2007年5月16日水曜日

埼玉医大、性転換手術を中止


GID当事者やSRSに関心を持つ方々には大変驚きのニュースです。
1998年に最初の性別適合手術をして以来、現在まで約70例のFTM、約20例のMTFの手術を行ってきた埼玉医大が内部事情により性転換手術を当面中止する事態になったことが明らかになりました。

とりあえず、5月13日から14日にかけて一部の新聞やNHKテレビニュースでも報道されましたので、ここではご参考までに「アサヒ・コム」の記事をそのまま掲載させて頂きます。

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性転換手術、中核病院が中止 埼玉医大、担当医定年で
2007年05月13日

 心と体の性が一致しないことで苦しむ性同一性障害(GID)の治療の中核を担ってきた埼玉医科大学が5月から性転換手術(性別適合手術)の実施を中止したことが明らかになった。形成外科の教授の退職で手術の態勢がとれなくなったという。この手術は患者が戸籍上の性別を変える場合に必要とされる。GIDはようやく社会的に認知されてきたが、約1万人といわれる患者の治療の最終手段が断たれる懸念が出ている。

 埼玉医大は98年、国内で初めて公的に性別適合手術を実施。形成外科教授だった原科(はらしな)孝雄医師によると、現在までに延べ357人が手術を受けた。6割は乳房切除術だが、技術的に難しく、国内では前例がなかった男性器形成手術を21例実施している。

 山内俊雄学長によると、3月に定年を迎えた原科医師が4月末で退職し、執刀医らによるチーム医療態勢がとれなくなった。手術には熟練した医師が複数必要で、スタッフに経験を積ませてきたが、中心メンバーが体調を崩すなど継承できなかったという。

 形成外科は5月から10月までに手術予定だった60人弱に手紙などでキャンセルを伝えた。山内学長は「大学として性同一性障害の治療を続ける方針は変わっておらず、なるべく早く再開したい」と話す。

 GID治療は精神科、婦人科、泌尿器科など各科にまたがる。心の性と異なる性器を傷つけるなど深刻なケースもあるが、最終段階にあたる性別適合手術の受け皿は広がっていない。3年前から患者は家裁に申し立てて戸籍の性別を変更することが可能になったが、性別適合手術を受けていることなどが条件になっている。

 埼玉医大以外にも岡山大、関西医大などで実施されたが、件数は限られる。特に女性から男性にする場合には高度な技術と経験が必要で、病院挙げての態勢が必要なためだ。「形成医の間で理解が浸透しておらず、やろうという医師はまれなのが現実」と原科医師は話す。一般病院で治療を続けられないか探っているが、手術のリスク、医療保険の対象外なことなどでためらう病院が多いという。

 渡航して手術する人もいるが、安全性や手術後の継続的な治療の面で懸念がある。

 埼玉医大ですでに手術を受けた敦賀ひろきさん(39)は「あえて公に認められたプロセスで治療を進めてきた患者の立場を考えてほしい」と言う。手術後も機能的な問題が残り、再手術が必要な人も少なくないと指摘している。

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SRSを予定されていた方で今後の方針を決めかねている方には出来るだけの対応をさせて頂きますので、当サイトにご遠慮なくご連絡ください。
Email: masa.shimamura@gmail.com


2007年4月14日土曜日

同性愛と車のデザインは関係ありや?

昨日4月13日に投稿した同性愛についてのNYタイムズの記事はかなり重く、消化不良をおこしたかもしれません。12日付でまた同紙に今度は軽い記事が載っていましたので、同性愛の話題をとりあげた勢いで要点だけご紹介しておきます。

今のアメリカは比較的にゲイには寛大で(そこに至までの当事者の苦労と努力のたまものだと思いますが)、一つの文化的な流れを形成していると同時に、商品によっては無視できない大きなマーケットでもあります。

この記事で取り上げられているのは、アメリカ生活には欠かせない「くるま」のスタイルに関するものです。ちなみに、アメリカで「ゲイ」といえば、男性・女性を問わず同性愛者をさす言葉として広く使われています。

ここで使われている英語は比較的に簡単ですので、翻訳するのはやめにして解説だけにしておきます。抜粋して引用するのは以下のパラグラフ一段だけです。

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Gay by Design, or a Lifestyle Choice?
By Alex Williams, The New York Times, April 12, 2007

Subaru has been the most prominent company to embrace the gay market. As long ago as 2000, the automaker created advertising campaigns around Martina Navratilova, the gay tennis star, and also used a sales slogan that was a subtle gay-rights message: “It’s not a choice. It’s the way we’re built.” Little wonder that many lesbians refer to their Outbacks as “Lesbarus.”

