「MTF学生は卒業式にスカートはだめよ」
(Bangkok Post 12/22記事より)
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タイの大学学長協議会の会合が昨日月曜日に開かれたが、学位が授与される大学の卒業式には男性から女性へのトランスジェンダー自認の学生は、女性の服装で出席することは認めないという決定がなされた。
協議会の議長を務めたチュラロンコーン大学学長のピロム氏によれば、全国23の国立大学(現在は日本と同じ独立行政法人)の学長は、卒業生は普通の制服で出席すべきであり、従来からの規則を変更はしないことに同意した。これは、トランスジェンダー団体から大学当局に対して、性転換症を自認する卒業生には女性の服装での出席を認めるよう要望が出されていたからである。
ピロム氏によれば、教室での授業には服装の自由は認めているが、卒業式で学位を受領するには式典にふさわしい服装をして、社会の秩序に敬意を払うべきであるというのが見解である。
「私個人としては、他の学長たちは彼らなりの見解を表明する権利がある、と認識している。チュラロンコーン大学では、大学の品位をそこなわない限りは教室での服装にはあれこれと干渉はしていない。それは、大学も学生たちの権利を尊重しているからです。」
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タイの田舎の高校で、トランスジェンダーを自認する生徒のために「男」「女」とは別のトイレを用意したニュースを以前の投稿で紹介しましたが(2008/07/09)、チュラロンコーン大学のような有名大学の方が遅れているのは驚きでした。
このニュースには読者の投稿がかなりありましたが、ご参考までに三人の意見だけ紹介しておきます。
● 現在のタイ社会ではジェンダー問題の理解が混乱してきている。この学長の発言にある、「個人の見解の尊重」という言葉にしても、学長にしては幼稚な発言で、多くのタイの若者の間にジェンダー意識の混乱が起こっているのはなぜなのかという問いには問題意識をもっていない。タイではホルモン治療は簡単に受けられるし、若者がまだ自分を理解してない段階で性転換手術を受けてしまう。性転換手術がどういうことなのか、そのもたらす結果を理解できる前に一生を左右する決断をしている現状がある。悲惨ともいえる結末を迎えるケースが数多くあることにもっと焦点をあてるべきだ。
● このような無知な学長たちが教育者であり、思想界のリーダーであることは、タイの将来に希望がないことであり、暗澹たる気分になる。他の国の高等教育機関は、科学分野や社会現象の理解を深めるために、社会を啓蒙する役割を果たしている。タイではその反対である。「他の学長たちは彼らなりの見解を表明する権利がある」というのが、その典型である。トランスジェンダーにとっては、科学的研究と発表されたその成果は、至るところで知ることができる。かれらにとっては、ジェンダー意識の自認や表現は単なる「個人的な見解」なのではないのだ。これら学長がこのような簡単な事実さえ知らずにいるとすれば、由々しき問題である。
● 悲しい現実だが、学長たちはMTFのトランスジェンダーに男の服装をせよというのは、普通の女性に男の服装をせよ、というのと同じことだと理解できていないことだ。タイでは憲法改正の機会があったときに、第三の性を追加しておくべきだった。明らかに、世間にはTSを理解できない人たちがいるが、TS自身は自分の状況は理解しているはずだ。人間の権利として自分の望む服装をする自由があってしかるべきだ。これはまた大学当局による卒業する学生たちの人間性への侮辱でもある。なぜなら、卒業証書を授与されるときに撮られた一枚の写真はその後何年も何年も心のきずとして残るだろうから。
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私見ながら、タイの大学と例と同じく日本でもTG/TSが広く理解されているとは思えません。ゲイ、クロスドレサー、ニューハーフ、オカマ、などの言葉がTSとごっちゃまぜで使用されていて、ますます世間一般の理解が混乱してきている感じがします。日本のテレビや雑誌をはじめとするマスコミや、インターネットでもいいかげんな用語が乱用されているのは問題だと思います。
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2009年12月22日火曜日
