2014年11月21日金曜日

トランスジェンダー勝訴の背景と意味 (マレーシア)

トランスジェンダー勝訴の背景と意味(マレーシア)

先回11月9日の投稿でマレーシアでのトランスジェンダーたちの控訴審に勝訴の判決が下りた記事をお伝えしましたが、この勝訴の意味を一般人や外国人にも分かりやすいようにとの意図で、弁護士の一人を務めたシャーレザン・ジョハン氏の解説がスター紙に載りました。以下はその概要です。(2014年11月12日ネット版The Starより)

マレーシアはイスラム教国家であるため一般国民や官憲のLGBTへの理解はおそらくアジアでも最低のレベルであることを念頭においてお読みください。

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       <判決を喜ぶトランス女性たち>

この控訴審での判決はこの国を揺るがすものだった。ヌグり・スンビラン州のシャリア法刑事法令 第66項は憲法違反として挑戦した3人のトランスジェンダーたちが勝訴したのである。

この控訴審法廷において判事全員一致の見解として下された判断は、シャリア刑事法令第66項は連邦国憲法第5,8,9、10条を犯すものであり、したがってそれらの法令は憲法違反であると断定したのである。

シャリア法令66項とは、ムスリム(イスラム教徒)の男性が女性の服装をしたり、女性として振る舞うのが発見されると法令違反とみなされ、10,000リンギ(=約35万円)または最高6ヶ月の懲役刑、またはその両方、という罰が科せられる規定である。

上訴した3人のトランスジェンダーは肉体的には男性である。しかし、普通の男性とは明らかに違っていて、医学的には「性同一性障害(GID)」と呼ばれる症状をもつ人たちなのである。この症状の人たちは男性として生まれながらも自分は女性であるという感性をもち、女性の服装やメーキャップをして女性として自分を表現し、また女性特有の動作やしぐさを身につけているのである。

この3人は専門家による医学的な根拠となる診断書をそれぞれが3通も提出し、GIDが医学的には「治療不可能」の症状であること、なおかつ一生涯にわたる症状であると診断している。また、上訴した3人は女性としての振る舞いは自分で好んで選んだものではなく、また自分ではどうしようもない症状であると認定している。

上訴された側のヌグリ・スンビラン州政府は法廷に提出された医学的証拠には反論しなかった。

このような症状の3人の当事者は、法令第66項にもとづき州の宗教警察による日常的なハラスメントにあい、逮捕・拘留されたり、起訴されたりした。この法令が存在するために家から一歩出るのもためらうほどで、普通の人間として生活するのが困難な状況に置かれていた。

想像できますか、自分ではどうしようもない医学的な症状のため罰せられることを。

想像できますか、GIDでなくても、なにかの病気のために法的に罰せられることなど。

このような根拠にもとづき、上訴した3人は連邦国憲法に謳われている基本的人権がヌグリ・スンビラン州の法令第66項により侵されていると訴えたのです。具体的には、連邦憲法第5条にもとづく基本的人権、第8条の平等と非差別の保証、第9条の移動の自由、第10条の言論と表現の自由、これらすべての国民に与えられた権利が、州法令第66項を根拠とする官憲により侵犯されているとするものです。

それぞれの州はイスラム教にもとづく法律を制定する権利は有しており、その中には法令66項のようなシャリア刑法が含まれている。しかし、これら州の法律はこの国の最高の法である連邦国憲法に準拠するものでなくてはならない。

合憲であるか否かの判定はイスラム教の定めるシャリア法ではなく、あくまで国の憲法でなければならない、と控訴審の主任判事は言明している。

憲法第3条にはこの連邦国家の宗教はイスラム教であるとの宣言があるが、この条文は憲法に規定する他のすべての条項に優先するものではない。シャリア法で定める条項でも憲法の規定に準拠していなくてはならず、社会的マイノリティとみなされる人々の権利を侵すことはできないのである。

シャリア法令第66項にはGIDに苦しむ当事者は刑法による処罰からは免除するという規定はない。もしあったと仮定すれば、この法令は憲法違反と判定されるのを免れたかもしれないが、この法令にはそのような例外規定がないため、GID当事者の憲法上の権利を侵害するものと判定されたのである。

