2007年10月7日日曜日

タイのTSグループ、性別変更の立法化を求める


TSグループ、権利獲得の立法化を求めて立ち上がる

先回にビューティ・クイーンの話題を取り上げましたが、今回は個人のレベルから性的マイノリティーの人たちの社会的な権利獲得をめざす運動に目を向けてみましょう。

日本ではすでに戸籍上の性別変更に関する法律も実施されていて、まだ問題を残しているとはいえ性別適合手術などの一定の条件を満たせば、戸籍上の性別記載の変更や結婚もできるようになりました。

一方、性転換手術の先進国であるタイでは、TSやゲイなどの性的マイノリティーに対する社会的認知度は高く、表面的には自由のある暮らし安い社会に思えますが、実情はかなり違っていて他の国と同じ問題をかかえていることが以下の記事からもわかると思います。

これもタイの英字新聞ネット版に載っていた記事から要約したものです。(The Nation;August 15&27, 2007)

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「TGタイランド」というグループを結成したTGビューティ・クイーンのヨランダさんは、女性としての権利を得るために<ミス>と正式に呼ばれるように性別記載変更を求めるキャンペーンを開始しました。2005年の「ミス・アルカザー」に選ばれたヨランダさんをはじめ、有名なTSボクサーで<ノントゥム>として知られるパリニャさんなどが発起人として名を連ねており、TSやトランスベスタイトが自らの性自認により本来の<ミス>と呼ばれるように性別記載変更を求める運動を起こし、国会の立法委員会に法律変更を求める要求書を提出しました。この問題は女性及び家族問題に関する協力推進協議会で審議され、国会での法案提出に向けて準備が整えられています。本日(8月15日)も人権擁護委員会のナイヤナ女史とのキャンペーンに関する説明会が予定されています。

政府側の見解では、男女どちらの側であれ性別変更を伴うこの案件は婚姻届や不動産所有権などとも関係してくるため、また多くの省庁や法律と関連するため公聴会を経なければならないということです。

ヨランダさんによれば、このキャンペーンが成功すればさらにトランスジェンダーを兵役義務から除外するという現行の規定を変えるための闘争も考えているとのことです。それは兵役義務免除の理由が<精神的倒錯により>とされているからです。

ヨランダさんによれば、銀行取引時の書類作成、求職活動時の面接、海外旅行、などに際して数多くの問題にぶつかった経験を味わっている。「これは書類上の性別と自分の女性としての外観がマッチしないからです。わたしたちのジェンダーが変わったならば、個人的な書類上の記載も変わってしかるべきです。実際には、わたしたちは普通の女性と同じ扱いを求めているのではなく、われわれTSの権利を認めて法的な保護を与えてくれること、そして政府・民間を問わずわれわれを社会の一員として受け入れて欲しいだけです。」

24歳のクロスドレッサー、サシパットさんは性別を女性に変えることで就職活動がずっとやりやすくなると言う。男性向けの仕事に応募しても女装しているためその場で不採用になるからです。「性転換手術をして本来の女性になるのがわたしの夢ですが、トランスジェンダーやトランスベスタイトの多くがそれを望んでいると思います」とサシパットさんは言う。

同じく24歳のトランスジェンダー、ラモンさんも似たような経験を話す。スウェーデンまで行って英語を勉強し、帰国後ホテルの仕事に応募しテストの成績は最高点を取れたのに、書類の性別が男性であったため採用されなかったのです。

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(2点の写真はいずれもMiss Tiffany Thai 2004の優勝者で、この記事とは直接の関係はありません)
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この記事の数日後に別のグループ(Gay Political Group of Thailand)が声を上げ、トランスセクシュアルだけに法律を変えるのは問題があると立法委員会に申し立てを行いました。

このグループの委員長のナティーさんによると、「肉体上の性別は精神の性別ほどは重要ではないと思う。トランスベスタイトもその精神的な特徴やライフスタイルは女性と同じであり、立法委員会はトランスセクシュアルと同じ権利をわれわれにも与えるよう考慮すべきです。トランスベスタイト人口はTSよりはるかに多いはずです。TSの人たちと同じようにわれわれも就職や海外旅行などにおいて同じ問題を経験しているのです」。

