2015年6月21日日曜日

同性婚の世界を数字で見ると

同性婚の世界を数字で見ると (CNN – June 13, 2015)

(この記事は2012年5月に最初に発表された内容をベースにして、2015年6月時点で最新情報にアップデートされたCNN記事を日本語訳したものです。)

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アメリカ合衆国最高裁は2013年になると同性婚の支持者に2件の大きな勝利をもたらした。一つ目は伝統的な男女間の結婚を防御するための「結婚法防御法」に定められている権利・権益は、たとえ合法的な結婚であっても同性間の結婚カップルには同様には認めないという法的制約があったが、この規制が部分的ではあるが削除されたこと。二つ目はカリフォルニア州で一時期禁止されていた同性婚が連邦最高裁として再び許可を与えるという裁定をくだしたこと。この裁定以来、同性婚支持者を勇気づけるような出来事がつぎつぎに起こっている。

アメリカ合衆国における同性婚の変化ぶりを数字で追うと以下のようになる。

37州――アメリカで同性婚を認める州の数は以下の37州になった。(アルファベット順)/p アラバマ、アラスカ、アリゾナ、カリフォルニア、コロラド、コネチカット、デラウェア、フロリダ、ハワイ、アイダホ、イリノイ、インディアナ、アイオワ、カンザス、メイン、メリーランド、マサチュセッツ、ミネソタ、モンタナ、ネヴァダ、ニューハンプシャ、ニュージャージー、ニューメキシコ、ニューヨーク、ノースカロライナ、オクラホマ、オレゴン、ペンシルバニア、ロードアイランド、サウスカロライナ、ユタ、ヴァーモント、ヴァージニア、ワシントン、ウェストヴァージニア、ウイスコンシン、ワイオミング.

(州ではないが首都ワシントンDCも数字に加えると合計38となる)

(訳者注)アメリカ合衆国は50州より構成されているので、4分の3の州が合法的に認めていることになる。

  (男性カップルはネヴァダ州、下の女性カップルはアラバマ州)

13州――州法、または州憲法により同性婚を否定している州の数は13州ある。

4州――同性婚を禁止している州で、同性婚を認めている合衆国憲法に異論を唱え現時点で法廷係争中の州があり、それはオハイオ、ミシガン、ケンタッキー、テネシー、の4州である。その争点はそれら各州で同性婚禁止を合法と認定した下級審の裁定意見をめぐってである。

1統治領――アメリカの統治領で同性パートナー同士の結婚を認めているのはグアム。

約72%――アメリカ合衆国で同性婚が法的に認められている州で生活する人口のパーセンテージはおよそ72%。(2014年現在のアメリカの総人口は3億1200万)

900万人――アメリカ合衆国の成人(18歳以上)のLGBT人口は約900万人。

251,695――2013年現在のアメリカ人で同性結婚しているカップルの数。 (アメリカ地域人口調査局の調査による)

60%――同性婚を支持するアメリカ人の割合は60%になった。 (2015年5月時点のギャラップ調査による)

2001年――ヨーロッパのオランダが同性婚を合法と認定したのが2001年のこと。これが世界初の前例となった。

2003年――アメリカ連邦最高裁が法的に総称ソドミー(sodomy)と呼ばれる性的行為を刑事罰の対象とするのは憲法違反であると認定したのが2003年。

(訳注)「ソドミー」は広義では男性同士、男女間、また動物を相手にする肛門性交やオーラルセックスを指す用語。

2004年――マサチュセッツ州で同性婚が合法と認められたのが2004年で、アメリカでは最初の州となる。

19カ国――国全域で同性婚が合法と認められた世界の国の数は、以下の19カ国。

オランダ(2001)、ベルギー(2003)、スペイン(2005)、カナダ(2005)、南アフリカ(2006)、ノルウェー(2009)、スウェーデン(2009)、アイスランド(2010)、ポルトガル(2010)、アルゼンチン(2010)、デンマーク(2012)、ブラジル(2013)、フランス(2013)、ニュージーランド(2013)、ウルグアイ(2013)、ルクセンブルグ(2014)、英国(イングランド/ウェールズ2013/スコットランド2014)、フィンランド(2015)、アイルランド2015)。

    (2015年5月に結婚が成立したアイルランドの女性カップル)

