2012年5月9日水曜日

SRS?GRS?

Gender & Sexuality

何気なく使っているこのような用語に深い意味があることに、あらためて考えさせられる機会がふえて頭を悩ませていました。私はGID当事者ではないので、このような問題を客観視できる立場から私見を述べてみたいと思った次第です。

     <トイレでは「男」と「女」しかないですが、これでよいのか?>

セックスか、ジェンダーか

一般に通用している「性別適合手術」という言葉はSex Reassignment Surgery(SRS)の訳語ですが、これをGender Reassignment Surgery(GRS)と呼ぶ人もいます。タイのプリチャー医師もその一人で、以前からGRSという用語を好んで使っています。SRSが一般的な今ではGRSは古い用語なのだろう、くらいにしか思って深くは追求しなかったのですが、最近ちょっと待てよと思い始めています。GRSにはそれなりの意味合いがあるのではないかと・・・・。

つまり“Sex”と“Gender”の違いと、その相互関連性です。俗っぽい言い方をすれば、“セックス”というのは両脚の間にあるもの、“ジェンダー”というのは両耳の間にあるもの、という明瞭な区別がありますが、両者には密接な関連があります。

ジェンダーセックスの不協和音

両耳の間というのはもちろん脳に関する分野で、神経や精神性をつかさどる通信司令室のある場所です。愛情、幸福感、また違和感や不協和音もここで感受します。両脚の間にある性器官もこの脳内の司令塔に影響を与え、またそこから指令を受ける関係にあります。

おいしい、まずい、甘い、辛いなどの味覚も舌の味蕾で味わうとはいうものの、実際は脳神経を伝わって脳内の器官が感知して味わうのと同じです。舌の味蕾と脳神経は切っても切れない関係にあるのです。ジェンダーとセックスも同じ関係だと言えます。

GID(性同一性障害)というのはジェンダーとセックスの間の不協和音が原因となる悩みですが、ジェンダーは脳神経に関わるもので現状の医学では手術であれ薬物手法であれ、これを変えることは不可能です。一方セックスに関する肉体器官は外科的処置で、完璧とはいえないまでも変えることは可能です。性器官を外科手術によって、男性から女性へ、女性から男性へ、と転換して性別を再指定するのだから性別適合手術(=性別再指定手術)はSRSでよいわけです。この手順をふむことでジェンダーとセックスとの違和感が解消して、生来の性意識に基づく人生が送れるようになる、というのがSRSという外科的処置の果たしている役割だと思います。

セクシュアリティとは?

ところが、性転換手術のアジアの草分け的存在であるプリチャー医師がなぜGRSを好んで使うのか、思い当たるケースに出会う機会が何度かありました。それは、すでにSRSを受けた当事者にも自分の性的指向の対象が異性なのか同性なのか明確でないひともかなり存在することです。

「MTF=男性から女性」を例にとれば、SRSを経て女性になったものの自分の性的指向が異性である男性なのか、手術の結果いまや同性となった女性に向けられているのか、明確な自覚がないという場合です。

生物学的には男性として生まれ育った人が自分の性別に違和感を覚え、SRSを経て念願の女性になれたわけですから、今や異性である男性に性的興味をもつのが普通ではないか、と思うのが“普通”です。ところが、例外というよりは簡単に型にはめてはいけないケースが多々あるということです。

性愛に興味のない人

一般人の中にも「エイ・セクシュアル=asexual」というとくに性愛に興味をもたない人もいるのです。“草食系男子”が増えつつある日本でも言えることですが、アメリカのアルフレッド・キンゼー調査でも未婚の女性では14-19%、未婚の男性では3-4%が、対象が異性であれ同性であれ性的接触に一切の興味をもたないと指摘されています。GID当事者にも同じような傾向をもつ人がいても驚くにはあたらないかもしれません。

念願の女性の身体になったのに、性的興味の対象は意外にも“同性”の女性だった、つまり同性愛指向だったという人もいるのです。心を許し、肉体的な愛情表現の対象として持続的な関係をもてるのは、意外にも同性だったと気付くポストSRSの例は少なくないかもしれません。つまりゲイやレズビアンの関係がトランスセクシュアル当事者にも同じように存在するというのも事実です。レズビアンから派生した“トランスビアン”という言葉もあるそうですから。

ジェンダーとセクシュアリティの相性

ここで興味深いのは、SRS後にどういう性的指向に向かうかは実際に性体験をしてみないと分からない場合があることです。多くのGID当事者は、長年悩みぬいた肉体上の性別の違和感から逃れるために必死の思いでSRSまで進むのが精いっぱいだったことは想像にかたくないでしょう。そのような特殊事情を考えると、異性であれ同性であれ親密な人間関係なしにはむずかしい実際の性体験を経ていないGID当事者が少なくないのではと思われます。

ジェンダーとセクシュアリティの実際の相性テストを経ないままSRSを受け、事後に経験する性体験からはじめて自分のセクシュアリティが確認できたというケースが想定されます。この中には、異性愛もいるでしょうし、同性愛もいるし、性愛などなくても生きていける人もいるというのが現実の姿ではないかと思います。

ジェンダーと肉体的性別との葛藤がなくなっただけで、心の安定を得られたのが最高の幸せだったと感謝の手紙を送りつづけた老年のスイス人の話を先生から聞きましたが、「性転換手術」という単純な用語の裏にはGID当事者の多様な生き様があることを改めて教えられた次第です。

SRSを経てGRSに到達する?

つまり、SRS後にはじめてジェンダーとセクシュアリティの落ち着き場所(相性)が判明する、という見方に私は傾いています。この両者の相性が合致することによって、または両者の葛藤のないエイ・セクシュアルの境地に安住の地を見つけることによって、精神と肉体の安らぎが得られるのではないか。

それがSRSという外科的処置の目指すところであり、それが達成されれば究極の目的である精神(ジェンダー)の安堵が得られる。つまり、SRSはGRSという最終目標に到達するための手段であると言えるのではないでしょうか。

「セクシュアリティ」という肉体的性指向はあくまで「ジェンダー」という性意識の従的な存在なので、「意識上の性別をいったん白紙に戻し再指定する手術」という意味に解釈できる「GRS=Gender Reassignment Surgery」と呼んでもいっこうに差し支えなく、この方が読みが深い術名ではないかと思えるようになった、というのが私の反省です。SRSはGRSへの避けて通れない外科的処置と言ってもいいでしょうか。

プリチャー先生は手術後一ヵ月半経てばもう性交渉をしてかまわないというのが口癖で、ちょっと早すぎるのではと言うと、そんなことはない、一ヵ月半で大丈夫だとゆずらない。医者というのは多くを語らない人が多いので、その真意を類推しての話ですが、SRS後の出来るだけ早い時期にパートナーと親密な性的関係を体験することで、ジェンダーとセクシュアリティの落ち着き場所がきまり、当事者がすみやかに安堵できる境地に達するようにと願っての先生の温情である、と私なりに解釈している次第ですが・・・・。

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