2009年9月13日日曜日
タイの性転換の年齢規制
タイの性転換の年齢規制よりきびしく
9月11日のタイの英字紙THE NATIONの記事をご紹介します。
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性転換規制11月29日より強化される
タイ医療協議会の理事長ドクター・サンパンが9月11日発表した内容の趣旨は、トランスジェンダーの人が性転換手術を受けるには18歳以上でなければならない、という規則を厳密に適用することにするというものです。
トランスジェンダーで18歳から20歳までの当事者は親の同意が必要であるが、20歳以上なら当事者個人の判断で決めることができる。しかし前提事項として精神科医の診断書、ホルモン治療を受けていること、一年以上女性として生活していることが性転換手術の必要条件になる。
また、性転換手術を行う医師はタイ医療協議会に登録すると同時に、術後の合併症などの治療まで責任をもって行うことが要求される。
このような規制は性転換手術の水準を高めるためであり、規則を破る医師には警告だけにとどまらず、医師免許剥奪などの処置をとることもありうる。
タイトランスジェンダー女性の代表であるヨランダ・スワンヨットさんは、この新しい規制には賛成であるが、内務省、外務省、法務省などの他の関係省庁も関連する法律を改正して、性別を男性から女性に変更できるように法改正を行うべきであると主張している。
「性転換手術を受けたあと書類上の性別がMr.からMissに変更されるようになれば、もっと尊厳をもって女性として生きていくことができる。IDやパスポートを見せるたびに自分が“レディーボーイ”であることを説明しなくてもよくなるのです。普通のひとたちと同じように尊厳をもって生きたいのです」とヨランダさんは言う。

(男性記載のままのIDカードを見せるTS女性たち)
法務局の調査官サームキアット氏は、トランスジェンダーのグループが結束して独立機関である国家人権委員会に、民法、刑法、戸籍、相続法など関連する法律改正にむけて助力を要請するのが早道ではないかと提案している。
サンパン医師も同じ意見で、関係する省庁が“第三の性”の市民のための特別法を制定するように希望していると述べている。
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タイでは12歳ごろからホルモン治療を始めるTJも多いため、18歳前にSRSをこっそり済ませてしまうケースがあっても不思議ではないです。今回の年齢規制強化の背景にはそのようなタイの“すべては自己責任で”という、おおらかな社会背景があるように思えます。
07年10月7日の投稿でも取り上げたように、タイでは“レディーボーイ”や“カトーイ”として社会的な認知度は高く、都会、田舎を問わずその存在は一般的に知られていて、とくに差別意識が国民の間にあるようには思えない。しかし、法的な面での整備はまったく行われていないのが実情で、2年前の状況から何も変わっていないようです。性転換手術では世界でも指折りの先進国であり、海外からの手術希望者も多いという反面、タイ国民への人権保護がほとんどされていないというちぐはぐさは、これまたタイ人のおおらかさでしょうか。
とはいうものの、日本でも「性同一性障害者性別取扱特例法」にいたるまでには政治家を巻き込んだ気の長い運動があってやっと特例法ができたことを思うと、タイではまだまだ時間がかかりそうですね。
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2009年8月8日土曜日
GID関連の書籍
性同一性障害に関する出版物リスト
性同一性障害については当事者自身が理解を深めることはもちろん大事です。同時に家族や友人、同僚などから理解されることが将来の展開に大きく影響します。だれも一人では生きていけないからです。
手術だけで成功というなら比較的に簡単な話ですが、新しい性の役割でどう社会に適応していくか、など生涯追求していかなければならない大事なテーマもあります。慎重な行動と計画がないと、あとになって周囲の理解不足のため、新たな悩みをかかえることになりかねません。
「性同一性障害」というテーマはよりオープンになり、GID関連の出版物は増えてきています。そこでアマゾンで自動的に追加補充される出版物リストを紹介させて頂く以下の方法を追加しましたので、ときどきチェックして参考にして頂ければ幸いです。
