2012年10月14日日曜日
クロスドレシングに違法判決 (マレーシア)
(Online news: The Bangkok Post; 10/12/2012)
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TS活動家団体の発表によると、4人のイスラム教徒のマレーシア人トランスセクシュアルが、女装禁止令の撤回を求めてイスラム法廷に提訴していた話題の訴訟が敗訴に終わったとの発表が昨日あった。
イスラム教徒が国民の約6割をしめるマレーシアでは、同性愛とトランスセクシュアルのライフスタイルはタブーとされており、今回の裁判はクロスドレシングを違法とするイスラム法廷の裁定を覆そうとする最初の挑戦だった。
首都クアラルンプールのすぐ南に位置するセレンバン州の高等裁判所は、同州の宗教法であるシャリア法は差別を禁じた憲法上の権利を侵害するものであるという4人の原告の訴えを退けた判決であった。
今回の提訴が実現するまで助力を惜しまなかった女性TS活動家のティラガ氏の言によると、判決はクロスドレシング禁止令を覆すのを拒否したが、マレーシアでは法体系が二つあり、イスラム教徒の生活面に関する事柄にはシャリア法が介入し州政府が管理監督する役目を果たしているとのこと。
判事によれば、4人の原告は男性として生まれ、現在もまだ男性であるためイスラム法が適用される。クロスドレシングはイスラム社会では排斥されるべきであると判事は述べたと、取材したAFP通信に答えた。4人は上告すべきかどうか検討中であるとのこと。
提訴した4人はジュザイリ24歳、シュコール25歳、ワン・ファイロール27歳、アダム・シャズルール25歳で、それぞれブライダルショップでメーキャップアーティストとして働いており、日常生活でも女性の服装で生活している。
セレンバン州政府の監督下にあるイスラム法廷では、イスラム教徒の男性がクロスドレシングや女性として振る舞うことを禁じており、4人とも以前に同容疑で逮捕された経歴がある。
ジュザイリとシュコールの二人に対する以前の裁判は現在も進行中であり、もし有罪となれば最高6ヶ月の懲役となる。
昨年には女性としての性転換手術を済ませたTS当事者が身分証明書の性別変更を求めた裁判で、別の州の高等裁判所が訴えを退けた事例があった。この25歳の薬局で働いていたMTF女性は判決の数週間後に、報道によれば心臓病が原因で死亡したと伝えられた。
ソドミー法(男性同士のアナルセックスを禁ずる法)がまだ存在し、20年の懲役刑で罰せられるマレーシア。同様にトランスセクシュアルも社会の片隅に追いやられた存在であり、就業の機会が閉ざされてその多くがセックスワーカーとして生きていくしかないのが現状である。
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(余談1)
ソドミー法はアメリカでは2003年になりほとんどの州が廃止したが、いまだにオクラホマ州、カンザス州、テキサス州には残っている。イスラム教だけでなくキリスト教社会でも同性愛やソドミー行為を忌避するのは、ごく最近まで当然とされていた。それは性行為が子孫を残すための聖なる行為であり、ソドミーや同性愛では子孫は残せない。“産めよ、増やせよ、地に満ちよ”のキリスト教の根幹を揺るがす行為として敵視された歴史がいまだに残っているからだと解釈できます。
同性愛者やトランスセクシュアルは子孫を残せません(精子・卵子保存法などを除いては)。これが一般社会から異端扱いされる原因ではないかと思います。その偏見はイスラム教、キリスト教社会を問わず根強く存在しています。先進国、途上国も問いません。
(余談2)
自分のせいではない、親のせいでもない、社会のせいでもない。自分の感じる性別違和感はだれにもわかってもらえない。それでは、TS当事者はどう生きていけばよいのでしょうか。だれの責任でもない以上、わが身の災難を嘆いてもなにも解決しない。それならば、特別視する世間にも罪はないと開き直ること、そして自分の打ち込める仕事を見つけ自立していくことです。自分なりの生き方を身につければ周囲のひとの見る目もちがってくる。やがて自分の方から違和感なく社会に同化していける日が必ず来ると思うことです。その過程としてSRSの手段をとるかどうかは、当事者個人の判断と行動しかありません。現実に生き生きとして生活しているTS当事者を知る立場にある者からの発言として秤にかけてください。