しかしこの裁定はシャリア法に対する挑戦とみなすべきではない。「シャリア法」という冠をはずしたとしても、その法規の内容の違憲性については同じ判断原則が適用されなければならない。また同様に、一部の人たちが期待するように同性婚にドアを開くものと解すべきではないし、LBGTの権利を認めるものと早合点するのも的を射ていない。

上訴審に訴えてまで法による判断を求めた3人のトランスジェンダーの真意は、官憲によるハラスメントから自由になりたい、自ら望んだわけではないこの症状で、しかも自分ではどうにもできないことに対して刑罰を受けることから解放されて、普通の人間として生きたいという単純で純真な人間的要求からきているのである。

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<付記>

マレーシアにはイスラム教を背景とする宗教警察(通称)と呼ばれる組織は各州に存在し、戦時中の日本の「特高警察」のように有無を言わさず逮捕する権限をもち、しかもその行動には異論を受け付けないという。ゲイやトランス当事者はたえずその存在を意識しながら行動しなければならない、その場で捕まるとなぐる蹴るは当たり前で、頭に瀕死の傷を負わされたトランス女性の写真を見せられたことがある。日本では考えられないような現実がまだマレーシアにはあるのです。

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2014年11月10日月曜日

トランスジェンダー美人コンテスト (タイ)

トランスジェンダー美人コンテスト

(バンコク・ポスト紙11月9日記事より。)

写真中央がミス・ベネズエラ、左がミス・タイランド、右がミス・ラオス

恒例の「ミス・インタナショナル・クイーン」が11月7日夜、タイの海辺のリゾート地パタヤで開催された。このコンテストは「世界最大のトランスセクシュアル・トランスベスタイトのイベント」と自称しているが、今年の栄冠は22歳のベネズエラ代表の頭に輝いた。

18カ国から21人の参加者があり、女王の栄冠を獲得したイザベラ・サンティアゴさんには44万バーツ(約145万円)の賞金が与えられる。また副賞としてスポンサーからいろいろの贈り物があり、希望すれば無料の美容整形手術も選べるという。

タイの参加者ニッシャ・カタホンさんは二位となり150,000バーツ(約49万円)、三位のラオスからのピヤダ・インタボンさんには95,000バーツ(約31万円)が与えられた。

純白のイブニングガウンに身をまとい栄冠を頭に頂いたミス・ベネズエラは、これから何をしたいですかという質問には、笑いながら「ただ眠りたいです」と答えた。

「ステージに上った彼女はエレガントそのもので、審査員全員の賛成で選ばれた」、とメディアのパーソナリティであり学者でもありこのコンテストのジャッジもつとめたスリ・ウォンモンタ氏は言う。

パタヤのトランスジェンダーのステージショーで有名なティファニー・ナイトクラブで毎年開催されるこのビューティコンテストは今回が10回目で、出場希望者は男性として生まれたトランスベスタイトか、または手術前か手術後のトランスセクシュアルでなくてはならない。

他のビューティコンテストとおなじく、「ミス・インタナショナル・クイーン」出場者は出身国の伝統衣装で披露すること、イブニングガウンを着ること、また水着姿でパレードに参加することがきまりとなっている。

ミス・アメリカのサミラ・シタラさんは、コンテストへの参加は夢だったのでとてもうれしい。友人のすすめで決心したこのコンテストが初めて公然とカムアウトする場になった意義も大きい、と興奮した面持ちで語る。

「わたし気がついたの、これが人生というもので、自分の過去からは逃げられない。もう隠すことはできないから、これでよかったと思う。」

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(独り言)世界にはこんなトランス美人がいるんですね。余計ながら、副賞の美容整形などは必要とされないと思いますが、、、。

2014年11月9日日曜日

クロスドレシングの刑法罰は憲法違反の判決(マレーシア)

クロスドレシングの刑法罰は憲法違反の判決(マレーシア)

今年の7月まで6ヶ月にわたって日本に滞在し、トランスジェンダーに関するフィールドワークに関わっていたマレーシアのTG女性のシェコさんからの事前予告のとおり、11月7日に控訴審法廷でクロスドレシングを刑法で罰するのは個人の表現の自由を不当に束縛するものであるとの判決が下された。これはイスラムの国マレーシアのトランスジェンダーにとっては画期的な判決であるので紹介いたします。(2014年11月8日掲載、The Star紙より)

