2007年9月1日土曜日

日本から外科医がいなくなる?



「これでいいのか日本の外科医療」

今年の3月17日に埼玉で開かれたGID学会に出席したとき、埼玉医大でSRS手術を受けた患者さんが術後の症状について相談にいっても相手にしてもらえない、と苦情を述べたところ、埼玉医大の先生からは、医師不足でなかなか思うように対応できなくて・・・という弁解めいた答弁がありました。医科大学病院で医師不足とは、一体どういうこと?と私はそのとき不審に思ったことを覚えています。

その後、日本各地で産婦人科や小児科医が不足していて、社会問題になりつつあるのを新聞やテレビで知らされることが多くなりました。つい3日前にも奈良県で受け入れ先の病院が何時間も決まらず、救急車の中で流産のすえ胎児が死亡するという事件が起こりました。これまでもこの分野の医師は勤務時間が読めなく不規則であるため、若手は敬遠しベテランは早期引退か転科するケースが多いとは聞いていましたが・・・・

ところで、昨日8月31日の日本経済新聞(朝刊)に驚きました。2ページぶち抜きの座談会形式の意見広告「このままでは、日本から外科医がいなくなる」が目に飛びこんできました。危機感をあらわにしたこの「広告」からは、医療現場からの悲鳴が聞こえてくるように感じられました。これを読んで、あの埼玉医大病院での「医師不足」や「性転換手術中止」の意味がやっとわかってきたように思えたのです。

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全文を読む機会のない方のために、参考までに要約だけ掲載させて頂きます。まず、以下の見出しだけでも内容の概略がわかります。
・外科医、外科志望者が急減  医療の将来に強い危機感
・外科医に大きな負担が集中  数の不足とは別の要因も
・医療の質を強く求める国民  若い医師は「3ない」を志向
・他科に比べて多い周辺業務  若い外科医の負担増に
・日本の医療費は最低水準  外科医の待遇改善も必要
・二十一世紀は治療学の時代  体に優しい個別化の医療へ
・医療費抑制策は見直しを  国民の視点で各論を議論

まず、座談会司会者の言葉から・・・・
「6月22日―23日に東京で開催された第32回日本外科系連合学会学術集会では、外科系医師の不足問題をはじめ、深刻な外科医療の実情が報告されました。労働環境の劣悪さや医療リスクの高さなどから、現場の外科医は疲弊し、外科を志望する若い医師が減少しています。そこで、外科医療に深くかかわってこられた先生方に・・・・」

以下、座談会出席者の方々の意見を抜粋・要約して掲載させて頂きます。
兼松隆之 日本外科学会会長
「疲弊して肩を落としながら働いている先輩の外科医をみると、医学生や研修医は外科を生涯の職種として選択することに二の足を踏むのは当然でしょう。そのような厳しい環境の中でも、外科医は高度の技術と安心医療との両方を求められるのです」
「外科は一人前の腕を発揮できるようになるまでには、ほかの領域に比べて時間がかかります。5年間外科の修練を積めばどのような手術ができるようになるのか、10年たてばどうか、あるいは外科専門医の資格を取得すればどのような処遇がされるのか、といったわかりやすい指標を示すことも必要かと思う」

中島正治 社会保険診療報酬支払基金理事
「私も以前は外科医として臨床と研究をしていたので外科医の友人たちともよく話をしますが、彼らは口をそろえて、最近の外科の現場はきついのでもう辞めたいと言います。若い外科医たちもかなり音を上げているようです。そうした状況は、産婦人科や小児科でも同じです。私は行政に移って20年ほどになりますが、こうした状況になったのはここ数年という印象です」

鈴木満 日本医師会常任理事
「国民の医療に対する目も非常に厳しくなっており、国民が医師を批判的に見る傾向も強まっている。そうしたことも医師の偏在をもたらしているのではないか。今の研修医は、経営基盤のしっかりした病院、訴訟につながるような問題を適切に自己保全ができるような医療施設を選んで研修を受けようとしています」

北島政樹 国際医療福祉大学副学長
「かつて若い医師は、汚い、きつい、厳しい、という3Kを嫌うといわれましたが、今は「救急がない」「当直がない」「ガンがない」の「3ない」の診療科を選ぶ医師が多いのです。日本の医療は医師の奉仕で長年支えられ、質の高い医療を低コストで提供してきたわけですが、最近の若い医師は自己犠牲を強いる日本の医療に見切りをつけたということではないか。「3ない」を求め、低賃金で高リスクな医療現場から離れていくのです。」

兼松隆之 日本外科学会会長
「外科医がもっとも時間とエネルギーを使うのは手術です。また、その手術の前後の管理も外科本来の仕事です。それに加えて、以前に比べて重要性を増しているのが患者さんへの説明です。インフォームドコンセントも以前とは異なり、かなり時間をかけて、詳しくお話をするようになってきました。ただ、その説明の場の設定が患者さんの都合に合わせて、夜間や休日となることも少なくありません」
「アメリカであればテープに録音しておけば専任のタイピストが仕上げてくれる手術記録も、日本ではほとんどの外科医が疲れた体に鞭打ちつつ仕上げています。また、手術で取り出した標本の整理も待ったなしです」

加藤治文 東京医科大学副学長
「近年は医療技術が著しく進歩しており、それに伴って習得すべき知識や技術も着実に増えています。また医療の安全がより重要視されるようになり、医療現場に求められる業務内容もより複雑化しています。そうしたことの多くが若い医師に委ねられており、劣悪な労働環境というのはそれらの積み重ねだと思います。これらの課題を改善するためには、資金も必要ですが、医療費の抑制がその阻害要因になっているのではないでしょうか」

