2013年12月29日日曜日

インドのゲイ・レズビアンはまたもやクロゼットに逆戻り

LGBT関連ニュース(インド)

インドのゲイ・レズビアンはまたもやクロゼットに逆戻り

Bangkok Post – Business News (16 December 2013)

記者: Sanjay Austa

このニュースのちょうど一週間前の台湾での明るいニュースを取り上げた直後に、今度はインドでは時代に逆行する司法判断が最高裁より出されました。LGBTに関する台湾とインドのこの両極端ともいえる司法の扱いが、今後のアジア諸国の社会にどう影響するかも注目して見守りたいと思います。

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<写真> 「僕を逮捕してくれ。誇りをもって犯罪者になろう」ニューデリーでのゲイ活動家たちの植民地時代に逆行する判決に抗議するデモ。

<記事訳文>

インドにおけるゲイの姿を想像しようとした人たちはおそらく撚りあげた髪の毛、肌にイレズミを入れ、ピンクのシャツを着て唄を歌うように媚びた話し方をする、はでな身振り手振りのタイプを想像したにちがいない。

かれらのアイドルといえば、ゲイであることを派手に誇示するロヒート・バル、デヴィッド・エイブラハム、マニシュ・アローラのようなファッションデザイナーと思ったにちがいない。ファッション業界での彼らのカリスマは絶大で、駆け出しのデザイナーにとってはゲイであることは有利であると思われていた。

しかし、ファッションの世界の妖艶さや華やかさとは遠い世界に数百万人のゲイやレズビアンが沈黙のうちに絶望感にうちのめされていたのです。髪の毛を染めることもなく、身体に刺青を入れることもなく、映画の都ボリウッドの典型のようなこれみよがしの気取りなどみじんも見せない人たちの集団のことです。

この人たちは近所にいるごく普通の人たちで、普通の格好をし、普通の仕事をし、どこにもいる中流階級の未来への希望をもっている人たちです。その多くが小さな町や村に住み、自らの正体は明らかにすることなく生活していました。そのような時代の2009年にデリー高等裁判所が刑法377条への判断をくだして同性愛を無罪とする判決を宣告し、このようなサイレントマジョリティの人たちは自分たちの声を取り戻すことになったのです。

ゲイであることはもはや犯罪行為ではなくなったのです。かれらの肩の重荷がスーッと消え去ったのです。刑法377条は英国のマコ―レイ卿が1861年に起草した植民地施行法令で、同性愛を自然の法則に反する不純な性行為とみなして処罰の対象としたのです。

しかし、今年2013年の12月11日、最高裁判所は何百万人というゲイの男性と女性をクロゼットに押し戻す判決を下しました。デリー高等裁判所の判断をくつがえしてホモセクシュアルの行為を再び犯罪行為と裁定したのです。

5000万人以上といわれるインドの同性愛者たちはふたたび犯罪者として断罪されるのです。この裁定は多くの人々にショックを与え、自発的な抗議の声がオンラインとオフラインを問わず国中に湧き上がりました。

抗議の声はなぜこの世界最大の民主主義国において、合意する大人同士がプライベートな空間で何をしていいのかも自分で決められないのか、という一点です。インドは乳母の世話にならなければやっていけない国になろうとするのか?

インドのイメージそのものが時代に逆行するこのような判決により傷ついている。「今日という日は偏見と人権無視の記念日である」、と著名な作家で自身もゲイであるヴィクラム・セスは言う。

しかし、薄暗いクロゼットからやっと出られて社会の中間層で目立たなく生きていたゲイの男女にとっては、今回の判決の与える影響は計り知れない。

「判決を聞いた時には声をあげて泣きたかった」と29歳の映画制作者のシュレ・二クは言う。「私の場合は母親に同性愛とはどういうものか納得してもらうのに本当に苦労しただけに、家族もやっと私の悩みを理解しはじめた時に今回の判決が出されたのは衝撃でした。とつぜん私は犯罪者の仲間です。この判決は時代が200年も逆戻りしたも同然です。」