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     写真:喜びのTS関係者(左端が日本にもきたシェコさん)

3人の裁判官で構成されるパネルは3人のトラスジェンダーの控訴を認め、ヌグリ・スンビラン州のシャリア刑法(1992年制定)の第66条は連邦憲法の条文に抵触するものと次のように裁定した。

「個人の服装、身につける装飾品などは自己表現のひとつの形であり、憲法10条の表現の自由で保障されていると当法廷は解釈する。」

現行のシャリア法第66項では女性の服装をして女性としてふるまう者は、本人が性同一性障害(GID)であるかどうかに関わらず6ヶ月の懲役刑か最高1,000リンギ(約33000円)の罰金が課せられる。

「三人の上告人や同じようにGIDに悩む当事者に課せられた制約は、明らかに不当であると言わざるを得ない。したがい、理性的観点からシャリア法第66項は憲法違反と裁定する。」

三人の判事により構成される審議の結果は、GIDは精神セラピーや薬物投与では変更できない精神の様態であり、それに悩む個人に生まれながら備わっている症状である」との一致した見解による。

「シャリア法66項により当事者たちは自分にとって自然な服装をしたいのに出来ない、また逮捕、拘留、起訴の可能性もある。このような制約は当事者の品格を卑しめるものであり、抑圧的であり、非人間的である」、と主任判事のモハマッド・ヒシャムディンは陳述している。

主任判事はまたシャリア法はHIVの拡大につながる同性愛から社会を守るためにも道理にかなっている、とのセレンバン州の高等裁判所の判断には賛同せず、「高裁の見解は事実や確たる証拠にもとづくものではなく、非科学的な個人的感情、または個人的偏見が混在したものである」と述べた。

トランスジェンダー上告代表者の弁護士であるアストン・パイヴァ氏は、「クロスドレッサーたちは今後も逮捕される可能性はのこるが、これからは高等裁判所で堂々と抗告できる権限を得たことに大きな意味がある」と報道陣に語った。

「女性に正義を」運動の主唱者であるニシャ・アユブは、今回の判決をもとに国中のトランスジェンダーたちに教育の機会をもうけ、それぞれの州にある同様の権利抑制の法律にチャレンジするよう呼びかけると言う。

2011年2月2日に別の3人のトランスジェンダーが憲法違反を理由に、同じシャリア法による逮捕と起訴を禁止するよう法律解釈の見直しを求めていた。2012年10月11日に出されたセレンバン州の高裁はこの訴えを却下し、原告が男として生まれ、ムスリム(イスラム教徒)であることを根拠として、憲法に定める原告の権利は無視されるべきであるという判定であった。

今回の控訴審の判断に「独立ジャーナリズム・センター」のソニア・ランダワとジャック・キーは、「この裁定は連邦憲法がこの国の最高の法体系であることを再認識させるものである」と拍手をおくった。

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2014年10月31日金曜日

ローマ法王の同性愛者への視線 (その2)

ローマ法王の同性愛者への視線(その2)

10月26日の投稿のあとCNNニュースに興味深い記事がありましたので、性的マイノリティに関するキリスト教とローマ法王フランシスコの言葉の意味を考えてみたいと思います。

この記事の寄稿者Jay Paniniは詩人であり小説家、バーモント州のミッドベリー・カレッジで教鞭もとる。最近「Jesus: The Human Face of God」の題名でイエスの伝記ともいうべき作品を発表された人物。

以下はパニーニ氏の寄稿の中で最近のローマ法王の言動に感する部分をとりあげて、法王の言葉の意味を再度確認したいと思います。

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同性愛結婚には断固として反対してきたアメリカのキリスト教徒にも最近ではこの問題への対応に変化の波が見られる。2016年の大統領選挙には出馬が確実視されている、言葉に衣着せぬ保守派の代表ランド・ポール氏さえも、地元サウスカロライナ州での最近のインタビューで「今までもずっとそうだったように、これはローカルな問題だ」と答えている。要するに、州単位、キリスト教区単位で決めればいいこと、ということ。