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2009年8月3日月曜日
≪できそこないの男たち≫
≪できそこないの男たち≫
以下引用の文は、福岡伸一著「できそこないの男たち」(光文社新書2008年10月刊)、という本のそでにある、ブラーブをそっくりそのまま引用したものです。この本の一読をお薦めしたかったのと、これ以上のブラーブは書けそうもなかったので・・・・
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地球が誕生したのが46億年前。そこから最初の生命が発生するまでにおよそ10億年が経過した。そして生命が現れてからさらに10億年、この間、生命の性は単一で、すべてがメスだった。(本文より)
<生命の基本仕様>――それは女である。本来、すべての生物はまずメスとして発生する。メスは太くて強い縦糸であり、オスは、そのメスの系譜を時々橋渡しし、細い横糸の役割を果たす“使い走り”に過ぎない――。
分子生物学が明らかにした、男を男たらしめる「秘密の鍵」。SRY遺伝子の発見をめぐる、研究者たちの白熱したレースと駆け引きの息吹を伝えながら,≪女と男≫の本当の関係に迫る、あざやかな考察。
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この本は性同一性障害とは直接の関連はないですが、メスが生命の基本仕様であるという科学的な実証や、今日の人間の起源がオンナ、オトコともにアフリカの地であったということ。さらになぜ、XX型女性、XY型男性という基本仕様に、性転換症やインターセックスなどの例外が発生するのかなど、この問題に興味をもつ私たちにはたいへん面白い読み物です。世界中の学者がしのぎをけずる遺伝子学的な実証はあとほんの数歩というところまできているようです。分子生物学という分野の学者による、スリルに満ちた面白い読み物です。まだお読みでない方はぜひどうぞ。¥860の価値はあります。
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2009年7月21日火曜日
アメリカのGIDニュース (その4)
Good luck, brother!
チャスティティ・ボノの幸運を祈り、激励のメッセージを送るトランジションを達成したFTMの先輩、寄稿者ジェイミソン・グリーン氏は、”Becoming a Visible Man” (「目に見える男になって」2004年刊)という本の著者で、トランスジェンダー問題の運動家、教育者、アドバイザー、として活躍している。
(2009年6月17日 CNN.com)
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英語の“transsexual”という言葉がまだ考案される前の古い話しになるが、英国の貴族階級に属する家系に生まれた恐れを知らない若い人が、女性から男性へ変身するための準備に着手した。彼は医学校の教育を受け、当時はまだろくに理解もされていなかった新しい薬剤であるホルモン剤を入手し、独り立ちして男性としての生活を始めたのである。それは1940年代の初期であった。
やがて彼は治療を引き受けてくれる形成外科医を探し出し、1949年までには身体的な変身は完成した。しかし、家族は彼を拒絶した。イギリスのタブロイド紙はここぞとばかり襲いかかり彼をずたずたにする。マスコミから逃れるため、結局はだれの助けも借りずに自らの人生を再構築しなければならなくなる。彼のたどり着いた場所は遙かなるチベット。そこで彼は仏教僧となり、1962年に47歳という年齢で死を迎えた。
彼の名前はマイケル・ディロン、西洋世界での最初のトランスセクシュアルの一人ということになる。つまり、医学的な手段で生まれながらの性器官及び(または)性自認を別の性に転換した人物ということです。彼が生前に書き残した厖大な日記などの記録は家族によりひた隠しにされ、ほとんどが焼却されてしまう。今はわずかな断片だけが残っている。
私事ながら、私が40歳になる直前にトランジションを始めた頃は、1949年頃にくらべてもほとんど違いがないほど女性から男性へのトランスセクシュアリズムに関する情報はなかったのです。1990年代になってからも、医師たちの言うには、私たちトランスセクシュアル当事者はグループで集まったりしない方がよい。理由は、あなたたちは「普通の人たち」と違うことに気付かれるからだ、という程度の認識だったのです。