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スバルのアウトバックという車種が2000年頃レズビアンの間で大人気だったそうです。プロテニス界の女王で、彼女自身がゲイであるマルティナ・ナブラティロワを起用した広告キャンペーンも評判で、その販売スローガンにさりげなくゲイの権利擁護のメッセージをこめたところが心憎いですね。「選んでこうなったのではなく、最初からこういう造りなのです」。この一行の英語が見事に効いています。

"It’s not a choice. It’s the way we’re built.”

先回紹介したニューヨークタイムズ記事の主旨と同じく、「ゲイは選んでなったわけではなく、生まれながらそう造られているのです」、というメッセージが秘められています。このスバルの広告キャンペーンにナブラティロワが起用されたということは、アメリカでは彼女がゲイであることは周知のことだったわけですね。わたしは知りませんでした。評判になったこの車にレズビアン自身が”Lesubaru”というあだ名をつけたというのもまたアメリカ的ですね。

一方、GIDはアメリカでもまだ少数派です。同性愛の地位に肩を並べるにはまだまだ時間がかかりそうです。日本でも東京世田谷区議として政治の舞台で声を上げ、現在再選を目指しているTSの上川あやさんのように、勇気ある当事者がもっと表に出られるように応援しなくてはいけないと思います。

2007年4月13日金曜日

性指向のパートナーは遺伝子が決める

4月10日に「タイのゲイ文化」について投稿しましたが、その直後に同性愛に関するニューヨークタイムズ紙の記事を見つけました。私には大いに参考になりましたので、かなりの長文ですが以下にその記事を少し要約して投稿させて頂きます。

同性愛とGIDとは別物であるとはいえ、GIDにも異性愛者も同性愛者もいます。この記事にもあるように、誕生前の遺伝子の作用がその後の性指向や性衝動を決定づけている可能性は大いにあり、まだ定説でないとはいえ、この分野のアメリカの専門家の見解として参考にして頂ければと思います。


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Pas de Deux of Sexuality Is Written in the Genes
By Nicholas Wade, The New York Times
April 10, 2007


性的な欲求ということになると、進化の法則は偶然にまかされることはまずない。人間の性行動は自由気ままに選べるものではなく、あらゆる過程で遺伝子プログラムが誘導していると、生物学者たちは気づき始めている。

異性間の性衝動は選択によって選ぶものではない。ストレートな男は女を相手として選ぶように仕向ける神経回路があり、ゲイの男にはほかの男性を求める神経回路がある。女性の脳には、自分と子供のために最善の保護を与えてくれるような男性を選ぶために、神経回路を整備する能力さえあると思われる。

その他の神経回路の働きも手伝って、ロマンチックな恋愛や長期の同居生活などを可能にするように、性行動に関する取り決めはすでに遺伝子により決定済みである。欲望が人間の性行動の根源だと思われがちであるが、それは長いドラマの中段の一幕にすぎず、台本のほぼ全体が遺伝子に書かれている。

母親の胎内では、胎児の身体はすべて女性とデフォルト設定されていて、男の性を決定づけるSRYとして知られる遺伝子が存在する場合だけ男性になる。この優性遺伝子はY染色体の誇るべき、また唯一とも言える属性で、これが卵巣になる運命の生殖組織を脇道にどかせて精巣(睾丸)になるようにポイントを切り替える。精巣から出るホルモンは主にテストステロンで、これが男性の身体を形成していくことになる。

過去10年間にわたる研究の成果として、脳はれっきとした性器官であり、男と女はそれぞれ根本的に異なるバージョンの機能をもっている、という思いも寄らぬ事実が明らかにされてきた。これは身体全体だけでなく、脳をも完全に男性化するというテストステロンの芸術的な仕事に他ならない。

男性と女性の脳の違いはあったとしても、それは小さな違いか何かの偶然の結果によるエラーで、ごくまれな少数のケースにしか見られない、という従来からの説は間違いである、とカリフォルニア大学アーヴァイン校のラリー・ケーヒル博士は述べている(Nature Reviews Neuroscience)。脳内で高度な情報処理の大部分を行う、広い面積を占める脳の外側の層である大脳皮質は、女性の方が層が厚い。最初の記憶装置として作用する脳海馬は、女性の脳の半分以上を占めている。


脳の働きをイメージ化する技術の進歩により、同じことをするにも男と女は脳の使い方が違うということがわかってきた。大脳側頭葉の核である扁桃体は、感情の強弱により記憶に優先順位をつける作業をうけもつ左右に一対ある器官であるが、女性は左の扁桃体を、男性は右側を使う傾向がある。