これはまた2013年に移動中の飛行機内でゲイをどう思うかという記者の質問に答えた法王フランシスコの短い言葉「Who am I to judge=私に誰を裁けというのか?」に象徴されている。

この短い言葉は驚くほどのインパクトをもっている。歴代のローマ法王は、同性愛を「道徳の根源的な退廃としての悪である」として糾弾してきたからである。

これはマタイ伝にあるイエスの言葉「裁くことなかれ、汝ら裁かれたくなければ」を敷衍した言葉である。この法王フランシスコの言葉は強力なインパクトのある教えであり、慈しみの心で人々に門戸を開いたもので、その扉は簡単には閉じられることはないだろう。

世界はめざましいスピードで変化しつつある。全米に強力な組織と影響力をもつ長老派教会は、州法で認められるなら教会の司祭が同性愛結婚を執り行うことができると決定したのである。この歴史的な決定はアメリカ全土で10,000におよぶ教会で同性愛者同士の結婚ができることを意味する。

監督教会派では2003年からすでに同性愛結婚を認めていて、初のゲイの司祭も選任した。しかしこれは教会派内部の亀裂を生む結果ともなり、所属教会のなかには離脱する教区がでるという会派内騒動も起こしたことがある。

肝心のイエスキリストは同性愛や性欲の表現についてどう考えていたのだろうか。マタイ伝のなかにイエスのよく知られた教えがある。「読んだ覚えがあるであろう、この世の始めに人間を造られたとき神は男と女に分けられた。それゆえ、男は産みの父と母のもとを離れ自らの妻と結ばれて二人はひとつの肉体となる。したがい、神が結ばれたものをまた二つに分断することは許されない。」

この詩文によりキリスト教徒の離婚を認めないという片寄った倫理観が伝統として根付くことになった。しかしこの規制は前世紀から必然であるかのようにゆるくなり、あまりにも多くのクリスチャンが離婚したので今やこの伝統は守られなくなっている。

ここで注目すべきはイエスがこの教えについてさらに質問されたときのこのマタイ伝の発言である。「この教えはすべての人に当てはまるわけではない、たとえばこの世に生を受けたときから性能力をもたない宦官(かんがん)、また他者より否応なく宦官にされた者、また自ら望んで宦官になり天の王国のために身をささげた者もいるのだ。これらを受け入れられるひとには幸あるであろう。」

アレキサンダー大王にもバガオスの名の男性の愛人がいて、彼は宦官としての記述がある。宦官はいろいろな意味合いで使われており、去勢だけでなく男性らしくない男や同性愛者もふくまれている。

創造主である神は創造されたあらゆるものに愛の目を向けられていて、他を裁き断罪することを好む者は容赦なく罰するのである。

イギリスの詩人ウィリアム・ブレークの詩にあるように「生きとし生けるものはすべて尊い」のである。

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この記事で私がいちばん注目したのはイエスの言葉「生まれたときよりそうであった宦官」である。 聖書には同性愛者という言葉はでてこないが、宦官が性的マイノリティの代表者になっているのかもしれない。

「生まれたときよりそうであった・・・」はLGBT全般にあてはまると私は思っていたので、それがイエスキリストに認められたようで大変勇気付けられた。宦官がそうなら、「L」も「G」も「B」も「T」もこの世に生まれたときからその指向が脳内にインプリントされて生まれてきたのである。決して病気(Disorder)などではない。

しかし、性自認と身体が一致しないトランスジェンダーはGID(Gender Identity Disorder=性同一性障害)として治療のための便宜上病気として扱われてきたが、2年前にアメリカで開かれた国際学会で単なるGD(Gender Dysphoria=性違和感)と称することが決定されている。生まれつきの性自認と身体が一致しないための違和感の苦しみにくわえて、家族もふくむ世間の理解がないため増幅される違和感をどう克服していくかが課題である。

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2014年10月26日日曜日

ローマ法王の同性愛者への視線

ローマ法王の同性愛者への視線について

10月20日の日経新聞に目立たない記事が目に留まりましたので、ちょっと感想を 述べてみます。記事の表題は「カトリック教会、同性愛者への寛容案見送り」です。

ローマ法王フランシスコはイタリア系移民の子としてアルゼンチンに生まれ、労働者階級のなかで育ったという生い立ちのためか庶民感覚にあふれ、カトリック総本山のバチカンに新風をおくりこみ、つぎつぎと改革にとりくんできた。大げさにいえば現代の宗教改革ともいえるその行動力には世界が注目していた。