(余談3)
イスラム教国家マレーシアでもアメリカ同様に、州により社会環境がかなり違う。地方にいくにしたがい保守的な風土となり、とくに女性の自由度は制限されている。首都クアラルンプールは開放度が高く、マレー人女性でもスカーフをかぶるかどうかは個人の自由。やはりスカーフ姿の女性が圧倒的に多いが、これは家庭環境も影響している。また現実的なメリットもあるようで、色とりどりのスカーフでファッションを楽しむ、髪にほこりがつかないので外出時には便利、熱帯の国ながら腕は長袖か7分袖、若い女性はジーパン姿も多い。マレー風のツーピースの衣服も体をしばらず快適ですよ、とのこと。やはり女性が肌を露出するのはつつしむべき、と彼女たちも感じているみたいで、暑苦しそうなイスラムの服装に関してはわれわれが思っているほど束縛感はもっていないようです。若い女性の表情は明るく陽気です。
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2012年8月10日金曜日
”トランスジェンダーの母”の葬列
マレーシア、”トランスジェンダーの母”の葬列
いまマレーシアのクアラルンプールに滞在中です。8月9日付けの現地英字紙「The Star」
にトランスジェンダーに関する記事がありましたので、ご紹介いたします。
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首都クアラルンプールに隣接するプタリンジャヤ市で行われたこの葬儀には、マレーシアにとどまらず世界各地からトランスジェンダーの参列者が集り、”トランスジェンダーの母”にお別れを惜しんでいました。アシャはトランスジェンダー社会では、ここマレーシアだけでなく海外でも尊敬を集めた人物だったのです。
この葬儀はインドのヒジュラと呼ばれるTJコミュニティーで行われる葬儀とよく似ています。ヒジュラは社会的には”男でもなく女でもない”存在として認知されており、インドの一部のマスコミなどでは去勢者(宦官)と呼ばれています。
ヒジュラ社会では、施しを受ける、新生男児の健康を祈ってお礼をもらう、お祭りや集会などで歌や踊りを披露する、女神を祭る寺で仕えるなどが、むかしから生活の糧を得る方法でした。
アシャは”Asha Amma”アシャお母さん)と呼ばれて親しまれ、ここチョウキット地域の”インド人ゴッドマザー”と呼ばれていましたが、8月7日68歳にして心臓病でこの世を去りました。マレーシアのトランスジェンダー女性としては最高齢でした。
アシャは20歳代前半に性転換手術を受け、29歳のときに女性として公式認定されIDカードを政府から交付されています。
その後正式に結婚もし、14年前に夫が死去してからは地元チョウキットで小さなレストランを経営していました。彼女を知る友人によると、アシャはトランスジェンダーの人たちが女性としてのIDカードを取得する手助けや、性転換手術をうけたいと希望する人たちのカウンセラーとして信頼されていました。
この彩り華やかな葬列はセントゥール火葬場まで続き、アシャの死去はここマレーシアのタミール語新聞では大きな扱いで報道されています。
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〔付記〕
マレーシアは人口約2500万人で、およそ60%がイスラム教徒のマレー系、30%が華僑系、10%がインド系の住民です。インド系は英国統治時代に労働力としてインドから連れてこれらたタミール人が多くタミール語、マレー語、英語を話す人が多い。実業家として成功した例も少なからずありますが、やはり大多数が社会的には下層を占めています。
アシャが性転換手術を受けたのはどこかは分かりませんが、およそ45年前ということになります。結婚もできるほどのちゃんとした手術がこの時代にすでに行われていたのは驚きです。
とにかく20台前半という若い時期に手術するのは、生まれたままの性での人生がまだ短いので、本来のジェンダーに合った性での生活には早く適応できる、というプリチャー先生の言った言葉を思い出します。
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2012年7月6日金曜日
性別を記載しない健康保険証発行
GID者に性別記載のない健康保険証発行
7月早々の新聞記事をもう読まれた方も多いと思いますが、読売新聞の7月2日の記事を転載させて頂きます。