2カ国――同性婚が州や地域によっては合法とされている国の数は2カ国で、メキシコとアメリカ合衆国がその例。

4州――アメリカ合衆国のうち同性カップルにシビルユニオン(事実婚)を認めている州は、コロラド、ハワイ、イリノイ、ニュージャージーの4州。

22%――アメリカの同性婚カップルのうち、養子や里子として子供を育てているカップルの割合は22%。(UCLAのウィリアムズ・インスティテュートによる2015年3月の調査から)

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[個人的感想]

ヨーロッパには小国が多く、人口も少ない上に人種や宗教も多種多様ではなく比較的まとまりやすい。北欧にみられたように性の解放も世界に先駆けて起こった歴史がある。一方アメリカは国土も広大で、今や人口も3億2千万人、多人種のるつぼと言われる他民族国家となっている。また、統一された精神文化は存在しないものの、アメリカ建国以来ヨーロッパより持ち込まれたキリスト教が基本となる道徳価値観が国のバックボーンとなっている印象です。

しかし同じキリスト教でも保守派のカトリックと比較的進歩的なプロテスタント派との見解の分かれる分野も多く、LGBT分野についての見解にも大きなへだたりがあります。ただ言論や表現には自由が保障されているアメリカでは、その自由を旗印として偏見に打ち勝ってきたという粘り強い自信があります。その自由の国アメリカでは確実にLGBTの権利が擁護される社会基盤ができつつあると思いますが、その道のりは決して楽なものではなかったようです。テキサス州のように同性婚は命をかけても絶対に阻止するという超保守派の支配する地域もあります。

正しいと思うと強引にでもつき進んで目的を達してしまうのが楽天的なアメリカ人の得意とするところです。アジア諸国ではLGBTは社会的には認知されてきていても、まだ同性婚は表立った話題にはなっていないようです。日本は今どの辺にいるのでしょうか?

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2014年11月21日金曜日

トランスジェンダー勝訴の背景と意味 (マレーシア)

トランスジェンダー勝訴の背景と意味(マレーシア)

先回11月9日の投稿でマレーシアでのトランスジェンダーたちの控訴審に勝訴の判決が下りた記事をお伝えしましたが、この勝訴の意味を一般人や外国人にも分かりやすいようにとの意図で、弁護士の一人を務めたシャーレザン・ジョハン氏の解説がスター紙に載りました。以下はその概要です。(2014年11月12日ネット版The Starより)

マレーシアはイスラム教国家であるため一般国民や官憲のLGBTへの理解はおそらくアジアでも最低のレベルであることを念頭においてお読みください。

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       <判決を喜ぶトランス女性たち>

この控訴審での判決はこの国を揺るがすものだった。ヌグり・スンビラン州のシャリア法刑事法令 第66項は憲法違反として挑戦した3人のトランスジェンダーたちが勝訴したのである。

この控訴審法廷において判事全員一致の見解として下された判断は、シャリア刑事法令第66項は連邦国憲法第5,8,9、10条を犯すものであり、したがってそれらの法令は憲法違反であると断定したのである。

シャリア法令66項とは、ムスリム(イスラム教徒)の男性が女性の服装をしたり、女性として振る舞うのが発見されると法令違反とみなされ、10,000リンギ(=約35万円)または最高6ヶ月の懲役刑、またはその両方、という罰が科せられる規定である。

上訴した3人のトランスジェンダーは肉体的には男性である。しかし、普通の男性とは明らかに違っていて、医学的には「性同一性障害(GID)」と呼ばれる症状をもつ人たちなのである。この症状の人たちは男性として生まれながらも自分は女性であるという感性をもち、女性の服装やメーキャップをして女性として自分を表現し、また女性特有の動作やしぐさを身につけているのである。

この3人は専門家による医学的な根拠となる診断書をそれぞれが3通も提出し、GIDが医学的には「治療不可能」の症状であること、なおかつ一生涯にわたる症状であると診断している。また、上訴した3人は女性としての振る舞いは自分で好んで選んだものではなく、また自分ではどうしようもない症状であると認定している。

上訴された側のヌグリ・スンビラン州政府は法廷に提出された医学的証拠には反論しなかった。

このような症状の3人の当事者は、法令第66項にもとづき州の宗教警察による日常的なハラスメントにあい、逮捕・拘留されたり、起訴されたりした。この法令が存在するために家から一歩出るのもためらうほどで、普通の人間として生活するのが困難な状況に置かれていた。