ナティーさんはさらに、トランスベスタイトたちは(ゲイも含め)性別変更の権利が得られたにしても、決して気軽に性別変更してあとで後悔するような軽率な行動はとらないこと、踏み切る前に自分の本当の性をじっくり確認すること、また政府もそのためのくわしい情報を提供すること、などを要求しています。

一方、先行の「TGタイランド」グループのヨランダさんは、立法小委員会の会合に10人の代表を送り込み、さらにオーストラリアから専門家を招き、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドなどの法律上の詳細につき説明してもらうことにしています。

トランスセクシュアルとトランスベスタイトに<ミス>への性別変更は、あくまで希望する者だけを対象とすべきで、肉体的及び精神面の診断、社会的な適応性なども考慮したのちにその権利が与えられるべきでしょう。ヨランダさんとそのグループは当面の要求として、IDカード、パスポート、運転免許証などの個人的な書類上の性別変更だけしか考えていないことも付け加えました。

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日本のいわゆる「身分証明書」は会社や所属する組織が個別に発行するのが普通で、日常的には健康保健証や運転免許証がIDカード代わりに使われています。タイなどの東南アジアではIDカードは最も重要な書類で、これがないと社会的に存在しないも同然です。

性転換手術では先進国であるタイですが、GIDに関する法的な整備は全くされていないのは驚きと同時に残念なことです。しかし、今年になって性的マイノリティーの社会的な運動が活発になっていて、5月には有名なノボテルホテルのナイトクラブに入場を断られたトランスベスタイトがホテル側を訴え、同情する幅広い層がボイコット運動をしかねない状況にまで発展し、ついに世界有数のホテルチェーンであるノボテルの経営陣が公式に謝罪するという出来事がニュースになりました。

表面的には大らかで住やすく見えるタイの社会ですが、性的マイノリティーの実情は必ずしもそうではなさそうです。今後スムーズに法的な整備が進むことを願うばかりです。

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2007年9月29日土曜日

タイのTSビューティ・クイーン美談


タイのTSビューティ・クイーン美談

ビューティ・クウィーンとして有名なタイのTS女性が多くの美人コンテストで稼いだ賞金で牛を買い、故郷の貧しい多くの農家に寄贈して収入の道を開いたという美談がタイの英字新聞ネット版に載っていましたのでご紹介します。(The Nation;June 19,2007)

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17歳の時に性転換手術を受けて本来の女性になったアーフさんは、30歳になる今年までビューティコンテストに700回も参加して有名でした。彼女はパタヤの「ミス・アルカザー」やバンコクの「ミス・サイアム」コンテストなどで数々の成功を収め、合わせて200個ものトロフィーを獲得しました。

美人コンテストを引退した後のアーフさんは故郷のロッブリ県に帰り、ブラーマン牛を育てる仕事を始め、獣医の助けも借りずに人工授精でさらに牛の数を100頭にまで増やしました。

アーフさんは大の動物好きで、故郷の野牛が急減しているのが気がかりでした。そこで、自分の賞金やコンテスト参加者たちからの寄付金を元手に、屠殺場に送られる運命にあった野牛や農耕牛を買い取り、その内30頭を地元の貧しい農民に無償で譲り渡しました。飼育して生まれた子牛を売って農家の新しい収入への道を開くと同時に、彼女の望みは将来の世代のためにこのような動物を保護して残していくことです。

アーフさんの58歳になる父親のオデさんによると、アーフさんが女装を好む性志向を持っているのを知ったときは驚いたが、しかったりして惨めな思いはさせたくないとの思いから事実を受け入れるようになった。ただ、いい人間になって欲しい、麻薬などには手を出さない、美人コンテストのキャリアは長くは続かないのでまじめに仕事して貯金をすること、だけはしっかり教えたそうです。