人間は文化の影響を強く受けるとはいえ、人間の脳は男と女の間の機能には明確なパターンの違いがあるのにはもはや驚くにはあたらない。男の脳はその性的欲望の対象は女性に向けられるように設定されている。その最も顕著な例は、包茎の手術ミスでペニスを失ってしまい、女の子として育てられた男の子のケースである。女の子として育つようあらゆる社会的な配慮がなされたものの、成熟するに従ってパートナーとしては男でなく女性を選ぶようになっていった。

脳の男性化が始まると、女性を好ましい思わせる何らかの神経回路が形成されていくものと思われる。そうだとすると、ゲイの男性においてはこの回路の配線は違っているはずである。欲望を感じる対象の男と女の写真を見せる実験では、ストレートの男性は女性を、ゲイの男性は男の写真を選んだ。

このような実験を女性に行っても同じような明確な結果は得られない。女性がストレートかレズビアンか自己申告しても、「女性の性的興奮の相手は無差別と言ってもいいぐらいで、男でも女の写真でも興奮を感じるようだ」、とノースウェスターン大学の性指向の専門家マイケル・ベイリー博士は言っている。「女性が性指向をもっているかどうかさえ、はっきりしない。ただ、女性は性的に好む相手はちゃんとわかっていて、非常に選り好み傾向が強く、ほとんどの女性は男とのセックスを選ぶ。」

ベイリー博士によると、性指向と性的興奮を司る神経回路のせいか、男は外に出てセックスの相手を探すのに対し、女性はセックスを求めてやってくる相手を受け入れるか拒むかに神経を使っているように考えられるそうである。

ミシガン大学の神経科学者マーク・ブリードラブ博士も、男女間の性指向の違いについては同じような考えを持っている。「たいていの男性はどっちのセックスを追求したいか、頑固なまでにはっきりした考えを持っているのに反して、女性の方はもっと柔軟性がある。」

男性の性指向については、誕生前にもう決まっているようだ。「この問題を研究している学者のほとんどは、男性の性指向を決定づける先行条件は人生の早い時期、おそらく誕生前に、作られていると確信している。女性の方はと言えば、同性愛者として生まれてくる人もいるであろうが、人生かなり年数がたってからそこに到達する人がいるのも確かである。

性行動というのは単にセックスのことだけではない。ラトガーズ大学の人類学者ヘレン・フィッシャー博士は言う。「三つの主要な脳神経システムが進化して、人間の再生行動に方向付けを与えるようになった。一つは、パートナーを探すように仕向ける性衝動である。二つ目は、特定のパートナーに結びつけようとするロマンチックな求愛プログラムである。三つ目は、親としての役割を果たすため長期にわたり生活を共にしたいという、長期的な結合を求めるメカニズムである。

「ロマンチックな恋愛は、初期の熱烈な段階では12ヶ月から18ヶ月続く、というのが人種・文化を問わず共通に見られる現象であり、脳にそのような回路が備わっていると思われる。」、という見解をフィッシャー博士は昨年発表している。脳をイメージ化した研究では、被験者が恋人の写真を見せられると、脳内のごほうびと認識する特定の部分が活発な反応を示すことが検証されている。

男性と女性における同性愛を理解するため、研究者たちは多大な努力を傾注していろいろな可能性を探ってきた。例えば、男性のゲイは遺伝子との関連からみて遺伝的なものではないかという見解であるが、ゲイの男性で子孫を残す割合はストレートな男性の約5分の一しかないことを考えると、同性愛と相性の良い遺伝子は急速に世界の人口から消えてしまう運命にあることになり、現状にそぐわない。

しかし、まだ可能性として残る説がある。それは、他の家族に子孫が多く生まれるチャンスを増やすために執拗に生き残る遺伝子があり、同性愛はその遺伝子の副産物として生まれるのではないか、というものである。ある調査によると、ストレートの男性にくらべるとゲイの男性には親族が多い、とくに母方に多い傾向があるそうである。

ベイリー博士は、同性愛の影響はもっとはっきりした形で現れるはずだと考えている。つまり、同性愛と相性の良い遺伝子が次の世代にわずかしか引き継がれないなら進化の法則で選ばれるはずはない。その意味では、男性の同性愛は進化論的には不適合であるとしか言いようがない。

同性愛の起源についてはもっと単刀直入な手がかりが指摘されていて、それは男兄弟の誕生順というものである。二人のカナダ人学者、レイ・ブランチャードとアンソニー・F・ボガートによると、複数の年上の男兄弟をもつ男性が同性愛になる可能性は目立って高くなるという。姉の数は問題にならず、また兄たちが同じ家に同居して生活を共にしているかどうかも関係ない。