想像できますか、自分ではどうしようもない医学的な症状のため罰せられることを。

想像できますか、GIDでなくても、なにかの病気のために法的に罰せられることなど。

このような根拠にもとづき、上訴した3人は連邦国憲法に謳われている基本的人権がヌグリ・スンビラン州の法令第66項により侵されていると訴えたのです。具体的には、連邦憲法第5条にもとづく基本的人権、第8条の平等と非差別の保証、第9条の移動の自由、第10条の言論と表現の自由、これらすべての国民に与えられた権利が、州法令第66項を根拠とする官憲により侵犯されているとするものです。

それぞれの州はイスラム教にもとづく法律を制定する権利は有しており、その中には法令66項のようなシャリア刑法が含まれている。しかし、これら州の法律はこの国の最高の法である連邦国憲法に準拠するものでなくてはならない。

合憲であるか否かの判定はイスラム教の定めるシャリア法ではなく、あくまで国の憲法でなければならない、と控訴審の主任判事は言明している。

憲法第3条にはこの連邦国家の宗教はイスラム教であるとの宣言があるが、この条文は憲法に規定する他のすべての条項に優先するものではない。シャリア法で定める条項でも憲法の規定に準拠していなくてはならず、社会的マイノリティとみなされる人々の権利を侵すことはできないのである。

シャリア法令第66項にはGIDに苦しむ当事者は刑法による処罰からは免除するという規定はない。もしあったと仮定すれば、この法令は憲法違反と判定されるのを免れたかもしれないが、この法令にはそのような例外規定がないため、GID当事者の憲法上の権利を侵害するものと判定されたのである。

しかしこの裁定はシャリア法に対する挑戦とみなすべきではない。「シャリア法」という冠をはずしたとしても、その法規の内容の違憲性については同じ判断原則が適用されなければならない。また同様に、一部の人たちが期待するように同性婚にドアを開くものと解すべきではないし、LBGTの権利を認めるものと早合点するのも的を射ていない。

上訴審に訴えてまで法による判断を求めた3人のトランスジェンダーの真意は、官憲によるハラスメントから自由になりたい、自ら望んだわけではないこの症状で、しかも自分ではどうにもできないことに対して刑罰を受けることから解放されて、普通の人間として生きたいという単純で純真な人間的要求からきているのである。

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<付記>

マレーシアにはイスラム教を背景とする宗教警察(通称)と呼ばれる組織は各州に存在し、戦時中の日本の「特高警察」のように有無を言わさず逮捕する権限をもち、しかもその行動には異論を受け付けないという。ゲイやトランス当事者はたえずその存在を意識しながら行動しなければならない、その場で捕まるとなぐる蹴るは当たり前で、頭に瀕死の傷を負わされたトランス女性の写真を見せられたことがある。日本では考えられないような現実がまだマレーシアにはあるのです。

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2014年11月10日月曜日

トランスジェンダー美人コンテスト (タイ)

トランスジェンダー美人コンテスト

(バンコク・ポスト紙11月9日記事より。)

写真中央がミス・ベネズエラ、左がミス・タイランド、右がミス・ラオス

恒例の「ミス・インタナショナル・クイーン」が11月7日夜、タイの海辺のリゾート地パタヤで開催された。このコンテストは「世界最大のトランスセクシュアル・トランスベスタイトのイベント」と自称しているが、今年の栄冠は22歳のベネズエラ代表の頭に輝いた。

18カ国から21人の参加者があり、女王の栄冠を獲得したイザベラ・サンティアゴさんには44万バーツ(約145万円)の賞金が与えられる。また副賞としてスポンサーからいろいろの贈り物があり、希望すれば無料の美容整形手術も選べるという。

タイの参加者ニッシャ・カタホンさんは二位となり150,000バーツ(約49万円)、三位のラオスからのピヤダ・インタボンさんには95,000バーツ(約31万円)が与えられた。

純白のイブニングガウンに身をまとい栄冠を頭に頂いたミス・ベネズエラは、これから何をしたいですかという質問には、笑いながら「ただ眠りたいです」と答えた。

「ステージに上った彼女はエレガントそのもので、審査員全員の賛成で選ばれた」、とメディアのパーソナリティであり学者でもありこのコンテストのジャッジもつとめたスリ・ウォンモンタ氏は言う。

パタヤのトランスジェンダーのステージショーで有名なティファニー・ナイトクラブで毎年開催されるこのビューティコンテストは今回が10回目で、出場希望者は男性として生まれたトランスベスタイトか、または手術前か手術後のトランスセクシュアルでなくてはならない。

他のビューティコンテストとおなじく、「ミス・インタナショナル・クイーン」出場者は出身国の伝統衣装で披露すること、イブニングガウンを着ること、また水着姿でパレードに参加することがきまりとなっている。