TSの女性の多くは、背が高く、肩幅が広い、手や足が大きいなどの特徴がある。反対に多くのTSの男性は、背は低め、手と足が小さい。身体的特徴がバラエティーに富んでいる人々の多い環境で生活している場合はともかく、あなたと同じような特徴をもつ人たちが多く集まれば、TSであることが発覚するリスクは高い。
トランスセクシュアルであることが発覚すると、恐ろしい結果を招くことがある。つまるところ、「普通の人間」として社会にとけ込むことが治療の目的なのです。私自身は「性転換」はごくまっとうな治療プロセスであって、ホルモンを摂取し、手術を受けて、家に帰り、庭の芝刈りをする、という具合に普通の生活が送れるものと単純に考えていた。
しかし、控えめに言うと、ビックリするような経験が待ちかまえていたのです。その最大の教訓は、トランスセクシュアルであることが発覚することが、こんなにも恐怖と屈辱の対象になるのか、それがとてつもない苦悩になることを、イヤというほど思い知らされたのです。
私と同じような人たちは、世間から身を隠し、いい仕事に恵まれないか無職で、病気になっても医者に行かず、また親密な関係のパートナーも持てないことを知りました。
トランジションを始めてからは、私と同じTSの男性と会う機会が増えてきて、恐れと屈辱感が彼らの人生を縛っているのを自分の目で感じました。この人たちは、親切で、やさしく、思いやりがあり、真面目な人たちです。恐れや屈辱をかかえて生きなければならない理由などかけらもない、善良な人間なのです。
その時思ったのは、私たちTSがどういう存在なのか、TSがどうやって生きているか、世間の人々を教育するしかない、ということです。そうして初めて、私たちTSは自分一人ではないこと、恐れる必要はないことを知り、さらに世界の人たちに私たちTSが存在することを知らしめ、TSたちが違いやユニークさを持ちながらも、安全に生きられる世界をつくること、が可能になってくるのです。
北アメリカ、ヨーロッパ、イギリス、日本に住む少数のTS男性のように、私自身も大衆教育の一環として、われわれTSの体験について書くことを始め、立法府の議員や政策決定者に知識を提供し、私たちの後に続く世代が同じ苦しみを経験しなくてもいいように願い、法律改正に働きかけています。
そしてこの度、チャズ・ボノが代理人を通して自らのトランジションを公表しました。素晴らしい、勇敢な新しい世界の到来です!私たちの言葉は広がりつつあり、すでにいくつかの保護法が成立しています。理解できないものは壊してしまえという乱暴な態度は、アメリカではもはや許されないことを理解し始めたようです。しかし、気を許せない一部の人たちが存在することは忘れてはいけません。
チャズ、女性から男性へのトランジションが今後スムーズに進行することを願っています。ただ、私の経験から言えることは、少々のサプライズや困惑する事態に遭遇するのは避けられないだろうということです。必要なプライバシーが保たれ、トランジションのもたらす恩恵をフルに体験できること、さらに公的な活動のためにせっかくの恩恵を犠牲にすることがないように祈っています。
あなたの有名人としての影響力は、世間に新しい理解をもたらすことができます。一般のTSたちはスポットライトを避けただけでなく、無関心な大衆に声を発する機会もなかったのにくらべると、あなたにはメディアの注目を集める力があります。無視されることもありません。しかし、自分でまだ心の準備ができていないと思う間は、無理に自分をさらしてはなりません。自分の人生は自分だけの責任ですから。
私にとっては、トランジションの目標は、その意味はともかく、「普通の人」になることではなく、自分としてバランスのとれた生き方をすることでした。トランスと関係のない人たちも同じ目標だと思います。そこに達するにはそれぞれ違った道程があると思います。私の場合は、うまくいったと思っています。
兄弟よ、幸運を祈っています! ―Jamison Green―
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(訳者注)アメリカでは宗教的偏見、政治信条、無知などから、暴力沙汰のヘイトクライムが多く、性的マイノリティーは身の危険にさらされています。とくにトランスセクシュアルはその対象になることが多いのです。中近東などの古風なイスラム社会では死を意味します。それにくらべれば、TSに対する理解度はまだまだながら、日本はやはり世界有数の自由で安全な国ではあります。グッド・ラック!