その1つのテーマが同性愛などに対する寛容な態度だった。カトリックの信者や神父、バチカンにも同性愛者はいるからでもあり、この問題は無視できないと直視しようと思われたのであろうか。その勇気と決断を実行に移すスピードには、部外者ながらハラハラしつつも感嘆していた。

今回のニュースは、離婚したカトリック信者や同性愛者に寛容な姿勢をしめす内容の、法王主導でとりまとめた中間報告が「世界代表司教会議」でそのまま採択される見込みであった。その中には「同性愛者を歓迎する」との項目があり、「同性愛者もキリスト教社会に貢献できる才能と資質がある」との文言が盛り込まれていた。

「神の御計画」を破壊する企てとして同性愛や同性婚を禁じるというカトリックの教義は肯定するものの、現実の社会に生きる同性愛者の人間としての権利には配慮しなければいけない、とする中間報告書での歴史的な方針転換が将来への期待感として注目されていた。

ところが10月18日バチカンで開かれた200人近くの枢機卿や司教で構成される世界代表司教会議でその歩みよりの文言が多数を占める保守派の抵抗にあい、同性愛者への姿勢を変えると解釈される文言は削除せざるを得なくなった。これが改革を進める法王の初の後退となったのがニュースの主眼である。

ここで宗教にはとらわれない私には合点がいかないことがある。なんでこんなことが大騒ぎになるのか。LGBTと称される性的マイノリティーは、当事者本人が好んでなったのではない。生まれながら備わっていた性自認がある時期に発現するのであって、他人や社会の影響をうけて自ら選んだのではない。その性自認が自覚される年齢には個人差があるだけで、人種や文化が違ってもこれは共通している。これが文化の異なるLGBT当事者と接触してきた私の経験的な結論である。

さらにキリスト教やイスラム教などの宗教の拠りどころとなる聖書や法典には同性愛についての記述はない。この世には男と女、オスとメスしか造られていない、だから旧約聖書の神の御言葉「産めよ、増えよ、地に満ちよ」にいそしむのが人間や動物の役割だとされてきた。

同性愛では子は産まれない、そのような行為は神の意志に反するものである。これがキリスト教、イスラム教にも共通した道徳観である。

しかし現実社会では同性愛者として生まれてくる子供がいる。それが母親の胎内にいる間に方向付けされたもので誕生後に身につけた性自認ではない、という事実には宗教は眼をつむり耳を閉ざす。医学的にも未だに解明されていない。そこに社会的な偏見がはびこり、人間として生きる権利や場が制約される。

そこで誕生前から潜在する性自認をもつ同性愛者をなぜ神が造った人間として認めないのか、バチカンから広い世界に問いかけるべきではないでしょうか、とローマ法王にも言いたかったのですが、、、、。

しかし実際にはフランシスコ法王ご自身はすでにご承知のこと、自らは同性愛者を同じ目線で見ている。民主的に運営される世界代表司教会議で反対する多数派を説得するには段階をふんでやらないと一足飛びでは大ケガをすると、、、。

一年後にはまた機会がめぐってきます。LGBTも神が造られた同じ類の人間です。がんばってください。陰ながら応援しております。

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2014年10月8日水曜日

HRWレポート日本語訳

HRW レポート日本語訳

10月2日の投稿記事でマレーシアのトランスジェンダーの新聞記事を 紹介しましたが、マレーシアのTSの友人からすでに日本語訳があると いうメールが入りました。

ヒューマンライツウォッチ東京からも許可を得ましたので、その日本語訳 サイトを以下にそのまま転載させて頂きます。

http://www.hrw.org/ja/news/2014/09/24

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2014年10月2日木曜日

LGBTが虐待されるマレーシアの現状

トランスジェンダーを虐待するマレーシアの官憲

Human Rights Watch(HRW)が報告するマレーシアの現状 (2014年9月25日版Bangkok Post紙掲載のAFP記事より翻訳)