ミス・アメリカのサミラ・シタラさんは、コンテストへの参加は夢だったのでとてもうれしい。友人のすすめで決心したこのコンテストが初めて公然とカムアウトする場になった意義も大きい、と興奮した面持ちで語る。

「わたし気がついたの、これが人生というもので、自分の過去からは逃げられない。もう隠すことはできないから、これでよかったと思う。」

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(独り言)世界にはこんなトランス美人がいるんですね。余計ながら、副賞の美容整形などは必要とされないと思いますが、、、。

2014年11月9日日曜日

クロスドレシングの刑法罰は憲法違反の判決(マレーシア)

クロスドレシングの刑法罰は憲法違反の判決(マレーシア)

今年の7月まで6ヶ月にわたって日本に滞在し、トランスジェンダーに関するフィールドワークに関わっていたマレーシアのTG女性のシェコさんからの事前予告のとおり、11月7日に控訴審法廷でクロスドレシングを刑法で罰するのは個人の表現の自由を不当に束縛するものであるとの判決が下された。これはイスラムの国マレーシアのトランスジェンダーにとっては画期的な判決であるので紹介いたします。(2014年11月8日掲載、The Star紙より)

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     写真:喜びのTS関係者(左端が日本にもきたシェコさん)

3人の裁判官で構成されるパネルは3人のトラスジェンダーの控訴を認め、ヌグリ・スンビラン州のシャリア刑法(1992年制定)の第66条は連邦憲法の条文に抵触するものと次のように裁定した。

「個人の服装、身につける装飾品などは自己表現のひとつの形であり、憲法10条の表現の自由で保障されていると当法廷は解釈する。」

現行のシャリア法第66項では女性の服装をして女性としてふるまう者は、本人が性同一性障害(GID)であるかどうかに関わらず6ヶ月の懲役刑か最高1,000リンギ(約33000円)の罰金が課せられる。

「三人の上告人や同じようにGIDに悩む当事者に課せられた制約は、明らかに不当であると言わざるを得ない。したがい、理性的観点からシャリア法第66項は憲法違反と裁定する。」

三人の判事により構成される審議の結果は、GIDは精神セラピーや薬物投与では変更できない精神の様態であり、それに悩む個人に生まれながら備わっている症状である」との一致した見解による。

「シャリア法66項により当事者たちは自分にとって自然な服装をしたいのに出来ない、また逮捕、拘留、起訴の可能性もある。このような制約は当事者の品格を卑しめるものであり、抑圧的であり、非人間的である」、と主任判事のモハマッド・ヒシャムディンは陳述している。

主任判事はまたシャリア法はHIVの拡大につながる同性愛から社会を守るためにも道理にかなっている、とのセレンバン州の高等裁判所の判断には賛同せず、「高裁の見解は事実や確たる証拠にもとづくものではなく、非科学的な個人的感情、または個人的偏見が混在したものである」と述べた。

トランスジェンダー上告代表者の弁護士であるアストン・パイヴァ氏は、「クロスドレッサーたちは今後も逮捕される可能性はのこるが、これからは高等裁判所で堂々と抗告できる権限を得たことに大きな意味がある」と報道陣に語った。

「女性に正義を」運動の主唱者であるニシャ・アユブは、今回の判決をもとに国中のトランスジェンダーたちに教育の機会をもうけ、それぞれの州にある同様の権利抑制の法律にチャレンジするよう呼びかけると言う。

2011年2月2日に別の3人のトランスジェンダーが憲法違反を理由に、同じシャリア法による逮捕と起訴を禁止するよう法律解釈の見直しを求めていた。2012年10月11日に出されたセレンバン州の高裁はこの訴えを却下し、原告が男として生まれ、ムスリム(イスラム教徒)であることを根拠として、憲法に定める原告の権利は無視されるべきであるという判定であった。

今回の控訴審の判断に「独立ジャーナリズム・センター」のソニア・ランダワとジャック・キーは、「この裁定は連邦憲法がこの国の最高の法体系であることを再認識させるものである」と拍手をおくった。

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2014年10月31日金曜日

ローマ法王の同性愛者への視線 (その2)

ローマ法王の同性愛者への視線(その2)

10月26日の投稿のあとCNNニュースに興味深い記事がありましたので、性的マイノリティに関するキリスト教とローマ法王フランシスコの言葉の意味を考えてみたいと思います。