性転換手術を受けた後も、アーフさんが立派に仕事をこなし、家族に心配をかけることなどなかったことを父親としてとても喜んでいる。彼女は子供のときから動物が好きで、絶滅しそうな野牛を救い、貧しい農民を助けている今の娘の姿を見て誇りに思うと言っている。

(アーフさんの写真がないのが残念です・・・・)
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タイでは10代早々からホルモン治療を始め、SRSも二十歳前に済ませるケースが多いようです。そのせいかショービジネスで活躍する美形のTSが多く見られるのも事実です。上の記事とは直接の関係はないですが、このテレビインタビューの画面のように毎年ビューティコンテストが話題になるのがタイらしいところです。コンテストによっては日本人の参加者もいることも付け加えておきます。(写真は2007年「ミス・ティファニー」の受賞者3人)


2007年9月9日日曜日

全身センサーの皮膚感覚


全身センサーの皮膚感覚

9月7日の日経新聞(夕刊)一面に次のようなコラムが載っていました。先端医療、IT技術、など新技術が次々と脚光をあびている世の中ですが、この熟年記者のたいへん時宜を得たその簡潔な文章に私は感服しましたので、原文のまま紹介させて頂きます。

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《頭部センサー》

ベテランの外科医が言った。「内視鏡手術が盛んだが、僕は開腹して患部を触り、どこまで切るか判断する」。電機メーカーの幹部が応じた。「エンジンでも、最後は手でなでて良しあしがわかる」

ドアは自動開閉、蛇口はノータッチ、暗くなると点灯する街灯と、手を汚さずにすむ便利な時代である。接触に不慣れなせいか、込んだ車内でも離れて座る人が増えた。

だが、機械を介しても判断するのは人間。指先の微妙な感覚、全身センサーの皮膚感覚を忘れては危険だ。当方の地肌むき出しになった頭部など、季節の変化を気象庁より早く察知する。(修)

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これと関連した話を思い出しました。かなり前の新聞か何かで読んだ記憶がありますが、世界最大の航空機製造会社ボーイング社の社長が表敬訪問で日本を訪れましたが、その訪問先は(たしか)東京都大田区の名もないような町工場のおやじさんでした。ボーイングの最新鋭航空機に使われる重要な部品の最終仕上げはその町工場のおやじさんの手作業でしかできないから、というのが表敬訪問の理由だったと記憶しています。

それと似た話ですが、天文台の天体望遠鏡に使われる巨大なレンズも、精密機械を使って何千分の一ミリの誤差までは研磨できても、レンズ曲面の最終仕上げはやはり熟練した職人が手作業で磨いて仕上げるという話を覚えています。すぐには信じられないような話ですが、人間の手で触れたその感覚が、精密さを誇るコンピュータ制御の機械よりもさらに確実で信頼性があるという話しにはある種の感動をおぼえます。

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さらにSRS医療世界にまで話を広げますと・・・・
PAIのプリチャー医師はMTFの手術をわずか3時間で終えるというのは本当の話しで(他の医師なら7時間が普通)、患者さんに同行する私も経験的にも知っています。3000例を越える手術経験もさることながら、先生の話してくれた「企業秘密」もあるのです。その秘密の一部を明かしますと、MTFではもともとない所に新膣用の空間を造る手術工程に一番時間がかかります。直腸や膀胱などの内部器官を傷つけないように細心の注意が必要だからです。

先生の秘訣は、ある地点まで到達するとメスはもう使わずに、自分の指先だけで掘り進んでいくことです。これが一番安全で、早くて、確実な方法である、と確信をもって話してくれました。集中した指先が一番信頼できるセンサーであり、それが医師の脳と直結して最速で最適な判断方法になっているということでしょう。

これらの話しにはみな共通点がありますね。最近よくある名医を取り上げたテレビ番組のように「神の手」などと大げさに美化したくはありませんが、外科医の指先・手先はどんなコンピュータにも勝るセンサーであることは間違いないと思います。SRS関連の手術はとくに先端技術を駆使した高度医療とは縁の薄い分野で、医師の手先の技術と造形センスがものをいう世界であることを改めて認識した次第です。清潔で近代的な病院の中であっても、人間の体にメスを入れる外科医師は「町工場のおやじさん」でいいのです。

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2007年9月1日土曜日

日本から外科医がいなくなる?