この見解の意味するところは、男性同性愛は母親の子宮内部でのある出来事により引き起こされるもので、例えば、引き続き何回か男の子を妊娠したことへの母親の免疫反応ではないか、と昨年の学会誌に発表している。反男性の抗体が組成され、それが普通なら誕生前に男性化する脳をその過程で妨害するからではないか。ただ、そのような抗体は実際にはまだ検出されてはいない。

男兄弟の誕生順という説は実際には大きな影響をもっている。1パーセントから4パーセントの男性がゲイであると推定すると、約15パーセントのゲイ男性はその同性愛の原因が兄弟の誕生順に起因するといえる。また、兄の数が一人増えるにつれて同性に魅力を感じる可能性は33パーセントも増えるのである。

性指向を決定づけるのに決定的な役割を果たすのは、誕生前に循環しているテストステロンの量であるという考えは前述の説からも支持されている。しかしながら、胎児のテストステロンの量は計ることができず、成人したゲイやストレート男性はそのホルモン量は同じで、誕生前のホルモン量に関しては追跡のしようがない。というわけで、信憑性は高いものの、あくまで仮説であって証明されたわけではない。

性行動と欲望の基本を理解しようとする最近の研究の成果は、遺伝子が脳の性区別に直接的な影響を与えている可能性があるという発見である。テストステロンやエストロゲンのようなステロイド・ホルモンが、男性と女性の脳を形作るのに主要な役割をまかされている、と専門家も長年信じてきた。しかし、UCLAのアーサー・アーノルド博士の発見によると、試験管の中では男性と女性の神経細胞はすこし違った行動をとるのが見て取れる。同じくUCLAのエリック・ヴィラン博士の昨年の発見では、少なくともネズミを使った実験では、脳のある細胞においてはSRY遺伝子が活動していることがわかった。SRY遺伝子の脳での役割は、テストステロン関連の活動とは全く違っており、女性の神経細胞はその同じ役割を別の方法で行っていると推測される。

脳に関連する遺伝子が異常なほど多く「X」染色体上に存在しているのは偶然の仕業だろうか。脳の機能に関連して「X」、「Y」染色体が急に脚光をあびるようになり、進化生物学者たちも注目している。男性はただ一個の「X」染色体しか持たないため、「X」の遺伝子の一個になにか有利な変異が起これば自然淘汰の原理が素早くそれに乗っかり推進してしまう。そこで、もし選り好みのきびしい女性が理想の男性パートナーに頭の良さを求めるとするなら、なぜ脳に関連する遺伝子が「X」に数多く集中して存在するのか説明がつくのではないだろうか。

この世界を回転させている原動力は欲望であることを、それでも疑いますか?

(訳責:島村政二郎)
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2007年4月10日火曜日

タイのゲイ文化



(写真は華やかなレディーボーイ中心の舞台ショーで、ゲイとは直接の関係はありません。人気グループは世界中で公演しています。美形のTSにとっては晴れ舞台です。)

よくタイにはゲイが多いというコメントを聞きます。本当でしょうか。たしかに明らかにゲイとわかる人、またはゲイらしく見える人が多く目に付くのは事実です。タイで有名な風俗業のことではありません。

サラリーマンや、ホテル、レストラン、旅行会社の窓口、店員、病院、などいたる所で見かけます。普通の男性の服装もいれば、うっすらと化粧している人もいます。しかも、本人だけでなく、同僚やお客もべつに気にしている様子はありません。これがいたる所で見かける昼間のゲイの普段着の姿です。風俗業は別格としても、日本にくらべればゲイが多いという印象は旅行者がもつ正直な感想でしょう。

これは要するにタイはゲイに対する寛容度が高いからです。偏見がないと言えばウソになるかも知れませんが、社会的に受け入れられているだけでなく、職業によっては一般人より優遇されている面もあります。たとえば、ホテルのフロント、病院などの案内・説明係、学校の職員、店員、ウェイター、などです。また普通の会社員でもべつに問題にされることはありません。

私のよく知っているサムイ島のリゾートホテルのフロントに二人のゲイがいました。マネジャーによると、まず他の女性の従業員とは男女間の問題は起こさない、ちゃんとした教育も受けている、お客さんへの接客態度がていねいで細かいことにも気が付く、普通の男性より真面目で頼りになる・・・など良いことづくめでした。