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性同一性障害、男女記載しない新たな保険証交付
松江市は2日、心と体の性が一致しない「性同一性障害」と診断された市民団体代表、上田地優(ちひろ)さん(54)に対し、性別欄に男女別を記載しない新たな国民健康保険証を交付した。
厚生労働省によると、性同一性障害を巡り、本人の要望で保険証の表記を変更したのは全国初という。上田さんは「男性と記された保険証を示すのは精神的に苦痛」として、5年前から保険証の記載を「男性」から「女性」に変更するよう市に要望していた。
市によると、新たな保険証では、目に付きやすい表紙の性別欄に男女別を記載せず、裏面の備考欄に「戸籍上の性別、男性(性同一性障害のため)」と記している。市は本人の要望を受けて同省などと協議、保険証表記の変更を決定した。
(2012年7月2日21時18分 読売新聞)
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<コメント>
SRSを済ませたGID当事者にとっては戸籍上の性別変更が可能になり(2004年7月16日施行)、社会生活上の自由度や精神的プレシャーは大幅に改善されたといってもよいと思います。ただ、SRSをまだ済ませていない当事者やそれを望まない人たちにとっては、公文書の性別記載はいまだに改善・解決してはおらず(パスポート、健康保険証など)、GID当事者が社会生活を送るに際して大きな精神的負担をしいられています。
この度の松江市の例は一地方自治体の働きかけが国を動かしたわけですね。その当事者の方の粘り強い努力と、自治体のとった先例のない行動は賞賛するべきです。ただこの一例だけで全国的に許可されると思うのは早計(つまり早合点)ではないかと懸念されます。他の多くの自治体が動かなければ国が率先して汗をかいて動くことはまず考えられません。自治体を動かすには当事者がまず動かなければなりません。
松江市の例には大いに勇気付けられます。同様の境遇におかれている当事者の方は、まず居住地の自治体に掛け合って、能動的に突破口を開く努力をされるよう進言いたします。
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2012年5月17日木曜日
トランスジェンダーとHIVの問題
アジア・太平洋のトランスジェンダーにHIVの危機が
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(5月17日付けのシンガポールのThe Straits Times記事から)
<バンコク発AFP電>
アジア・太平洋地域のおよそ半分近くのトランスジェンダー当事者が劣悪なヘルスケアとハイリスクなライフスタイルのために、HIV感染率が危機的なレベルに達していると国連の報告書が指摘しています。
このアジア・太平洋地域の900万から950万人のトランスジェンダー人口が、まん延するHIVの影響をもろに受けている、と国連開発計画(UNDP)の報告書は述べており、このトランスジェンダー・コミュニティーに属する49%が感染している可能性があると指摘している。
ただこの数字はトランス女性(男性から女性になる例)の聞き取り調査から得られた感染例から推測される数字であり、UNDPによるとこの広い地域での“分散した、小規模な調査でのデータ”をもとにしていることに留意する必要があるとのこと。
この調査をまとめた香港大学のサム・ウィンター氏は、“この極めて人間的な営みが危機的状況に直面している現実に各国政府が早急な対応策を講じる必要性”を訴えている。多くのトランスジェンダー当事者が生活に困窮したあげく、危険なセックス行為をともなう売春で生計を立てる状況に追い込まれている現状に注意を喚起している。
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<参考>
* タイではSRS手術などの前には必ずHIV検査が行われます。
* HIV陽性者でも手術は受けられますが、手術器具はすべて廃棄処分にされるため手術費用が30%余分に請求されます。
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2012年5月9日水曜日
SRS?GRS?