2009年7月20日月曜日
アメリカのGIDニュース (その3)
<PEOPLE誌の記事・性転換の途上にあるチャスティティ・ボノ>
FTMが詳細に取り上げられる機会は少ないので、有名な芸能誌「ピープル」の記事もご紹介します。
(2009年6月11日。Chastity Bono Undergoing Sex Change)
エンターテイナーのシェールと故ソニー・ボノとの間にできた一人っ子であり、政治的・社会的アクティビストとして知られるチャスティティ・ボノ(通称チャズ)は今年になり40歳を迎えて間もなく、性転換を進めていることを発表した。
友人が「ピープル」誌に語ったところでは、母親のシェールは「本人が長い間望んでいたことは知っていた。長期間に及ぶプロセスなので積極的にサポートしてあげたい」と言っている。
ボノの代理人であるハワード・ブラグマンも、「チャズのことは本当です。チャズも長年悩み考えた結果として、自分の本当の性自認に正直に生きていきたいと勇気をだして決心したのです。」
「彼は自分の決心に誇りを感じており、また彼の愛する周囲の人たちから示されたサポートと尊敬の意に感謝したいと言っています。20年前に最初にカムアウト(レズビアンとして)した時と同じように、今回のトランジションがこのような問題に関する社会一般のひとびとの受容度と寛大さを呼び起こすきっかけになれば、と願っています。」
1998年の「ピープル」誌の記事によると、チャスティティ・ボノは、自分のケースも含め、若者のゲイたちの生活の実像を集めた“Family Outing”という本を出版したばかりであった。その本ではカムアウトしてゲイの性行動をオープンに語ることで得るものと、思わぬ落とし穴についての実例が報告されていた。1987年ニューヨーク大学1年のときに、両親に自分がゲイ(この場合はレズビアンのことを指す)であることを打ち明けたが、父親のソニーは冷静に受け止めたものの、母のシェールは全く逆であった。
<1998年。母のシェールと一緒に>

「私は動転して頭が真っ白になった。それまでは、彼女が結婚して子供を産み、家族を育てるようになることを夢見ていたからです。」とシェールはピープル誌に語っている。シェール自身も1983年の映画「Silkwood」で同性愛の女性の役を演じて評判になっていて、熱烈なファンには同性愛の女性が多かっただけに、余計に動揺したシェールは娘をニューヨークのアパートから追い出してしまった。チャスティティもロックシンガーとして活動するために大学を中退し、同性愛の女性であることは秘密にすることに決めていた。
ところが、事はうまくは運ばなかった。1990年に自分のロックバンドとともに歌手として売り出す直前に、週刊タブロイド紙が彼女がレズビアンであることをすっぱ抜いてしまったのだ。レポーターに囲まれた彼女は、ゲイコミュニティーの仲間がタブロイド紙にたれこんだのを知り愕然とする。
「それまでの人生でもっとも傷ついた出来事でした」と1998年になって述懐している。「どこに向かうかも知らず大海をただよう小舟のよう、自宅にこもりブラインドを降ろし、生きている実感を失ってしまったのです。」
1992年になると、20歳も年上のジョーンという女性と親密な関係になったが、これも悲劇的な結末を迎えることになる。ジョーンが悪性リンパ腫という難病にかかり、闘病の果てに1994年に死去したのだ。翌1995年になると、失意のボノは意を決してゲイ活動に身を投じ、ゲイ雑誌「The Advocate」の表紙の写真を飾ると同時にカムアウト宣言した。そして、ゲイ・レズビアン権利保護同盟(GLAAD)の中心的な地位につくことになった。
ボノの同性愛者としての公然活動は両親との関係修復にもなり、母のシェールは娘の活動に誇りを感じるようになり、「初めて私の全人格を見てくれるようになりました」とボノも認めている。ところが、母とは離婚していた父親のソニーの方は共和党の政治家になっており、同性愛者の結婚などを認めない共和党の政策に同調せざるを得ない立場にあった。「個人的には私を受け入れてくれましたが、政策的にはノーでした。父には直接には言いませんでしたが、私は心では怒りを感じていました。」(この後ソニー・ボノはスキー中の事故で1998年に死亡してしまう。)
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他にもゲイ運動関係者からのコメントがありますので、以下にその一部をご紹介します。
「トランスジェンダーとしてカムアウトするのは極めて個人的な決心であり、決して軽い気持ちでできるものではない。近いうちにチャズの口から彼自身の言葉を聞くことが出来るよう期待しています。」
とGLAADの会長のニール・ジウリアーノが言う。
「性行動の方向性を転換するトランジションは、通常はホルモン治療から始め、時には外科的方法で性転換する場合もある。人によっては医学的なトランジションである場合もあり、単に社会的なトランスである場合もあるが、多くの当事者にとっては両方とも必要になることが多い。」と言うのはLGBTコミュニティーセンターのキャリー・デイビスである。
いろいろなメディアで未確認の情報が飛びかっているようですが、チャズは昨年6月ごろからトランジションを初めており、来年には終える予定だ、という記事もあった。ということは、SRS手術によるトランジションを完成するのが目的のように思えます。あとは成功を祈るばかりです。グッドラック!
