) 
(手術費US$6,900)(バンコク滞在:16日間)
●第3ステージ: 尿道形成術、シリコン睾丸形成術 
(手術費US$3,500)(バンコク滞在:8日間
●第4ステージ: 陰茎にシリコン挿入、亀頭形成術、必要な場合の修正手術 
(手術費US$3,500)(バンコク滞在:6日間)
●手術後にはペニス自体の性感はありませんが、クリトリス性感は維持され、性的満足感を得ることは可能です。また立ったまま小便ができるため、男性としての実感がわきます。
●第4ステージまでの手術費総額はUS$22,000です。(2007年6月より)


親はどう対応すべきでしょうか

息子や娘から性の違和感について打ち明けられたときは、当人にとってはもう我慢の限界に来ているときと思って間違いありません。しばらく様子を見ていれば変な症状は消え去るのではないか、という希望的観測や理解できないからと無視する態度をとるのは最悪です。

まず子供の決心を尊重してあげること、そして前向きに協力して進めるようサポートする意志を伝えることです。何ヶ月もかけるのでなく、出来るだけ短期間に親の意向を明確にして勇気づけてあげることが大事です。

前途にはまだ直面しなくてはならない多くの問題がありますが、家族が理解し合うことによって、悲観的ではなく現実的な対応策が必ず見つかるものです。

子供の性的違和感の症状について親として自らを責めてはなりません。本当に信頼できる一人の友人にまず相談するのもよいでしょう。家族全員に伝えるのは急ぐ必要はなく、タイミングをみて判断した方がよいでしょう。

気分が落ち着いたら地元にある自助グループに連絡してみるのも、今後の方針を探るのに役立つかもしれません。すでに多くの困難を乗り越えてきている体験者、先駆者の話を直接聞ける機会でもあります。

医師やカウンセラー、自助グループなどを共犯者とし敵視してはなりません。かれらはあなたの息子や娘を誘拐しようとしているのではなく、サポートの手を差しのべているだけです。

医師の診断を経て姓名変更ができた場合には、本人の希望する新しい名前で呼ぶように心がけるのも大きな精神的サポートになります。

新しい性での服装やメーキャップについては、傷つけない配慮はしながらも当人の参考になる意見を言うのも新しい親子関係を築くのにはいいことでしょう。

性同一性障害についての出版物はすでに数多くあります(参照:amazon.co.jp)。インターネットでも参考になる情報が次々と提供されていますので、できるだけ目を通して知識と共通の言語を身につけるのは大いに役立ちます。「知識は力なり」を早速実践してみましょう。


治療へのガイドライン

日本精神神経学会が2002年に提言した「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン-第2版」に、治療へのガイドラインが示されています。その中で基本方針とみなされる部分を、本稿の最後に治療への指針として以下に引用させて頂きます。

「性同一性障害の当事者における性のありかたは、極めて多様である。このことは、社会において価値観が多様化するなかで性のありかた自体も変化し、従来築かれた男女の性意識が変遷し、求める性役割も大きく変貌しつつあるという状況とも関係すると考えられる。このような実態を踏まえると、性同一性障害の治療は、単に男か女かという二分法的な性のとらえかたに依拠するのではなく、本人のなかで培われ、一貫性をもって持続するようになったジェンダー・アイデン ティティを尊重して、本人が最も良く適応できる諸条件を個々のケースにそって探り、その達成を支援することであるといえる。」

「性同一性障害の多様性について、初版ガイドラインにそった治療を求めるもの以外に、次のような例も認められる。身体的性別の特徴を希望する性別のものに変えたいと願いながらも、ホルモン療法を受けずに性器に関する手術のみを希望するケースや、あるいは乳房切除術ないしはホルモン療法だけを望み、性器に関する手術を希望しないケースもみられる。また強い性別違和に悩み種々の矛盾を感じながらも、家庭生活や社会生活を優先させるために精神的サポートのみを希望するケースなどがある。」

「このように当事者が求める治療は多様なものであるが、治療の必要性が性同一性障害に由来しており、治療によって社会に適応しやすくなるという恩恵がもたらされるのであれば、医療の立場から貢献するに十分な理由があると考えられる。性同一性障害にみられる多様性に対して画一的な治療を遵守させるのではなく、ジェンダー・アイデンティティのありかたと当事者自身の求める社会適応のありかたを尊重すべきである。したがって合理的で正当な範囲において、自己の責任において治療を選択し決定してゆくことが最善であると考えられる。」

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3回に分けたこの稿を一応しめくくりますが、家族の方に一番求められているのは、この性同一性障害に長年苦しんできた自分の家族の一員を、できるだけ理解しようと努め、物心両面でサポートしてあげること、そして大事なのは当人の選ぶ治療方法、生き方を尊重して見守ってあげることではないでしょうか。


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参考文献:
●イギリスのTS当事者団体「GIRES」のウェブサイト(http://www.gires.org.uk/)(GIRES=Gender Identity Research and Education Society)
●日本精神神経学会「性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン-第2版」
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