「これでいいのか日本の外科医療」

今年の3月17日に埼玉で開かれたGID学会に出席したとき、埼玉医大でSRS手術を受けた患者さんが術後の症状について相談にいっても相手にしてもらえない、と苦情を述べたところ、埼玉医大の先生からは、医師不足でなかなか思うように対応できなくて・・・という弁解めいた答弁がありました。医科大学病院で医師不足とは、一体どういうこと?と私はそのとき不審に思ったことを覚えています。

その後、日本各地で産婦人科や小児科医が不足していて、社会問題になりつつあるのを新聞やテレビで知らされることが多くなりました。つい3日前にも奈良県で受け入れ先の病院が何時間も決まらず、救急車の中で流産のすえ胎児が死亡するという事件が起こりました。これまでもこの分野の医師は勤務時間が読めなく不規則であるため、若手は敬遠しベテランは早期引退か転科するケースが多いとは聞いていましたが・・・・

ところで、昨日8月31日の日本経済新聞(朝刊)に驚きました。2ページぶち抜きの座談会形式の意見広告「このままでは、日本から外科医がいなくなる」が目に飛びこんできました。危機感をあらわにしたこの「広告」からは、医療現場からの悲鳴が聞こえてくるように感じられました。これを読んで、あの埼玉医大病院での「医師不足」や「性転換手術中止」の意味がやっとわかってきたように思えたのです。

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全文を読む機会のない方のために、参考までに要約だけ掲載させて頂きます。まず、以下の見出しだけでも内容の概略がわかります。
・外科医、外科志望者が急減  医療の将来に強い危機感
・外科医に大きな負担が集中  数の不足とは別の要因も
・医療の質を強く求める国民  若い医師は「3ない」を志向
・他科に比べて多い周辺業務  若い外科医の負担増に
・日本の医療費は最低水準  外科医の待遇改善も必要
・二十一世紀は治療学の時代  体に優しい個別化の医療へ
・医療費抑制策は見直しを  国民の視点で各論を議論

まず、座談会司会者の言葉から・・・・
「6月22日―23日に東京で開催された第32回日本外科系連合学会学術集会では、外科系医師の不足問題をはじめ、深刻な外科医療の実情が報告されました。労働環境の劣悪さや医療リスクの高さなどから、現場の外科医は疲弊し、外科を志望する若い医師が減少しています。そこで、外科医療に深くかかわってこられた先生方に・・・・」

以下、座談会出席者の方々の意見を抜粋・要約して掲載させて頂きます。
兼松隆之 日本外科学会会長
「疲弊して肩を落としながら働いている先輩の外科医をみると、医学生や研修医は外科を生涯の職種として選択することに二の足を踏むのは当然でしょう。そのような厳しい環境の中でも、外科医は高度の技術と安心医療との両方を求められるのです」
「外科は一人前の腕を発揮できるようになるまでには、ほかの領域に比べて時間がかかります。5年間外科の修練を積めばどのような手術ができるようになるのか、10年たてばどうか、あるいは外科専門医の資格を取得すればどのような処遇がされるのか、といったわかりやすい指標を示すことも必要かと思う」

中島正治 社会保険診療報酬支払基金理事
「私も以前は外科医として臨床と研究をしていたので外科医の友人たちともよく話をしますが、彼らは口をそろえて、最近の外科の現場はきついのでもう辞めたいと言います。若い外科医たちもかなり音を上げているようです。そうした状況は、産婦人科や小児科でも同じです。私は行政に移って20年ほどになりますが、こうした状況になったのはここ数年という印象です」

鈴木満 日本医師会常任理事
「国民の医療に対する目も非常に厳しくなっており、国民が医師を批判的に見る傾向も強まっている。そうしたことも医師の偏在をもたらしているのではないか。今の研修医は、経営基盤のしっかりした病院、訴訟につながるような問題を適切に自己保全ができるような医療施設を選んで研修を受けようとしています」