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(クアラルンプール発)マレーシアのトランスジェンダーたちは組織的な抑圧、挑発行為、虐待に日常的に遇っていて、政府は早急にトランスジェンダーのライフスタイルを犯罪扱いする法律を撤廃しなければならない、とアメリカを本拠とするNGO人権監視団体のヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)が最新の報告書を発表した。

      (HRWレポートに見入るマレーシアのTSたち)

Human Rights Watch(HRW)の発表した詳細なレポートによれば、東南アジアでもイスラム教徒が過半数をしめるこの国ではトランスジェンダーたちの直面する人権侵害行為は悪化の一途をたどっている。

その中には逮捕、襲撃、官憲による強要、強奪、公衆の面前で女性の衣服を全部脱ぐことを強要するなどトランス女性をはずかしめる行為、健康・医療、雇用、教育機会等に対するさまざまな障壁がたちはだかっている。

この人権団体でレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスセクシュアル(LGBT)の人権擁護推進を担当するボリス・ディトリック氏によれば、マレーシアでは保守的なイスラム教信奉者の影響が加速的に強まっているためにトランス当事者の状況は悪くなるばかりである。

「簡単に言ってしまえばトランスジェンダーであるだけで逮捕されるということ。こんなひどい状況は他の世界中のどの国を廻っても見られない。」

「この国の加速するイスラム化の現状とぴったり一致するのだ。」

マレーシアは元宗主国の英国の法律にもとづく民事法廷があるが、その一方でイスラムの教えへの遵守を規定するシャリア法によるイスラム法廷も存在する。このイスラム法は人口の6割を占めるマレー人だけに適用されるもので、マレーシア人でも中国系やインド系の非イスラム教徒には適用されない。

シャリア法とよばれるイスラム法では男が女の服装するだけで、最高3年までの懲役刑が科せられる。また州により、とくに保守的な東海岸の州では、女性によるクロスドレシングも同様に罰せられる。

HRWによれば、男として生まれながら女性としての感性をもつトランス当事者たちは、イスラム法を強要する官憲(宗教警察)の手によるさまざまな肉体的、性的な迫害にあっている。

73ページに及ぶ同団体の発表したレポートでは、そのような人権侵害を体験した何十人もの当事者へのインタビューが掲載されている。

そのひとりヴィクトリアは言う。「わたしはたとえようもない恥辱をうけました。公衆の面前で全裸にされ、身体をあちこちいじられたのです。」

「大勢が見ている前です。中には裸にされたわたしの身体の写真を撮っている人もいました。」

3人のトランスジェンダーが原告となった裁判が注目されている。クロスドレシング法は差別的であり憲法違反であるとの根拠でマレーシアのある州で同法を廃止するよう裁判に訴えているのだ。

HRWグループのディトリック氏は声明を出し、「マレーシアのトランスジェンダーたちは日常的に逮捕されるリスクを負わされている。その一方の加害者ともいえる官憲は相手をどのように扱おうとも一切の責任を問われないのである。」

同性愛も事実上は不法行為とみなされ禁止されており、同性同士の性行為は最高20年の懲役刑が科せられる。

人口3000万ほどのマレーシアの約60%はイスラム教徒のマレー人であるが、歴史的には穏健なイスラム教の国であった。それが最近になり特定のイスラム教勢力の保守化傾向がさらに勢いを増す傾向が続いている。宗教的にも民族的にもマイノリティであるグループや他の批判グループからはひんぱんに警鐘が鳴らされているが、政府は対応に手をこまねいていて見て見ぬふりをしているのが現状。

(以上AFP記事より) **********

<私的感想>

マレーシアには宗教警察という他国にはみられない警察機構がある。今年の3月、数回メール通信していたマレーシアのTS女性と東京で会うことができた。彼女からもその宗教警察の話を聞いていて、はっと息を呑むような残酷な仕打ちを受けたTS女性の写真も見せられていた。