またバンコクのある専門病院でも同じような見方をしていました。そこは男性の接客スタッフは少数ですが全員がゲイで、しかも院長の方針でゲイしか採用しないという徹底ぶりです。べつに、院長がゲイというわけではなく、前述のようにゲイの方が女性以上に細やかな気配りができるので、患者へのサービス面で得策であるという理由です。たしかにこの病院は繁盛しています。

タイ人の会話の中でよくゲイの同僚の話がでますが、特別視している感じはまったくありません。それはゲイが社会的に受け入れられていて、生活にも仕事にも特別な支障なく社会参加ができているからです。そのため、「タイではゲイが多い」という印象につながっているのではないかと思います。

性同一性障害と同じように、同性愛も生まれる前から決まっていた性指向だとすると、タイに特別多いわけはなく、ほぼ同じ率で日本にもゲイが存在するはずです。歴史的にも日本にはゲイについての文献は多くありますが、違いは現在の日本社会の寛容度に差があり、社会的に表に出にくいため、目立たないだけではと思います。

宗教的な偏見から、アメリカなども一部の都会を除けば決してゲイには住みやすいところとは言えません。TSにはさらに偏見が強いようです。先日バンコクのPAIでSRSを終えたばかりのイタリア人女性と話す機会がありました。彼女の言うところでは、イタリアもカトリック教の影響がつよく決してTSにとっては住みやすい国ではない。できればタイに住みたいくらいです、と言っていました。

そのタイでもゲイにくらべれば少数派であるGIDへの理解度はまだまだ低いという印象を受けます。私のよく行くレストランのウェイトレスにTSの女性がいます。けっして美形ではない彼女ですが、ニコッと笑顔でかいがいしく働いています。華やかなナイトライフ向きでない彼女にも、このような職場はちゃんと用意されているのがタイ社会の救いです。

2007年3月29日木曜日

現地と帰国後のパーソナルケア


事前のカウンセリング

手術のために外国に行くには、かなりの勇気と決断がいります。手術自体が不安なのに、タイのことなどほとんど予備知識がない。タイ語はもちろん、英語もおぼつかない。入院中の医療ケアはともかく、帰国までの2週間は誰か個人的な面倒見てくれるだろうか。相談相手になってくれる人がいるだろうか。

病院の設備や看護ケアなどは大丈夫か。SRSに実績のある医師がいるのか。病院からホテルに移った後のケアは。回復期間中はどうやって過ごす。和食レストランはあるだろうか。帰国前には観光や買い物もしたいが・・・。

表だっては話題にできない手術のために、外国に行く。しかも東南アジアの発展途上国へ。タイでの手術は経費面では安いとはいえ、面談やメール、または電話による事前のカウンセリングなしに外国での手術を決断するのにためらいがあるのは当然のことです。

私のPAI認定のカウンセラーの役割はまさにこのためにあります。

帰国後のアフターケア

SRSは手術さえ無事に終わればそれで終了というわけではありません。PAIの熟練した医師チームの手術はわずか3時間で終わります。5日後には退院して、その10日後には帰国できます。これで基本的には医師の役割は終わりますが、帰国後のダイレーションなどの長期間の作業は患者さんの責任で行わなければなりません。外部の手術跡や内部が安定するには3ヶ月、6ヶ月、場合によっては1年という期間が必要です。

医学界の常識として、どんな手術でも完璧ということはありません。帰国後の回復期間中に不安な症状や、医師の見解を聞きたいことは大なり小なりでてきます。ほとんどのケースは時間の経過が解決する問題ですが、患者さんに立場からは心配事であることにはかわりありません。その場合には日本語で相談できる、また必要に応じてPAIの医師からの指示を仰げる仲介役が必須です。その役割もPAI認定のカウンセラーの私の守備範囲です。PAIのプリチャー医師と過去2年半以上にわたり、信頼関係を築いてきたことがお役に立てると自負しております。

[カウンセラー料]
私はいわゆる「エージェント」ではありませんので、基本姿勢としてSRSに関してはPAI以外の医療機関を紹介することはいたしません。SRSカウンセラーとしてのサービス料は頂きますが、個々のケースにより異なりますのでご相談に応じます。以下にメールでご連絡ください。
Email: masa.shimamura@gmail.com

2007年3月22日木曜日

GID情報はまず出版物から

性同一性障害ではないか、と自覚したらまず、今の自分がどういう立場におかれているのか、ロードマップ上の位置確認をすることが必要です。無用な悩みをできるだけ少なくして、自らの方向性と目的地へのステップを早く見つけ出し行動に移るためです。