北島政樹 国際医療福祉大学副学長
「かつて若い医師は、汚い、きつい、厳しい、という3Kを嫌うといわれましたが、今は「救急がない」「当直がない」「ガンがない」の「3ない」の診療科を選ぶ医師が多いのです。日本の医療は医師の奉仕で長年支えられ、質の高い医療を低コストで提供してきたわけですが、最近の若い医師は自己犠牲を強いる日本の医療に見切りをつけたということではないか。「3ない」を求め、低賃金で高リスクな医療現場から離れていくのです。」

兼松隆之 日本外科学会会長
「外科医がもっとも時間とエネルギーを使うのは手術です。また、その手術の前後の管理も外科本来の仕事です。それに加えて、以前に比べて重要性を増しているのが患者さんへの説明です。インフォームドコンセントも以前とは異なり、かなり時間をかけて、詳しくお話をするようになってきました。ただ、その説明の場の設定が患者さんの都合に合わせて、夜間や休日となることも少なくありません」
「アメリカであればテープに録音しておけば専任のタイピストが仕上げてくれる手術記録も、日本ではほとんどの外科医が疲れた体に鞭打ちつつ仕上げています。また、手術で取り出した標本の整理も待ったなしです」

加藤治文 東京医科大学副学長
「近年は医療技術が著しく進歩しており、それに伴って習得すべき知識や技術も着実に増えています。また医療の安全がより重要視されるようになり、医療現場に求められる業務内容もより複雑化しています。そうしたことの多くが若い医師に委ねられており、劣悪な労働環境というのはそれらの積み重ねだと思います。これらの課題を改善するためには、資金も必要ですが、医療費の抑制がその阻害要因になっているのではないでしょうか」

北島政樹 国際医療福祉大学副学長
「単に医療費の対GDP比を上げようというだけでなく、その配分方法まで考える必要があります。例えば、米国のように診療費をドクターフィーとホスピタルフィーに分け、診療に対する医師の意欲を高めるなどして、医療そのものの活性化を図ることが医療現場の改善にもつながると思います」

兼松隆之 日本外科学会会長
「二十世紀後半は診断学が急速に進歩した時代で、CTやMRIなどの画像診断技術が開発され、血液検査でも診断の精度は格段に向上しました。二十一世紀は治療学の時代で、その治療学の中心こそが外科学です。」

北島政樹 国際医療福祉大学副学長
「今から130数年前に、医師でない福沢諭吉が、将来はあたかも口の中を見るように子宮や胃の裏まで観察できるようになると、腹腔鏡を予見していますが、その中でまた、「医療は外科より進歩す」とも述べています。今、二十一世紀の医療はまさにそのようになってきているのです。体に負担の少ない個別化した治療を実現するためにはコストもかかると思いますが、積極的に発展させていくことが重要だと考えています」

鈴木満 日本医師会常任理事
「以前は、経済的で技術も優れているといって、海外から日本に来て手術をする例がありましたが、最近は同様の理由で、日本人がシンガポールやタイなどへ手術旅行に行くという話を聞きます。そうした状況はたいへん残念ですし、絶対に是正されなければならないと思います。世界の人たちが日本の医療を求めてくるように、医師の手で医師の環境整備を行う必要があると考えています」

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護送船団方式に守られた日本の医療制度が、きしみを起こして悲鳴を上げているのが聞こえるような気がしました。今後の日本の将来を考えると、医療界だけでなく政治、行政、さらに国民自身の意識改革がせまられているのではと強く感じます。

病院自体の崩壊・閉鎖などもヨーロッパ、アメリカなどの先進国ではめずらしくなく、日本もその仲間入りを果たしているのが昨今の現状です。一例を上げれば、訴訟社会として有名なアメリカを見習ってか、日本でも医療訴訟が増えています。明らかな医師・病院側の過失に泣き寝入りはしないという患者側の姿勢は評価できるとしても、手術を受けても治らなかったり、死亡したら医師の過失として訴えるのは珍しくなくなりました。これは良いことなのか、それとも医療崩壊への一歩なのか・・・・、欧米先進国から学ぶことはまだまだありそうです。