Gender & Sexuality
何気なく使っているこのような用語に深い意味があることに、あらためて考えさせられる機会がふえて頭を悩ませていました。私はGID当事者ではないので、このような問題を客観視できる立場から私見を述べてみたいと思った次第です。
<トイレでは「男」と「女」しかないですが、これでよいのか?>
セックスか、ジェンダーか
一般に通用している「性別適合手術」という言葉はSex Reassignment Surgery(SRS)の訳語ですが、これをGender Reassignment Surgery(GRS)と呼ぶ人もいます。タイのプリチャー医師もその一人で、以前からGRSという用語を好んで使っています。SRSが一般的な今ではGRSは古い用語なのだろう、くらいにしか思って深くは追求しなかったのですが、最近ちょっと待てよと思い始めています。GRSにはそれなりの意味合いがあるのではないかと・・・・。
つまり“Sex”と“Gender”の違いと、その相互関連性です。俗っぽい言い方をすれば、“セックス”というのは両脚の間にあるもの、“ジェンダー”というのは両耳の間にあるもの、という明瞭な区別がありますが、両者には密接な関連があります。
ジェンダーセックスの不協和音
両耳の間というのはもちろん脳に関する分野で、神経や精神性をつかさどる通信司令室のある場所です。愛情、幸福感、また違和感や不協和音もここで感受します。両脚の間にある性器官もこの脳内の司令塔に影響を与え、またそこから指令を受ける関係にあります。
おいしい、まずい、甘い、辛いなどの味覚も舌の味蕾で味わうとはいうものの、実際は脳神経を伝わって脳内の器官が感知して味わうのと同じです。舌の味蕾と脳神経は切っても切れない関係にあるのです。ジェンダーとセックスも同じ関係だと言えます。
GID(性同一性障害)というのはジェンダーとセックスの間の不協和音が原因となる悩みですが、ジェンダーは脳神経に関わるもので現状の医学では手術であれ薬物手法であれ、これを変えることは不可能です。一方セックスに関する肉体器官は外科的処置で、完璧とはいえないまでも変えることは可能です。性器官を外科手術によって、男性から女性へ、女性から男性へ、と転換して性別を再指定するのだから性別適合手術(=性別再指定手術)はSRSでよいわけです。この手順をふむことでジェンダーとセックスとの違和感が解消して、生来の性意識に基づく人生が送れるようになる、というのがSRSという外科的処置の果たしている役割だと思います。
セクシュアリティとは?
ところが、性転換手術のアジアの草分け的存在であるプリチャー医師がなぜGRSを好んで使うのか、思い当たるケースに出会う機会が何度かありました。それは、すでにSRSを受けた当事者にも自分の性的指向の対象が異性なのか同性なのか明確でないひともかなり存在することです。
「MTF=男性から女性」を例にとれば、SRSを経て女性になったものの自分の性的指向が異性である男性なのか、手術の結果いまや同性となった女性に向けられているのか、明確な自覚がないという場合です。
生物学的には男性として生まれ育った人が自分の性別に違和感を覚え、SRSを経て念願の女性になれたわけですから、今や異性である男性に性的興味をもつのが普通ではないか、と思うのが“普通”です。ところが、例外というよりは簡単に型にはめてはいけないケースが多々あるということです。
性愛に興味のない人
一般人の中にも「エイ・セクシュアル=asexual」というとくに性愛に興味をもたない人もいるのです。“草食系男子”が増えつつある日本でも言えることですが、アメリカのアルフレッド・キンゼー調査でも未婚の女性では14-19%、未婚の男性では3-4%が、対象が異性であれ同性であれ性的接触に一切の興味をもたないと指摘されています。GID当事者にも同じような傾向をもつ人がいても驚くにはあたらないかもしれません。
念願の女性の身体になったのに、性的興味の対象は意外にも“同性”の女性だった、つまり同性愛指向だったという人もいるのです。心を許し、肉体的な愛情表現の対象として持続的な関係をもてるのは、意外にも同性だったと気付くポストSRSの例は少なくないかもしれません。つまりゲイやレズビアンの関係がトランスセクシュアル当事者にも同じように存在するというのも事実です。レズビアンから派生した“トランスビアン”という言葉もあるそうですから。
ジェンダーとセクシュアリティの相性
ここで興味深いのは、SRS後にどういう性的指向に向かうかは実際に性体験をしてみないと分からない場合があることです。多くのGID当事者は、長年悩みぬいた肉体上の性別の違和感から逃れるために必死の思いでSRSまで進むのが精いっぱいだったことは想像にかたくないでしょう。そのような特殊事情を考えると、異性であれ同性であれ親密な人間関係なしにはむずかしい実際の性体験を経ていないGID当事者が少なくないのではと思われます。
ジェンダーとセクシュアリティの実際の相性テストを経ないままSRSを受け、事後に経験する性体験からはじめて自分のセクシュアリティが確認できたというケースが想定されます。この中には、異性愛もいるでしょうし、同性愛もいるし、性愛などなくても生きていける人もいるというのが現実の姿ではないかと思います。
ジェンダーと肉体的性別との葛藤がなくなっただけで、心の安定を得られたのが最高の幸せだったと感謝の手紙を送りつづけた老年のスイス人の話を先生から聞きましたが、「性転換手術」という単純な用語の裏にはGID当事者の多様な生き様があることを改めて教えられた次第です。
SRSを経てGRSに到達する?