調査研究学徒である29歳のワリッドの場合はもっと運が悪かった。彼の家族は彼の考え方を理解しようとする態度を一度も示したことがなかった。父親はもしふたたび彼が同性愛の話をもちだしたら、刺し殺してやるとさえ面と向かって言う始末。今回の最高裁の判断は家族の立場をいっそう強固なものにし、「だから言っただろう!」という態度をこれみよがしに示すようになっている。

「私の父親は私が同性愛者であるよりは死んだ方がよい。われ等の宗教は同性愛を認めていないし、それだけ言えば十分だろう」と父親からはっきり言われたとワリッドは言う。

今回の最高裁の判断は警察にもLGBTコミュニティに対して脅しやゆすりの口実を与える絶好の機会を提供するだけだとワリッドは思っている。「ゲイ仲間同士が集まることやパーティを開くことは、警官に捕まるリスクの覚悟なしにはもうできなくなる。いったん捕まればどんな言い訳をしようとも賄賂の要求から逃れられないだろう」とワリッドは言う。

30歳のビジネスマンであるアンシュ・タクールも同じ意見である。彼も友人から警察がかぎつけて捕まえに来ないように今のうちからゲイのウェブサイトから名前を消した方がよいとアドバイスされたという。「今では自分の安全が脅かされていると感じる。もし自分がパートナーと一緒にいて手をにぎっていれば刑法377条により罪に問われかねない。デリー高等裁判所の判決のあと我々が抱いていた明るい希望はすべて死んでしまった。」と彼は言う。

アンシュもまた自分の同性愛について家族を説得するには苦労した経験がある。「うれしいことに家族は私のことを愛してくれており、今では自由にさしてくれている。同性愛についてはもう話題にしなくなった。心の奥では私がいつかストレートになって女性と結婚し、私のために用意してくれていた生活を送ってほしいと願っているのではないかと思う。今回の最高裁判決は家族を前にして再び私の身の置き所がなくなった気がしてしょうがありません。」とアンシュは言う。

デリーの学生のサンバーヴ・カアリアはボーイフレンドと一緒にスペインに移住したいと数年前に両親に打ち明けたことがある。その時は両親は彼がインドに留まることを望んだが、今度の判決を聞いた後では二人のスペインへの移住には同意すると言っている。

「この判決のニュースを聞いてすぐ私の頭をよぎった想像は、大勢の若いLGBTの人たちが毎日のように自殺するイメージです。それは大都会だけでなく、このような法律の格好の餌食になっていた小さな地方の町に生きる若いひとたちです」とサンバーヴは言う。

28歳のスミロンは女性のスポーツ心理学者で、もう長年にわたって自身の結婚のことについてはのらりくらりと結論をひきのばしにしてきたが、母親は結婚すれば彼女の「症状が治る」のではないかと期待しているようだ。今回の判決が出てからは結婚の問題はもうこれ以上先延ばしにはできないと感じているとスミロンは打ち明ける。

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<訳者コメント>

  台湾の明るいニュースの直後だったので、このインドのニュースは衝撃的です。もう20年ほど前のことですが、2年にわたり4回ほどインド各地を旅行した経験があるので、あの悠久の大地のはかり知れない磁石のような力がそう簡単には人間を開放してくれないのか、と思いたくなります。

  その偏見の根幹はやはりヒンズー教、イスラム教などの宗教です。自由の国アメリカでさえ同性婚を認める州の数はじょじょに増えてはいるものの、州単位の地方分権という政治形態に救われているだけで、カトリックを先頭とするキリスト教の教義をかたくなに守ろうとする団体や個人は少なくありません。アメリカですらLGBTは未だに偏見と誤解と無理解に翻弄されているのです。

日本は特定の宗教にこだわりを持たない世界でもユニークな国です。あらゆる宗教をのみ込むおおらかさがあり、宗教的偏見が個人の自由や人権を侵すというケースは狂信的な小さな教団をのぞいてはごくまれです。

LGBTは先天的にそなわった性指向によるもので、時代背景や社会的な影響とは関係なく個人のなかに顕在化してくるものです。社会的、法的差別の対象になるいわれはないのです。該当する個々人の人権を尊重し社会的に不利益な扱いをなくすという目的を明確にした政治的な判断と政治家の参画があれば、関連する法律を改定してLGBT者がもっと自由に生きられる環境が実現する日が必ずくるだろうという気がしてなりません。

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