この記事の寄稿者Jay Paniniは詩人であり小説家、バーモント州のミッドベリー・カレッジで教鞭もとる。最近「Jesus: The Human Face of God」の題名でイエスの伝記ともいうべき作品を発表された人物。

以下はパニーニ氏の寄稿の中で最近のローマ法王の言動に感する部分をとりあげて、法王の言葉の意味を再度確認したいと思います。

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同性愛結婚には断固として反対してきたアメリカのキリスト教徒にも最近ではこの問題への対応に変化の波が見られる。2016年の大統領選挙には出馬が確実視されている、言葉に衣着せぬ保守派の代表ランド・ポール氏さえも、地元サウスカロライナ州での最近のインタビューで「今までもずっとそうだったように、これはローカルな問題だ」と答えている。要するに、州単位、キリスト教区単位で決めればいいこと、ということ。

これはまた2013年に移動中の飛行機内でゲイをどう思うかという記者の質問に答えた法王フランシスコの短い言葉「Who am I to judge=私に誰を裁けというのか?」に象徴されている。

この短い言葉は驚くほどのインパクトをもっている。歴代のローマ法王は、同性愛を「道徳の根源的な退廃としての悪である」として糾弾してきたからである。

これはマタイ伝にあるイエスの言葉「裁くことなかれ、汝ら裁かれたくなければ」を敷衍した言葉である。この法王フランシスコの言葉は強力なインパクトのある教えであり、慈しみの心で人々に門戸を開いたもので、その扉は簡単には閉じられることはないだろう。

世界はめざましいスピードで変化しつつある。全米に強力な組織と影響力をもつ長老派教会は、州法で認められるなら教会の司祭が同性愛結婚を執り行うことができると決定したのである。この歴史的な決定はアメリカ全土で10,000におよぶ教会で同性愛者同士の結婚ができることを意味する。

監督教会派では2003年からすでに同性愛結婚を認めていて、初のゲイの司祭も選任した。しかしこれは教会派内部の亀裂を生む結果ともなり、所属教会のなかには離脱する教区がでるという会派内騒動も起こしたことがある。

肝心のイエスキリストは同性愛や性欲の表現についてどう考えていたのだろうか。マタイ伝のなかにイエスのよく知られた教えがある。「読んだ覚えがあるであろう、この世の始めに人間を造られたとき神は男と女に分けられた。それゆえ、男は産みの父と母のもとを離れ自らの妻と結ばれて二人はひとつの肉体となる。したがい、神が結ばれたものをまた二つに分断することは許されない。」

この詩文によりキリスト教徒の離婚を認めないという片寄った倫理観が伝統として根付くことになった。しかしこの規制は前世紀から必然であるかのようにゆるくなり、あまりにも多くのクリスチャンが離婚したので今やこの伝統は守られなくなっている。

ここで注目すべきはイエスがこの教えについてさらに質問されたときのこのマタイ伝の発言である。「この教えはすべての人に当てはまるわけではない、たとえばこの世に生を受けたときから性能力をもたない宦官(かんがん)、また他者より否応なく宦官にされた者、また自ら望んで宦官になり天の王国のために身をささげた者もいるのだ。これらを受け入れられるひとには幸あるであろう。」

アレキサンダー大王にもバガオスの名の男性の愛人がいて、彼は宦官としての記述がある。宦官はいろいろな意味合いで使われており、去勢だけでなく男性らしくない男や同性愛者もふくまれている。

創造主である神は創造されたあらゆるものに愛の目を向けられていて、他を裁き断罪することを好む者は容赦なく罰するのである。

イギリスの詩人ウィリアム・ブレークの詩にあるように「生きとし生けるものはすべて尊い」のである。

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この記事で私がいちばん注目したのはイエスの言葉「生まれたときよりそうであった宦官」である。 聖書には同性愛者という言葉はでてこないが、宦官が性的マイノリティの代表者になっているのかもしれない。

「生まれたときよりそうであった・・・」はLGBT全般にあてはまると私は思っていたので、それがイエスキリストに認められたようで大変勇気付けられた。宦官がそうなら、「L」も「G」も「B」も「T」もこの世に生まれたときからその指向が脳内にインプリントされて生まれてきたのである。決して病気(Disorder)などではない。

しかし、性自認と身体が一致しないトランスジェンダーはGID(Gender Identity Disorder=性同一性障害)として治療のための便宜上病気として扱われてきたが、2年前にアメリカで開かれた国際学会で単なるGD(Gender Dysphoria=性違和感)と称することが決定されている。生まれつきの性自認と身体が一致しないための違和感の苦しみにくわえて、家族もふくむ世間の理解がないため増幅される違和感をどう克服していくかが課題である。