自助グループも各地にありますが、出版物は日本のどこにいてもオンラインショップで簡単に手に入る時代です。特定の本を推薦することはしませんが、以下のリストを参考にして、ご自分の状況にあった本を選んでください。自らのGID体験を出版されたこれら当事者の方々の貴重な情報や体験談は、将来への指針と大きな勇気を与えてくれることでしょう。

GID関連出版物のリスト

出版物のリストは右のサイドバーに掲載することにしましたのでご覧ください。

2007年3月17日土曜日

SRSに至る道・母親への手紙(その2)

『リンダから母親への手紙』 (その2)        

結婚と家庭生活
最初の妻と分かれてから、とても親しかった別の女性と親密な関係になりました。その女性と恋に落ちたのは、私にとって一番ふさわしいパートナーであり、私の人生の魂の友であると感じたからです。それが今の妻ジェリです。ジェリに対する愛情にもかかわらず、自分が女性であるという感情からはどうしても抜け切れませんでした。ジェリと私は結婚し、二人にとって当然の帰結だと思い、自然な気持ちから子供をもうけました。二人とも家族が欲しかったのです。そして私は自分の中の女性と闘うように以前にも増して努力するようになりました。

警察官の仕事柄で、世間にはホモが大勢いることも知りました。クリスティーン・ジョーゲンセンの記事も読んだりしましたが、実際は性転換手術にそんなに大金はかからないことや、アメリカでも行っていることなど、性転換ということ自体についても新しい知識を手に入れました。女装をすることも必死になって抵抗したものの止めることはできず、完全な女性になりたいという気持ちも同じでした。その内に妻ジェリが気づいて去っていくことを恐れ、必死になって自分と闘いました。ジェリに対する私の愛情が揺らいだことは一度もないことは、お母さん、信じて欲しいのです。

ジェリと家族を失いたくないため闘い続けた私は、勤務を離れると男の中の男にふさわしいと思われたバイク乗りになり、大酒を飲み、勤務中は危険な任務に進んで志願したりしました。しかし、こんな男っぽい行動はどうしても好きになれなかったし、そんな男に変わっていく自分という人間も好きになれませんでした。1990年にサウスダコタ州で催されたモーターサイクルラリーに参加し、アウトロー・バイククラブの連中と親しくなりました。オトコになるためには無法者のバイカーにならなければと思うと怖さ半分でしたが、アウトローのバイカーより男臭いオトコがいるか、心の中の女性感情など吹っ飛んでしまうぞ、という気持ちで突っ走りました。

ところが、このグループの行動でどうしても好きになれない行為を見たりしているうちに、自分はやはりとけ込めない仲間だと感じるようになりました。こうしなければオトコになれないのだったらもうオトコになるのは止めようと決心したのです。家に帰ると8年間つとめたモーターサイクルクラブの支部長をやめ、愛車のハーレーダビッドソンと付属品一式も売り払いました。あらゆることをやったにもかかわらず、女性であるという感情は依然として居座っていました。この悩みについては参考になる情報もなく、どこからも助けの手は来なかったのです。

お母さん、私の心の中の女性感情はますます激しくなり、このまま生き続けるのは我慢できない、なにか行動を起こさなければ、という気になりました。もうためらっている余裕はなくなりました。お母さん、私はただ内面の苦痛から解放されて幸せになりたかっただけです。本来の自分になりたかったのです。

私には依然として、自分はトランスセクシュアルという感情をもつ世界でも数少ない人間の一人にちがいないという気持ちが残っていました。だれにも本当のことは言えないという恐れでそれまでの人生を過ごしてきた私ですが、人生のパートナーである妻ジェリには本心を打ち明ける決心をしました。彼女が去って行かないことを祈りながら打ち明けました。そのジェリが愛情にあふれ、思いやりのある、強い心の支えとなる態度を示してくれたのは何よりの救いでした。行き着く結果がどうなろうと、私が本来の自分を見つけられるように何でも協力すると励ましてくれたのです。

行動開始
それから私たちはゆっくりと行動を起こし始めました。まずクロスドレシングを試してみましたが、鏡に映ったその自分の姿を見て顔色をなくしました。ジェリに手助けをしてもらったとはいえ、体がでかく、老けすぎで、男そのままという感じで、とても女性らしい姿ではなかったのです。気分が滅入りましたが、最初の幻滅にめげずにジェリと私は参考になる情報を求めて前向きに進んでいきました。