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タイの病院事情について
私の知るタイ国でも公立、私立病院間での医療格差が問題になっています。原因は単純なのですが、前首相のタクシン氏が与党の人気取り政策としてろくな議論もせず導入した「30バーツ治療」のため、公立病院ではどんな治療であれ30バーツで治療しなければならなくなったのが発端です。30バーツといえば日本の経済感覚では吉野家の牛丼一杯の値段です。国民皆保険制度のないタイでは、とくに地方の低所得層はよろこび、他のばらまき政策も手伝って、次の選挙で与党は歴史的な大勝利をおさめ、タクシン氏は思うままの政治運営を行います。当然のように利権がはびこり、都市の知識階層や学生が反タクシン運動を起こし、ついに昨年9月の外遊中にクーデターで首相の地位を失い、未だに亡命生活を送っています。

公立・私立病院での格差とは要するに、医師側がこんな治療費ではろくな待遇も期待できないと、多くの医師が私立病院へと転職していったための医療レベルの格差です。このため中流以上のタイ人は値段が高くても私立病院を選ぶ傾向が強くなっています。上の座談会にも出てきますが、アメリカと同じくタイでも、患者から受け取る治療費には「ドクターフィー」として医師個人の取り分が病院の取る「ホスピタルフィー」とは明確に分けられています。有能で症例数も多い医師なら収入も比例して多くなるわけです。この分母となる数字が、牛丼一杯分の30バーツでは医師がやる気をなくするのは攻められないでしょう。

その影響があるかどうかは別として、タイの私立病院は医師や看護婦の数は豊富だといえます。病院間の患者獲得競争もあり、設備や治療法なども最新のものを海外から導入して、年間100万人をこえる外国人患者を治療するアジアのメディカルハブを目指しています。これはタクシン前首相の功績かもしれませんが・・・・

日本のSRSの将来は?
SRSに係わる私たちにとって5月の埼玉医大のSRS中止のニュースは全く想定外の出来事だったと思います。発表された学長の談話には、一時中断するとのニュアンスがなきにしもあらず、でしたが事実上は再開困難だというのが私の個人的な感想です。理由は簡単です。最初から実際の手術を担当され中心的な存在であった先生がお二人そろって辞められたこと、この手術は一人では困難な複雑な手術であること、後継者が育つには多くの症例をこなし経験を重ねるしかないこと、日本にはSRSを教えるだけの経験医が存在しないこと、そしてどこの医大や病院でも失敗した場合のリスクに対応する自信がなく、おっかなびっくりでやっていること、などです。

先日、プリチャー先生が来日した折りに言うには、「どこの国の医師も同じだが、医師というのは自分独自の技術はひとには教えたがらないものだ。しかし、わたしは乞われればどこの国の医師でも自分の技術を教える用意がある、企業秘密も含めてだ。」

「ブルーボーイ事件」などもう言い訳にするのははずかしいです。先進国である日本でSRSができない、などという情けない状況にはなってほしくないと本心で思います。

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2007年8月27日月曜日

コーディネーターの仕事内容の詳細


コーディネーターの仕事内容の詳細

事前カウンセリング
SRS関連の手術は通常の病気の場合とは異なるため、またタイのバンコクという外国で行うため、現地に出発する前の予備カウンセリングが必要です。これは現地の病院に着いてから予定した手術法に不適格と診断されるのを防ぐためにも踏まなければならないステップです。医師より必要と判断される場合には、デジタル写真をメール添付で送って頂くこともあります。

提出する診断書のチェック
・精神科医(又は同等の資格を有する医師)のGIDを証明する診断書
・手術日の1ヶ月前の健康診断書 (手術に問題がないことをチェックするため)
・すでに受けたGID関連手術の内容をできるだけくわしく教えてください。
・必要と思われる場合には過去の手術記録のコピーを提出して頂くこともあります。

(注1: これらの書類は日本語のままで結構です。英訳はコーディネーターが行います)
(注2: 日本での提出はコピー、オリジナルはバンコクに持参してください)