そういう背景もあったので過去何十回も訪れているマレーシアのトランスジェンダー事情には興味をもっていた。8月末にクアラルンプールを訪れた際その女性のアレンジで、現地のTSたちが安全に集まれる場所でSRSのオリエンテーションとQ&Aの集会が開かれた。10人ほどのTS当事者たちと親しく話す機会が持てたのは私にとっても貴重な体験となった。一人は母親同伴で別途カウンセリングもしたが、母親は娘の手術には賛同しているとその場で感じとれた。

その直後にバンコクに来た彼女をプリチャー先生に紹介し、今や親友となったその女性をマレーシアの窓口としてPAIとのコーディネーター役も引き受けてもらったのも望外の収穫だった。彼女もプリチャー先生の寛大で温情あふれる人柄に感激した様子で、真心のこもった感謝のメールをもらった。

帰国後まもなく参加者の3人がPAIで手術したいということで、すでに具体的な日程まで決めているとの連絡があったのには驚いた。これには経済的に苦しい生活を強いられているマレーシアのTSには特別価格を提供するというPAIのプリチャー先生の配慮も大いに力となったのはもちろんです。

マレーシアのTSたちの多くが国境に近いタイ側の町やバンコク裏町のうらぶれたクリニックでSRSを受けているのはその親友から聞いていた。値段が安いのが最大の理由です。バンコクのPAIはよく知られているものの、彼女たちには「5スター」クラスで手が届かなかったのです。

東京に帰って間もない9月25日のバンコクポスト紙のこの記事を見て早速クアラルンプールの彼女にも知らせてあげた。まずマレーシア現地の大手マスコミは政府に遠慮してこのようなニュースは取り上げないと思ったからである。半面、隣国のタイではマレーシアのTS関連のニュースは英字紙が取り上げることがよくある。

その親友からはさっそく返事があり、TSコミュニティ全員がHRWレポートに歓喜の声をあげて、今後も権利獲得の闘いを続けていくことを誓ったそうです。話せばわかる相手ではない宗教警察にだけは気をつけてね!

HRWの報告書のコピーが届いたら、その内容の詳細を翻訳して報告できると思います。

(島村記) *****

2014年1月23日木曜日

同性愛禁止法に大統領署名 (ナイジェリア)

LGBT関連ニュース(アフリカ・ナイジェリア)

同性愛禁止法に大統領署名(ナイジェリア)

(2014年1月13日付け: Voice Of Americaより)

LBGTに対するアジア諸国での法的対応を数例取り上げてきましたが、今度はアフリカのナイジェリアの最新情報を紹介いたします。

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ナイジェリア大統領グッドラック・ジョナサンは同性結婚と同性愛団体の会員資格を禁止する法案に署名し法律が成立する運びになった。

この法律によるとゲイクラブに参加すること、および「ナイジェリア国内において同性同士による性愛行為を公衆の面前で演じる者」は法律違反とみなし最高10年の懲役刑に科するという。

さらに同性結婚や同棲契約などの行為は最高14年の懲役刑が科されることになる。

この新しい法律制定にはアメリカ国務省のジョン・ケリー長官から抗議の声明が寄せられた。ケリー長官の声明では、「アメリカは同法案に重大な懸念をもっており、ナイジェリアの憲法に謳われている人権擁護の精神に違反するものであり、ナイジェリア全国民の集会と交流、表現の自由を著しく制限することが懸念されるものである」と述べている。

西洋諸国とは異なり、多くのアフリカ諸国では同性愛に対する反感にはいまだに根強いものがあり、うち数カ国は最近になり同性愛をきびしく制限する内容の法律を制定する動きを示している。

先月にはウガンダの議会はある種の同性愛行為を終身刑で罰する法案を通過させたばかり。その法案はヨウェリ・ムセヴェニ大統領の署名を待って成立する運びになる。

<ナイジェリア大統領グッドラック・ジョナサン>

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以下は翌日1月14日の続報です。一部重複する部分があるため抄訳とします。)

ウラズリケ氏は人権擁護活動家で、ナイジェリアでは同性愛封じ込めの法律制定に反対の声をあげてきた少数のひとたちの一人。このような法律はゲイをターゲットにしたように思えるかもしれないが、他の人々も傷つける可能性があると言う。

たとえば、ナイジェリアではゲイの男性は17%という高い率でHIVに感染しており、このような法律ができると逮捕を恐れて治療を受ける機会を逃してしまうことになるだろう。