そのうち警察署の仕事では暴力犯罪班に配属になり、性犯罪捜査を担当する刑事になりました。ある日任務中に訪れたアダルト書店で、たまたまジェリも一緒だったのですが、クロスドレシング専門の雑誌を見つけ買い求めました。その雑誌のおかげで今まだ知らなかった世界に導かれ、本・雑誌、心理学的論文、個人の体験談、サポートグループ、社会活動グループ、医学関係者、病院・クリニックなど、この問題に関連する多くの存在を知ることになりました。

ゆっくりではありましたが、私たちはあらゆることを勉強しました。自分が単なるクロスドレサーではなく実際はトランスセクシュアルであるのに気づくにはそんなに時間はかかりませんでした。それは私がいつも感じていた感情そのものでした。そこで精神分析医、二人のカウンセラーの診断を受けたのち、やっと医学面での治療を始めることになりました。自分の心の中でいつも感じていた女性にマッチする体に、男の体を変えていくための準備を始めたのです。

SRSへの具体的ステップ
いま私の受けている性別再指定の治療法はゆっくりしたプロセスで、いろんな分野の医者や精神科医のチェックを受けなければなりません。私自身の最終目標ははっきりしていますが、医学関係者の方から次のステップに進むのを勧めることはなく、あらゆる資格条件をクリアした段階で本人が希望した場合にだけ、最終目標のSRS手術が許されるのです。

今の私は1995年8月から始めたホルモン治療により性別再指定を受けています。女性ホルモン剤のプレマリンと、男性ホルモンの産出を抑制するステロイド剤であるスピロノラクトンを服用しています。その結果、今まで不可能だと思っていた自分のイメージが目に見えるようになり、あの大柄の、老けた、男にしか見えない、という以前の感じはなくなり、不可能が可能になったのを感じます。自分の願うようには美しくはなれないとしても(まあしょうがないか)、女のドレスを着た男でなくなったことは確かです。

お母さん、この私の状態について親として負い目や責任を感じたりする必要はまったくありません。現時点での科学的な研究では、性同一性障害やトランスセクシュアルの原因としては、誕生前の胎児段階でのホルモンの影響やホルモンバランスの問題が指摘されています。その結果として身体的には一方の性の特徴をもち、性意識としては別の性の特徴をもって生まれてくる個々のケースがあるということです。性転換症についての最新の研究発表のどれを見ても、私のような症状の原因が誤った育児方法にあると指摘するものは皆無です。

この40年間というもの、心の中では女と感じていたので、自分をとりまく現実は不快であったものの、どうすることもできませんでした。ところが今では、かってなかったほど幸せで気分も楽になりました。精神的な苦痛もなくなり、いろいろあった健康上の問題も消えてしまいました。

お母さん、私のような症状は時間をかけて何回も何回もチェックし、さらにダブルチェックするという課程を踏んで治療しなければいけません。また途中でいつでも治療の過程をストップしてもかまわないし、中止するのを勧められる場合さえあります。自分で違和感をもつ場合にはそれを越えて先には進まないように指導されます。私の場合はそれらの関門を順次通過して今の地点まで到達したのです。

お母さん、参考までに今私のたどっている道程はこんなものです。
ジェンダーの問題に精通している精神科医に定期的に診断を受けること。SRS(性別適合手術)の許可の前には別の医師からのセカンドオピニオンを得なければなりません。ホルモン治療による性別再指定はすでに1995年8月から行っていて、今も続けています。

電気分解脱毛法による顔面の脱毛は痛いだけでなく時間がかかります。1ヶ月に6時間にまで減らせるようになりましたが、やっと50%終わった段階です。

リアルライフテスト。生活のすべての面で一日24時間女性として生活しなければなりません。これはSRS(性別適合手術)を受ける前に、女性としての生活に適応できるように準備するためです。

名前変更。これはいろんな法律的理由で実現が長引いていましたが、この夏の終わり頃には有効になります。(登録申請はもう済んでいて裁判所預かりになっています。) 今使っている名前はリンダ・アン・シンプソンですが、これが登録される正式の名前となります。

SRS(性別適合手術)。これは単なる整形手術だと思ってもらって結構です。1997年までは手術に進むつもりはありませんが、この手術の経験のある医師の何人かとはすでに連絡をとっています。世界中で30人ほどいますが、私なりに下調べをして何人かのお医者さんを検討して、今のところ一人か二人に候補をしぼっています。

お母さん、この手術は男を女に転換する手術ではありません。そんなことは不可能です。この手術は赤ん坊として生まれた時点での間違いを訂正しようとする試みと理解してほしいのです。また、これはセックスに関する問題でもなく、ジェンダー(性意識)に関するものです。セックスはこの問題とは関係なく、世間一般で言われているように、「セックスは両股の間にあるもので、ジェンダーは両耳の間にあるもの。」 ちょっとふざけた表現だとは思いますが、それは真実をついています。