<トランス途上のチャズ・ボノの近影>

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〔注〕チャスティティ・ボノに関しては、CNNの続報がありました。トランジションに成功したFTMの先輩からのアドバイスの投稿ですが、これも参考になる内容を含んでいるので次回の投稿でご紹介します。
アメリカのGIDニュース (その2)
<有名人のFTMがカムアウトすると…>
先回の投稿で、チャスティティ・ボノがFTMの治療を始めたとカムアウト宣言したニュースをお伝えしました。母親と父親ともアメリカでは有名人であり、本人自身もゲイ権利擁護の活動家として知られるチャスティティ・ボノの公然のカムアウトは、それだけ大きな社会的なインパクトがあったのです。
まず母親のシェールは世界的に知られる存在です。歌手であり女優でもあるシェールは、ポップ歌手として1億枚以上のレコードを売り上げ、アカデミー主演女優賞、グラミー賞、エミー賞などを総なめで受賞したほどの超有名人です。同じく歌手であった父親のソニー・ボノもシェールと結婚後デュエットを組んで、ともにヒット曲を次々と送り出した。
<幼少の頃のチャスティティと歌手の両親>

ソニー・ボノはシェールと離婚後に再婚してその後は政界に転じ、カリフォルニア州選出の下院議員として環境保護に取り組み大きな実績を残すが、1998年1月スキー滑降中に立木に激突するという不慮の事故で死亡する。
今年40歳になった娘のチャスティティ・ボノ(通称チャズ)は、両親のテレビショー”The Sonny and Cher Comedy Hour” に小さな女の子としてレギュラー出演していた。成人してからは、自らレズビアンであると公表し、20年間もゲイやレズビアンの権利擁護運動に関係してきたという実績がある。最初のカムアウト当時は母親のシェールは困惑して、娘と別居する結果になっていたらしい。今回のカムアウトはさらにインパクトの大きい「トランスセクシュアル」という内容なので、さらに話題をさらうことになったのです。
<女性らしい歌手から男性へのトランスの初期>

世間には誤解もある。性の転換というと外科的手術で性別を転換するものだと思う人が多いが、実際に性別適合手術(SRS)で性別を変更するケースはそれほど多くない。アメリカ人の0.25%から0.5%の割合でトランスセクシュアルが存在するという推測があるが、これは社会的な転換と医学的な転換との両方を含むおおよその数字だと見なければならない。
メディアはあまりにも手術にハイライトを当てるが、実際に外科手術にまで進むケースは多くなく、どれくらいのケースがあるかも頼りになる数字は把握できていない。とくに女性から男性へのFTMの場合は、何回にも分けて、また一年以上の期間と多額の費用がかかるので、仕事上や経済的な事情からも手術にまで進めないのが理由の一つだと思われる。
チャズの場合も書面でのマスコミ発表はあったが記者会見などは行われず、詳細はいまだ分かっていない。本人側から自発的に発表したことは、今後はチャズ本人が「男性」として認知され、男性として行動することを望んでいるということでしょう。具体的な治療方針はチャズ本人の必要と要求に応じて、また受け入れる医師の判断によって決められることでしょう、と友人は語っている。
FTMの治療は長期間にわたるものなので、マスコミも本人のプライバシーを尊重して欲しいと友人達は願っている。有名人がカムアウトする場合にはこのような特有のむずかしさがある。”People”誌に母娘の写真が大きく掲載され、娘が男性になると発表されたので、全米に知れ渡った。ただ、母親のシェールは「長い間本人も望んでいたことは知っていたので、今後は積極的にサポートしていく」と励ましているのが大きな救いです。
<シェールとチャズ・ボノ>

〈以上はCNNニュースその他のソースからまとめたものです。チャズ・ボノのニュースはまた次回でもフォローします。〉
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