北島政樹 国際医療福祉大学副学長
「単に医療費の対GDP比を上げようというだけでなく、その配分方法まで考える必要があります。例えば、米国のように診療費をドクターフィーとホスピタルフィーに分け、診療に対する医師の意欲を高めるなどして、医療そのものの活性化を図ることが医療現場の改善にもつながると思います」

兼松隆之 日本外科学会会長
「二十世紀後半は診断学が急速に進歩した時代で、CTやMRIなどの画像診断技術が開発され、血液検査でも診断の精度は格段に向上しました。二十一世紀は治療学の時代で、その治療学の中心こそが外科学です。」

北島政樹 国際医療福祉大学副学長
「今から130数年前に、医師でない福沢諭吉が、将来はあたかも口の中を見るように子宮や胃の裏まで観察できるようになると、腹腔鏡を予見していますが、その中でまた、「医療は外科より進歩す」とも述べています。今、二十一世紀の医療はまさにそのようになってきているのです。体に負担の少ない個別化した治療を実現するためにはコストもかかると思いますが、積極的に発展させていくことが重要だと考えています」

鈴木満 日本医師会常任理事
「以前は、経済的で技術も優れているといって、海外から日本に来て手術をする例がありましたが、最近は同様の理由で、日本人がシンガポールやタイなどへ手術旅行に行くという話を聞きます。そうした状況はたいへん残念ですし、絶対に是正されなければならないと思います。世界の人たちが日本の医療を求めてくるように、医師の手で医師の環境整備を行う必要があると考えています」

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護送船団方式に守られた日本の医療制度が、きしみを起こして悲鳴を上げているのが聞こえるような気がしました。今後の日本の将来を考えると、医療界だけでなく政治、行政、さらに国民自身の意識改革がせまられているのではと強く感じます。

病院自体の崩壊・閉鎖などもヨーロッパ、アメリカなどの先進国ではめずらしくなく、日本もその仲間入りを果たしているのが昨今の現状です。一例を上げれば、訴訟社会として有名なアメリカを見習ってか、日本でも医療訴訟が増えています。明らかな医師・病院側の過失に泣き寝入りはしないという患者側の姿勢は評価できるとしても、手術を受けても治らなかったり、死亡したら医師の過失として訴えるのは珍しくなくなりました。これは良いことなのか、それとも医療崩壊への一歩なのか・・・・、欧米先進国から学ぶことはまだまだありそうです。

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タイの病院事情について
私の知るタイ国でも公立、私立病院間での医療格差が問題になっています。原因は単純なのですが、前首相のタクシン氏が与党の人気取り政策としてろくな議論もせず導入した「30バーツ治療」のため、公立病院ではどんな治療であれ30バーツで治療しなければならなくなったのが発端です。30バーツといえば日本の経済感覚では吉野家の牛丼一杯の値段です。国民皆保険制度のないタイでは、とくに地方の低所得層はよろこび、他のばらまき政策も手伝って、次の選挙で与党は歴史的な大勝利をおさめ、タクシン氏は思うままの政治運営を行います。当然のように利権がはびこり、都市の知識階層や学生が反タクシン運動を起こし、ついに昨年9月の外遊中にクーデターで首相の地位を失い、未だに亡命生活を送っています。

公立・私立病院での格差とは要するに、医師側がこんな治療費ではろくな待遇も期待できないと、多くの医師が私立病院へと転職していったための医療レベルの格差です。このため中流以上のタイ人は値段が高くても私立病院を選ぶ傾向が強くなっています。上の座談会にも出てきますが、アメリカと同じくタイでも、患者から受け取る治療費には「ドクターフィー」として医師個人の取り分が病院の取る「ホスピタルフィー」とは明確に分けられています。有能で症例数も多い医師なら収入も比例して多くなるわけです。この分母となる数字が、牛丼一杯分の30バーツでは医師がやる気をなくするのは攻められないでしょう。

その影響があるかどうかは別として、タイの私立病院は医師や看護婦の数は豊富だといえます。病院間の患者獲得競争もあり、設備や治療法なども最新のものを海外から導入して、年間100万人をこえる外国人患者を治療するアジアのメディカルハブを目指しています。これはタクシン前首相の功績かもしれませんが・・・・

日本のSRSの将来は?
SRSに係わる私たちにとって5月の埼玉医大のSRS中止のニュースは全く想定外の出来事だったと思います。発表された学長の談話には、一時中断するとのニュアンスがなきにしもあらず、でしたが事実上は再開困難だというのが私の個人的な感想です。理由は簡単です。最初から実際の手術を担当され中心的な存在であった先生がお二人そろって辞められたこと、この手術は一人では困難な複雑な手術であること、後継者が育つには多くの症例をこなし経験を重ねるしかないこと、日本にはSRSを教えるだけの経験医が存在しないこと、そしてどこの医大や病院でも失敗した場合のリスクに対応する自信がなく、おっかなびっくりでやっていること、などです。

先日、プリチャー先生が来日した折りに言うには、「どこの国の医師も同じだが、医師というのは自分独自の技術はひとには教えたがらないものだ。しかし、わたしは乞われればどこの国の医師でも自分の技術を教える用意がある、企業秘密も含めてだ。」

「ブルーボーイ事件」などもう言い訳にするのははずかしいです。先進国である日本でSRSができない、などという情けない状況にはなってほしくないと本心で思います。

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