つまり、SRS後にはじめてジェンダーとセクシュアリティの落ち着き場所(相性)が判明する、という見方に私は傾いています。この両者の相性が合致することによって、または両者の葛藤のないエイ・セクシュアルの境地に安住の地を見つけることによって、精神と肉体の安らぎが得られるのではないか。
それがSRSという外科的処置の目指すところであり、それが達成されれば究極の目的である精神(ジェンダー)の安堵が得られる。つまり、SRSはGRSという最終目標に到達するための手段であると言えるのではないでしょうか。
「セクシュアリティ」という肉体的性指向はあくまで「ジェンダー」という性意識の従的な存在なので、「意識上の性別をいったん白紙に戻し再指定する手術」という意味に解釈できる「GRS=Gender Reassignment Surgery」と呼んでもいっこうに差し支えなく、この方が読みが深い術名ではないかと思えるようになった、というのが私の反省です。SRSはGRSへの避けて通れない外科的処置と言ってもいいでしょうか。
プリチャー先生は手術後一ヵ月半経てばもう性交渉をしてかまわないというのが口癖で、ちょっと早すぎるのではと言うと、そんなことはない、一ヵ月半で大丈夫だとゆずらない。医者というのは多くを語らない人が多いので、その真意を類推しての話ですが、SRS後の出来るだけ早い時期にパートナーと親密な性的関係を体験することで、ジェンダーとセクシュアリティの落ち着き場所がきまり、当事者がすみやかに安堵できる境地に達するようにと願っての先生の温情である、と私なりに解釈している次第ですが・・・・。
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2012年4月25日水曜日
トランスジェンダー女性が政治をめざす(タイ)
ヨランダさんが政治の道へ(タイの話題)
その美しさでタイ全土を魅了したトランスジェンダー女性が地方議会選挙に立候補したことが大きな話題となっている。トランスジェンダー女性が政治の分野に進出するのは別に珍しいことではなく、世界的にもその例は少なくありません。
タイではとくに地方政治は男の世界という既成概念があり、それをトランスジェンダー女性が打ち破ろうとするのは勇気のいることで、やはりニュースバリューがあります。また当人が数年前の美人コンテストの優勝者でもあり、トランスジェンダーの地位向上に社会活動をしている頭のよい女性であることも話題性を高めているようです。4月25日版のタイの英字新聞「ザ・ネーション」の記事をご紹介します。
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“私のこれまでの経験と能力を生かしてナン県の将来にお役にたてることには自身があります“とヨランダ
さん(30歳)が抱負を語ったのは昨日のことです。(注:ナン県はタイ北部のラオスに国境を接する県)
地方議会の議員選挙にトランスジェンダーが出馬するのは初めてのこと。ヨランダさんは政治の世界ではニューフェイスですが、2000人の会員を擁するタイ・トランス女性協会の会長として名を知られる存在。すでに長年にわたりトランス女性の権利を擁護する運動に関わってきている。
宝石の事業やサテライトテレビ放送にも関わると同時に、博士号取得をめざして勉強中の身でもある。昨年には報道団体からタイ社会でもっとも影響力のある女性のひとりとして選ばれた。
“トランスジェンダーやホモセクシュアルの人たちからは支持を集められると信じています”と彼女は語る。16歳の時に性転換手術を受けた彼女は、肉体的には女性であるが、タイでは現行法にもとづき公的文書では依然として“ミスター”扱いされる。
エンターテインメント業界にもヨランダさんのナン県議会選出馬を歓迎する動きもある。Mプラス財団のポントーン・チャラーム氏は、ヨランダさんの県議会選挙出馬は、“長い間この国の政治を牛耳ってきた政治の世界に多様性をもたらすいい機会になる”と述べている。
ヨランダさんは母親がベンスアンタン地方の区長を努めていた関係もあり、北部の地方議会選では当選の可能性は高いとみている。対抗馬として選挙にでるのは男性二人。立候補受け付けは月曜日から今週の金曜日まで。
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<コメント>