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2014年10月26日日曜日

ローマ法王の同性愛者への視線

ローマ法王の同性愛者への視線について

10月20日の日経新聞に目立たない記事が目に留まりましたので、ちょっと感想を 述べてみます。記事の表題は「カトリック教会、同性愛者への寛容案見送り」です。

ローマ法王フランシスコはイタリア系移民の子としてアルゼンチンに生まれ、労働者階級のなかで育ったという生い立ちのためか庶民感覚にあふれ、カトリック総本山のバチカンに新風をおくりこみ、つぎつぎと改革にとりくんできた。大げさにいえば現代の宗教改革ともいえるその行動力には世界が注目していた。

その1つのテーマが同性愛などに対する寛容な態度だった。カトリックの信者や神父、バチカンにも同性愛者はいるからでもあり、この問題は無視できないと直視しようと思われたのであろうか。その勇気と決断を実行に移すスピードには、部外者ながらハラハラしつつも感嘆していた。

今回のニュースは、離婚したカトリック信者や同性愛者に寛容な姿勢をしめす内容の、法王主導でとりまとめた中間報告が「世界代表司教会議」でそのまま採択される見込みであった。その中には「同性愛者を歓迎する」との項目があり、「同性愛者もキリスト教社会に貢献できる才能と資質がある」との文言が盛り込まれていた。

「神の御計画」を破壊する企てとして同性愛や同性婚を禁じるというカトリックの教義は肯定するものの、現実の社会に生きる同性愛者の人間としての権利には配慮しなければいけない、とする中間報告書での歴史的な方針転換が将来への期待感として注目されていた。

ところが10月18日バチカンで開かれた200人近くの枢機卿や司教で構成される世界代表司教会議でその歩みよりの文言が多数を占める保守派の抵抗にあい、同性愛者への姿勢を変えると解釈される文言は削除せざるを得なくなった。これが改革を進める法王の初の後退となったのがニュースの主眼である。

ここで宗教にはとらわれない私には合点がいかないことがある。なんでこんなことが大騒ぎになるのか。LGBTと称される性的マイノリティーは、当事者本人が好んでなったのではない。生まれながら備わっていた性自認がある時期に発現するのであって、他人や社会の影響をうけて自ら選んだのではない。その性自認が自覚される年齢には個人差があるだけで、人種や文化が違ってもこれは共通している。これが文化の異なるLGBT当事者と接触してきた私の経験的な結論である。

さらにキリスト教やイスラム教などの宗教の拠りどころとなる聖書や法典には同性愛についての記述はない。この世には男と女、オスとメスしか造られていない、だから旧約聖書の神の御言葉「産めよ、増えよ、地に満ちよ」にいそしむのが人間や動物の役割だとされてきた。

同性愛では子は産まれない、そのような行為は神の意志に反するものである。これがキリスト教、イスラム教にも共通した道徳観である。

しかし現実社会では同性愛者として生まれてくる子供がいる。それが母親の胎内にいる間に方向付けされたもので誕生後に身につけた性自認ではない、という事実には宗教は眼をつむり耳を閉ざす。医学的にも未だに解明されていない。そこに社会的な偏見がはびこり、人間として生きる権利や場が制約される。

そこで誕生前から潜在する性自認をもつ同性愛者をなぜ神が造った人間として認めないのか、バチカンから広い世界に問いかけるべきではないでしょうか、とローマ法王にも言いたかったのですが、、、、。

しかし実際にはフランシスコ法王ご自身はすでにご承知のこと、自らは同性愛者を同じ目線で見ている。民主的に運営される世界代表司教会議で反対する多数派を説得するには段階をふんでやらないと一足飛びでは大ケガをすると、、、。

一年後にはまた機会がめぐってきます。LGBTも神が造られた同じ類の人間です。がんばってください。陰ながら応援しております。

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2014年10月8日水曜日

HRWレポート日本語訳

HRW レポート日本語訳

10月2日の投稿記事でマレーシアのトランスジェンダーの新聞記事を 紹介しましたが、マレーシアのTSの友人からすでに日本語訳があると いうメールが入りました。

ヒューマンライツウォッチ東京からも許可を得ましたので、その日本語訳 サイトを以下にそのまま転載させて頂きます。

http://www.hrw.org/ja/news/2014/09/24

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