また、HIV患者にサービスを提供している団体もこの法律によれば閉鎖しなくてはならない。同性愛者のなかには既婚者もいるし、ガールフレンドもいるだろう。そのような女性もやがては結婚して子供を生む人もでてくるだろう、そうなるとどうなるだろうか……ウラズリケ氏は言う。

西洋の多くの国とは対照的にゲイに対する反感はアフリカの多くの国で感じられ、今回の法律制定も実のところナイジェリア人の間では評判がいい。街頭で一般大衆の声を聞いてみると、彼らの共通の心理が以下のサンプルに読み取れるだろう。

“このニュースはたいへん喜ばしいことで正しい方向への一線なので神に感謝しなくてはならない。”

“この件はキリスト教とイスラム教に反しており、非常に悪いことなので連邦政府の方針を支持します。”

“これは正しいことですよ。もっと前にやっておくべきことでした。憲法の中にも謳うべき内容のものですよ。”

ナイジェリアの国会議員はもう何年にもわたってこのような法律を検討していたのです。その法律にジョナサン大統領が先週署名して一般国民には月曜日に発表されたのです。

西洋の何カ国かの国はこの法律に異をとなえましたが、英国などはゲイを封じ込める法律を制定するアフリカの国からは援助を撤回するとおどしました。

政治分析家によればこの法案のタイミングに注視すべきで、2015年は選挙の年で大統領の人気にかげりが見えているのです。アブジャ大学のアブバカール・アリ政治学講師によれば、同性愛者の権利は貧困の極に生活するナイジェリア人の大半には切実な興味のあるテーマではなく、今回の法律制定には多くの市民が賛成すると予測されます。

「イスラム教徒もキリスト教徒もゲイの権利については圧倒的に反対の立場をとっており、大統領も次回の選挙で政治的に有利になることを狙っているのでしょう」とカーン氏は言う。

ツイッター上ではこの法律に反対する人たちが抗議運動を呼びかけている一方、賛成派の人たちは西側諸国に対してナイジェリアの文化に口を挟むべきでないと抗議している。

ナイジェリアのゲイたちは性指向を隠してたえず身に危険がふりかかることを恐れ、自分の家族や友人からも捨てられることを恐れて暮らしている。活動家のオラズリケに自らの身を守るためにナイジェリアを離れる気はないかと聞くと、「ゲイのほとんどが隠れて生きている現状では誰かが彼らの代弁者になって声をあげなくてはならない。逃げるわけにはいかない。」、と言う。

ナイジェリアではキリスト教徒が国民のほぼ半分、残りの半分はイスラム教徒だと言われている。キリスト教もイスラム教も同性愛は神の教えに反するとして容認しない。まして同性愛をきびしく罰する法律が成立したこの国で、今後同性愛者やその他の性的マイノリティが社会からどういう扱いを受けるかは想像に難くない。

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(付記)

歴史的にはアフリカ諸国のほとんどが西側諸国の支配下にあったため、独立後もキリスト教が根をはっている。キリスト教はゲイには反対の立場が強く反映されていて、自由の国と思われるアメリカなどでもLBGTには強烈な反感をもつ人口も多い。アフリカはまたアラビア半島からのイスラム教の勢力もつよく、イスラム社会も同様にゲイをはじめLGBTの存在することすら正式には認めていない。

カトリックの総本山とも言えるバチカンをおひざもとに抱える国イタリアも、トランスセクシュアルには暮らしにくいところですよ、とバンコクに来てSRSを受けたイタリア人MTFが話してくれたことを思い出します。

人間を救済するはずの宗教がぎゃくに迫害する教えに固執している様を見聞きするにつけ、特定の宗教に固執しない、また極端な偏見のない日本がいちばん住みやすい国ではないかと思えるようになります。私の実家のように神棚と仏壇が同じ家にあり、神道と仏教が渾然として日常生活に共存する日本人の精神構造は柔軟性と包容力を象徴するもので、その「いいかげんさ」が住みやすい国の要件ではないでしょうか。

アジアきっての仏教国タイなどもいいかげんさでは立派な国です。まじめに考えると腹がたつほどのいいかげんな面がありますが、だからこそ人気があるのでしょうね。

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