まずヨランダさんの写真を見てください。美しい女性ですね!こんな輝くような女性にはめったにお目にかかれません。
彼女のトランスジェンダー女性活動をサポートしているPAIのプリチャー先生とも親交があり、先月バンコクで先生とお会いしたときのこんな発言が頭に残っています。
「タイではトランスジェンダーと分かると、十代早々からからホルモン治療を始め、SRSが受けられる年齢(現在では18歳)になるとすぐ手術を受ける。この利点は、骨格や皮膚・筋肉、声の男性化が定着する大人の年齢になる前に、ホルモン治療とSRSによって女性化が定着するので、女性として社会に同化しやすい。」
法的規制のしばりがある日本人には、また早くからトランスジェンダーを自覚していた当事者にとっては、はがゆいのが日本の現状です。タイの問題はSRS後も法的な性別変更が許されていないことです。
タイ社会ではすべてがおおらか、いい加減、自分勝手、と思える社会環境があります。しかし、その裏には自分の判断でなにをやってもいいが、“自己責任”であることを忘れるな、という不文律があるような気がします。
日本では何か起これば他人のせいにする甘えの構造がはびこり、結果的に規制の多い窮屈な社会になっています。タイ社会のいい加減さにうんざりしながらも、その居心地の良さに魅かれる日本人が多いのも事実です。
関係ないような話になりましたが、これもSRSの現状の両極を表しているというのが日頃からの私の感想です。
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2012年2月29日水曜日
妖艶なモデルは男性だった!
男と女の境界をスイスイと行き来するスーパーモデル
キャットウォークの注目を一身にあつめるモデルはなんと男だった。女性ファッション、男性モードであろうと、どちらのジェンダーにもなれる不思議な魅力のモデル、アンドレジ・ペジクにいま世界の注目が集まっています。
マレーシアの英字紙 "The Star"(2月16日版)に取り上げられた特集記事です。(記事はAP通信Bonny Ghoshより)
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スーパーモデル誕生
ある冬の寒い日の午後、マンハッタンのカフェで、長い脚をくみ優雅に腰をおろしているのはアンドレジ・ペジク。青い眼のファッションモデルはアールグレイ紅茶を飲みながら窓の外を眺めている、近くのテーブルに座る男たちの視線が彼女にくぎつけになっているのも知らないかのように。
黒皮のジャケットを着た男が歩道の窓際に近づき、ガラス窓に顔をつけキスをする。ペジクはくすくす笑いながら、”べつに悪い気はしないわ”、と無邪気である。
彼女に視線をむける男たちも、この美しいブロンド女が実際は男であることは恐らく気がついてないだろう。
ニューヨークで始まったファッションウィークでは、ペジクはもっとも注目を集めるモデルであると同時に、賛否両論の的になる存在なのである。彼は会場のキャットウォークを男としても女としても闊歩できるただ一人のトップクラスのモデルなのだ。
その両性具有を思わせる美形は、たえず限界にいどむファッション業界のトレンドセッターに押しあげたのである。
ドイツのファッション雑誌のカバーに彼を起用したスタイリストのカイリー・アンダーソンによると、”彼はだれもがその一切れでも欲しがるような美しい存在なんです。”
彼の顔を見ると、どんなに自分の美貌にうぬぼれている女性でも嫉妬にかられるだろう。高いほほ骨、しみひとつない肌、肉感的で形のよい唇。ただ話すときだけ,わずかにふくらんだのど仏が男性の証をしめすのみである。
ペジクは女になろうとしているわけではないが、トランスジェンダーに属する人の多くはすでに彼を同じ仲間とみなしている。ペジクは自らのセクシュアリティを説明したり、正当化する必要を感じることなく、両性を自然に内包してしている、ちょっとした英雄的存在とみられているのだ。
昨年のこと、ゲイ・レズビアン雑誌「OUT」は、今年の”スタイルメーカー”と名づけ、表紙をがざる写真にはヴェールをかぶり髪には花をあしらったブライダル衣裳のペジクを起用した。