このような告白を聞いたショックで、お母さんはどうしたらよいか途方に暮れているかと思いますが、お母さんの気持ちがよく分かるなどと軽々しく言うつもりは全くありません。同じように、他のトランスセクシュアルの人ならともかく、私が今どういう気持ちで生きているか、またこれまでどのような行き方をしてきたか、完全に理解してもらえるとはとても思えません。繰り返しになりますが、お母さんに言いたい一番大事なことは、私のこの症状はお母さんやお父さんには何の原因も責任もないということです。正直なところ、このジェンダーの葛藤があったことを除いては、とても幸せな子供時代を過ごせたと思っています。

私の友人や家族、それに職場の同僚などからはリンダとして受け入れられていて、気まずい反応はありません。ほとんどの場面で周囲から前向きな反応があるので、私自身うれしいと同時にびっくりしているほどです。また幸いなことに、最近では時代の雰囲気も変わってきていて、人々の受容度もひろくなり理解する人も増えました。ガンや糖尿病などの病状をもつ人を悪く言わないと同じように、私のような症状に偏見をもつ理由はないはずです。それでも、ある種の人たちとはトラブルに遭遇することも現実的にはあり得ることは承知しています。今までの人生で経験したいろいろな障害にくらべたら、これから起こりうる障害物を乗り越えるのは何でもありません。

ジェリも三人の子供たちも全面的に応援してくれています。これから起こりうる良いこと、悪いこと、みんなで話し合いました。将来に何が待ちかまえていようと直面する心の準備はできています。これ以上の素晴らしい人生があるでしょうか!
お母さん、このことのために私を見捨たり、愛するのをやめることのないように祈っています。私の状況をお母さんが簡単に受け入れてくれるだろうとは期待していません。ただ、むずかしいことはわかりますが、理解するように精一杯努めてくれることをお願いするだけです。

お母さん、ありがとう。愛している。リンダより。
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『リンダ・アン・シンプソンのその後」

リンダは1982年以来ジェリと正式に結婚して、3人の子供にも恵まれた幸せな家庭をもっていたものの、幼児期から自覚していた性同一性障害に悩まされ続け、愛妻ジェリの全面的なサポートを得て1997年1月にカナダのモントリオールで性別適合手術を受ける。現在は家族全員で、性的少数者に寛大なワシントン州シアトルに住んでいる。リンダは古巣の警察関係のアドバイザーなどの奉仕活動や、性的少数者に関する啓蒙活動、好きなジャズやニューエイジ音楽演奏などの生活を楽しみながら、ソフトウェア・テスト・エンジニアとしての仕事もしている。

妻ジェリはもともと大好きだったコンピュータをさらに勉強し、今はソフトウェアエンジニアとしての仕事と、リンダと学校に通う三人の子供たちとの家庭生活をエンジョイしている。

リンダの母。リンダが手紙を書いたその母親が、手術2年後の1999年に訪ねてきた。今や娘になった元息子とは何年も会っていなかったが、いろいろあった母親との気持ちのすれ違いも年月が解消してくれ、愛情に囲まれたリンダの家族とふれあった母親は心から再会を喜んでくれた。ただ一つの大きな意見の食い違いは、着る物とファッションのことで、母親と娘の世代の違いはどうしようもなかったそうである。


『クリスティーン・ジョーゲンセン (1926-1989)』

クリスティーン・ジョーゲンセンはデンマーク系のアメリカ人二世、ジョージ・ウィリアム・ジョーゲンセンとしてニューヨークに生まれ育つ。1952年から1954年にかけデンマークでホルモン治療に続き男性から女性への手術を受けた。性転換手術を受けた最初の人ではないものの、初めてマスコミにより公にされセンセーションを巻き起こした人として歴史に名を残す有名人になった。

また彼女の美貌と優雅な立ち居振る舞いを生かして、歌手としてもラスベガスやハバナでなどで名声を博する存在となった。その後の彼女の自叙伝(1967年刊)やその映画版(1970年公開)、各地での講演などの活発な啓蒙活動を通して、性転換症(トランスセクシュアル)は、同性愛者(ホモセクシュアル)や異性装者(トランスヴェスタイト)とは明確な違いがあることを訴え続け、世界の性同一性障害者を勇気づけた。二回の婚約歴はあるが、生涯結婚はせず、最後の2年間はカリフォルニアに移り住み、62歳で肺ガンと膀胱ガンにより世を去った。

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(翻訳文責: 島村政二郎)