手術日の予約
患者さんの希望に応じて手術日を予約し、手術室および手術チームのスケジュールを確定します。

予約金の支払い
手術代金の10%を予約金として事前に日本でお支払い頂きます。このお支払いをもって手術日が確定し、スケジュール通りに医師、手術室と手術スタッフが確保されます。手術費残額(90%相当)は手術日の午前中に病院で直接支払って頂くことになります。PAIへの支払いはドルに替える必要はなく、日本円の現金払いが両替手数料がかからず便利でお得です。

(注1: キャンセルする場合は手術日の15日前までは全額返却しますが、これ以降については返却できません)
(注2: 予約金の支払いを証する領収書は英文で発行されます)

全体の経費予算の見積り
手術費、その他病院関係費用、渡航費、ホテル代、食費、交通費、雑費などの経費の見積もりのお手伝いをします。別途コーディネーター関係経費もお見積もりいたします。

バンコク渡航日程の検討
手術内容により最短で必要なバンコク滞在日数から、また患者さんの仕事上のスケジュール等も考慮して、滞在日数と渡航日程を確定します。

チケット・ホテル等の予約確保
旅行代理店やインターネットを通して患者さん自身で行っても結構ですが、心当たりのない方はコーディネーターがお手伝いします。なお、退院後に移るホテルはできるだけ病院に近いホテルを選ぶようにしてください。帰国前に必ず医師の最終チェックがあるからです。

バンコク空港送迎
一足先に現地に行っているコーディネーターが空港でお出迎えし、ホテルまたは病院までお連れします。帰国時には空港までお送りし、航空会社のカウンターで搭乗前および飛行中の患者さんへの特別な配慮をお願いする手配をします。場合によっては車イスの手配もしてもらうことができます。

バンコク滞在中の通訳・コーディネーション
病院には日本人(またはタイ人)通訳が勤務しており、医師との手術前の説明や手術後の回診のときの立ち会いはしてくれます。ただ、病院所属通訳はあくまで病院全体の通訳であり、プリチャー先生のPAI専属ではありませんので、通訳が必要なときにタイミングが合わなくて困ることもあります。術後の経過の説明や帰国後のケアについては、手術内容により、また患者さんの状況により医師側の説明は大切ですので、通訳の同席はたいへん重要なことです。

医師とのコミュニケーション
外国人の患者を扱いなれたタイの有名病院の医師は英語ができますので、医師との会話は英語で十分です。ただ、手術のことや術後の症状について質問して答えを理解するには、かなりの英語力と手術内容の理解が必要です。日常会話程度の英語ではかえって誤解が生じるもとにもなりますので、日本人で少々英語ができますという程度では、過信は禁物です。この意味で、医師とも面識があり、SRS手術について知識と経験のある日本人通訳の存在意義は大きいとお考えください。

滞在中のパーソナルケア
個室に入院中は原則として食事制限はなく、なにを食べても自由です。果物などを食べたいとか、日本から必需品の忘れ物をした場合でも、物資が豊富なバンコクではほとんどのものを買うことができます。病院付きの通訳には個人的な用事は頼めませんので、同行のコーディネーターがいれば気楽に頼めます。また、退院後には体力の回復を見てから、買い物や街の見物に出かけることもできますが、日本からのコーディネーターは要望があれば同行しご案内いたします。帰国後に使用する医薬品などもバンコクの薬局で安く仕入れることができます。

帰国後のアフターケア
SRSは手術が終わっても術後のケアがたいへん重要です。回復期間中の症状の変化や痛みなど、当事者が不安に思うことはよくあり得ます。そういう時に、気軽に相談できるコーディネーターの存在は欠かせません。手術の性質上、他人には相談しずらいですが、カウンセラーは手術の写真や映像、患部の状態などには慣れていますので、遠慮なく相談できます。気になる症状があればコーディネーターが医師に問い合わせて指示を仰ぎます。また症状によっては日本の病院での検診と治療をおすすめする場合もあります。