昨年だけでも14誌の表紙をかざったペジクだが、フランスのデザイナー、ゴルティエはジェンダーを凌駕するペジクの容姿に惚れこみ、メンズ&ウィメンズショーのインスピレーションを得て、実際にペジク自身が両方のモデルとして登場したほどだった。ゴルティエのメンズショーでは、”ジェームズ・ブロンド”としてピストルをもち黒いジャケットの胸をはだけるダンディーな姿を披露したのだった。
一方のウィメンズショーではその強力なコントラストとして、ゴルティエの逸品作であるブライダルドレスに身をまとったペジクを披露したのである。
フランスの写真家セバスチャン・ミックは、ペジクは意識的に努力することなく女性になれる才能がある、スーパーモデルだけがもつカメラの前の自然なポーズのとり方、その動きのしなやかさは真似しようとしてできるものではない、と絶賛している。
ペジクの生い立ち
だが、この20歳の若者のここに至る人生はなまやさしいものではなかった。東欧の民族紛争の地ボズニアに生まれ、子供時代の大半をセルビアの難民キャンプで過ごしたペジクは、家族ともども逃げるようにオーストラリアに移住した。まだ10代でマクドナルドで働いているときにタレントスカウトに発見されたのが幸運となった。
幼少の頃から世間の目で見る女の子の特質を示し、車のおもちゃよりバービードールを好んだ。ティーンエイジャーとしては女の子たちと遊ぶのを好み、ドラッグストから化粧品を盗んで捕まったこともある。ペジクの言うには、友人たちや家族からもありのままの自分で受け入れられていたので、違和感はなく居心地がよかった。
身長183センチの長身痩躯、服は女サイズで2か4。靴のサイズがもっとも難点で、実際には女サイズでは11であるが、ウィメンズショーで歩くために無理してサイズ10に足を合わせている。
この一年間は気ちがいじみたメディアの注目を集め、メディア評論家はペジクは露出過剰になるリスクをはらんでいると警告する。他人には真似できない特有のルックスもあるため、ペジクがこの業界で今後もスターの座を維持するのはむずかしくなるかもしれない。
彼の人気度が高まるにつれ、デザイナーたちは彼の個性がデザインした衣裳の影を薄めてしまうのではないかと危惧し、ペジクの起用をためらうのではないかとの見方もあるからである。
ペジク自身はこのファッションビジネスの移り気の速さは百も承知である。この仕事のために
オーストラリアでの大学入学を遅らせた経緯もあるので、もしファッションの仕事に見切りをつけるときが来れば、大学に入り経済学か法律を勉強したいと考えている。
どんな話題でもオープンに話しに乗ってくるペジクであるが、自身のセクシュアリティ指向については口が堅い。恋愛の相手としては男がいいか女がいいかと聞くと、はにかんだ表情で”愛には境界線はないのよ”とだけ答えた。
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<感想>
生まれながら両性に通じるような容姿で成長した人もけっこういるものです。アンドレージ・ペジクはその好例といえるでしょう。
このモデルはトランスセクシュアルであっても、当面は性転換手術などには興味は示さないのではないかと思います。恵まれたルックスと才能を発揮して、男と女の間を自由に行き来できる自由を謳歌して欲しいですね。セクシュアリティについては自分が一番よく知っているはずなので、時が熟せばふさわしい行動を取ることでしょう。
男と女の境界など内面の世界ではあってなきようなもの。トランスセクシュアルならその内面の境界はすでに融解しているはず。内面と肉体との違いは手術でなんとか乗り越えられる。アンドレジ・ペジクの場合は、おそらく当面は男と女と境界を行ったりきたりで脚光をあびる生活を送り、また楽しみ、時期がきたらさっさと別の世界に飛び込んでいける、という才能をもっている人なのでしょう。
やはり、世の中美形に生まれるのは恵まれた存在です。その美形は一生続くものではないとの自覚があればよし。美形でないものは、なにか打ち込める対象をもち、それに集中して楽しめる境地になれば、人目を気にせずとも自らが満足できる生き方があるはずです。
なにはともあれ、アンドレジ・ペジクは衝撃的な印象です。まさに、Man, he's beautiful!
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