PAIを再訪して安心チェック
問題らしい問題もなかった場合でも、半年とか一年後にバンコクに観光旅行する機会があれば、その機会に手術部位の回復状況のチェックを受ければ、さらに安心してその後の生活を送ることができます。日本からの事前予約が必要ですが、PAIではアフターサービスの一環として特別なケースを除き無料でチェックが受けられます。

コーディネーター費用について
PAIに支払う手術費実費とは別に、別途コーディネーター費用をご負担頂きますが、この中には私自身の旅費・滞在費も含まれます。現地でのパーソナルケアは必要ないと判断される方には、ご希望に沿ったアレンジをいたしますのでご相談ください。MTFとFTMでは入院期間、滞在日数やその他の条件が異なる場合が多いため、コーディネーター関連経費については個別に見積もりさせて頂きますので、お問い合わせください。

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SRSコーディネーターの役割


SRSコーディネーターの役割

手術のために外国に行くには、かなりの勇気と決断がいります。SRSという手術自体が不安なのに、タイのことなどほとんど予備知識がない。タイ語はもちろん、英語もおぼつかない。入院中はともかく、退院後から帰国までの期間はだれか面倒を見てくれるだろうか。

MTF手術の場合は5日の入院期間のあとホテルに移ってからは、すべて自己管理で帰国までの約10日間を過ごすことになります。病院所属の日本人通訳はいますが、個人的な面倒まではみてくれません。一人での食事も味気なく、どこで何を食べればよいかも迷います。話し相手もいない、術後の経過についても相談相手もいないのでは、精神的な不安はつのります。友人や家族の付き添いが可能な方はいいとして、単独で来られる方も時折見受けられますが、その不安な心中を察すると胸が痛みます。

私自身は東京に住んでいますが、原則としてバンコク空港でのお出迎えにはじまり、無事に帰国されるまでの個人的なお世話もふくめて、バンコク滞在中のあらゆる面倒を見させて頂くのが私のSRSコーディネーターとしての役目だと思っています。

また手術を済ませて帰国すればすべてが終了というわけではありません。MTFの場合は手術後6ヶ月から1年に及ぶ、当事者個人の自己管理と責任で行うダイレーションという非常に大事な作業があります。(FTMは数段階に分けた手術を行うこともあります。)本来の性での本格的な生活を目指している回復期間中には、医師に聞きたいことが必ずあります。その場合に医師との仲介役として、対処法などを聞き不安材料を取り除くお手伝いをするのもコーディネーターの重要な役目です。プリチャー先生も常に帰国後のフォローアップ・ケアの重要性を強調されております。

コーディネーターの役割を要約しますと、次のような場面でパーソナルケアを提供することです。

1) 事前のSRS手術の概略説明
2) 医師や病院、バンコクについての予備知識
3) 適格条件のチェック・予備カウンセリング
4) 手術日の予約、バンコク渡航の相談
5) バンコク国際空港での出迎え
6) 医師のカウンセリング時の通訳
7) 手術日の付き添い
8) 手術後の入院中のお世話
9) ホテル移動後の個人的なお世話
10) 帰国後に使用する薬品類などの購入手配
11) 食事、買い物、観光の付き添い
12) 退院後帰国までのPAI通院時の付き添い
13) バンコク空港までのお見送り
14) 手術後1年間のフォローアップ・ケア

次回ではコーディネーターの仕事内容をより具体的に説明いたします。

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2007年8月19日日曜日

酷暑お見舞い


日本は暑い、タイより暑い、とこぼしていたら、タイからお見舞いのメールが届きました。

中を開けてビックリ!タイミングのよいお見舞いだったので、暑気払いに皆さんにもおすそわけさせてください。

ここをクリックして、ヤフーメールの画面から「ファイルをダウンロード」を選び、ポップアップが出たら「アプリケーションで開く」を選んで「OK]すれば、パワーポイントのスライドショーが始まります。クリックする毎に画面が進行し、最後にクリックしてアウトします。

酷暑と酷寒。その中間が来るのがまちどおしいですね。くれぐれもお大事に。